オトカル・ノヴァーチェク

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オトカル・オイゲン・ノヴァーチェク
Ottokar Eugen Nováček
ノヴァーチェク・クァルテット(左から2番目)
基本情報
生誕 (1866-05-13) 1866年5月13日
出身地 オーストリア=ハンガリー帝国の旗 オーストリア=ハンガリー帝国 ハンガリー王国の旗 ハンガリー王国、フェールテンプロム(ベラ・ツルクヴァ(英語版))
死没 (1900-02-03) 1900年2月3日(33歳没)
職業 ヴァイオリンおよびヴィオラ奏者、作曲家

オトカル・オイゲン・ノヴァーチェク[1](チェコ語: Ottokar Eugen Nováček, 1866年5月13日 - 1900年2月3日)は、オーストリア=ハンガリー帝国出身のチェコ人のヴァイオリンおよびヴィオラ奏者、作曲家。

生涯

1866年、フェールテンプロム(現ヴォイヴォディナ、ベラ・ツルクヴァ(英語版))に生まれた。父マルティン・ヨーゼフ・ノヴァーチェクに音楽の手ほどきを受けた後、1880年から1883年までウィーンでヤーコプ・ドントに入門し、ライプツィヒ音楽院でヘンリ・シュラディークとアドルフ・ブロツキーに師事し、1885年にメンデルスゾーン賞を獲得する。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とブロツキー弦楽四重奏団に入団し、当初はヴァイオリン奏者として、後にヴィオラ奏者として活動した。

その後に渡米し、1891年にアルトゥール・ニキッシュ指揮下のボストン交響楽団に入団した後、1892年から1893年までニューヨーク・ダムロッシュ管弦楽団の首席ヴィオラ奏者に迎えられた。1899年に心臓病により演奏活動から引退することを余儀なくされ、作曲活動に専念した。ニューヨークにて没。

兄弟のルドルフ、カレル、ヴィクトルも音楽家になっている。

作曲作品

主要な大作に3つの弦楽四重奏曲(順に1890年、1898年、1904年出版)と、フェルッチョ・ブゾーニにより初演されたピアノ協奏曲(1894年作曲)、8曲の『協奏的奇想曲』 (Concerto caprices) がある。しかし作曲家としては、『常動曲』(無窮動)に代表されるヴァイオリンとピアノのための性格的小品で名高い。声楽曲では、6曲からなる『レフ・トルストイ歌曲集』がある。

脚注

  1. ↑ 姓は「ノヴァチェク」、「ノヴァチェック」と日本語表記されることがある。

外部リンク