ジャン・ド・リュジニャン

ジャン1世ことジャン・ド・リュジニャン(フランス語: Jean de Lusignan、1329年または1330年 - 1375年)は、キプロス王国の摂政、後に総督。また名目上のアンティオキア公でもあった。キプロス王ユーグ4世と2番目の妻アリスの息子[1]。リュジニャン家出身。
生涯
キプロスの摂政をしている間、ジャンはマムルーク朝の港湾都市を攻撃した。1369年6月5日、ジャンはシドンを攻撃。その後、要塞化されたベイルートを避けつつバトルーン、タルトゥスを攻撃しさらに北へ進軍。ラタキア、アヤス、アンタルヤと進軍していった。7月9日から10日にかけてはアレクサンドリアを攻撃した。その勢いでマリーン朝の商船を拿捕しようとしたが失敗した。7月19日にはシドンに戻り守備隊を撃破したが嵐によってやむを得ず撤退。7月22日にはファマグスタに撤退した[2]。
ジャンはキプロス王ピエール1世の暗殺に関与したとして、王妃エレオノールやジェノヴァ共和国の扇動によってニコシアで暗殺された。歴史家ステファン・ド・リュジニャンはジャンの子孫である。
家族
ジャンは2度結婚した。1度目は1343年4月16日にシチリア王フェデリーコ2世と王妃エレオノーラ・ダンジョの娘コンスタンツァと結婚[1]、2度目は1350年4月13日にキプロスの執政官ギーと妻マーガレットの娘アリスと結婚し、以下の子をもうけた。
- ジャック・ド・リュジニャン - 1382年に名目上のトリポリ伯となり、従姉妹のマリエット・ド・リュジニャンと結婚。
脚注
- 1 2 Edbury 1994, p. 143.
- ↑ Setton 1976, p. 282.
参考文献
- Setton, Kenneth Meyer (1976). The Papacy and the Levant, 1204-1571: The thirteenth and fourteenth centuries. American Philosophical Society. ISBN 9780871691149
- L. de Mas Latrie, "Généalogie des rois de Chypre"
- Edbury, Peter W. (1994). The Kingdom of Cyprus and the Crusades, 1191-1374. Cambridge University Press
