ガツィとガイム
ガツィ(ジョージア語: გაცი)とガイム(ジョージア語: გაიმი、別形はガ(ジョージア語: გა))は、キリスト教受容以前のカルトリ(古典史料でイベリアと呼ばれる)の神々であり、中世ジョージアの文献に記録されている。『聖ニノの生涯』は、4世紀にムツヘタで宣教した聖ニノが、主神アルマジの偶像の右側に立つ黄金製のガツィ像と、左側に立つ銀製のガイム像を目にしたと伝える。『カルトリの改宗』の諸異本では、両神は「すべての隠されたものを探究する者」とされる。ガツィとガイムについての記録は、『カルトリの改宗』、『聖ニノの生涯』、『カルトリの生涯』など、中世ジョージアの文献に見られる。ミヘイル・ツェレテリは、両神が小アジアのアッティスとキュベレーに対応する神々であった可能性を指摘している[1]。
中世史料における記述
ガツィとガイムについての記録は、中世ジョージアの文献に限られる。ミヘイル・ツェレテリは、『カルトリの改宗』を7世紀、『聖ニノの生涯』を9世紀、年代記『カルトリの生涯』の異教に関する部分(レオンティ・ムロヴェリに帰される)を11世紀の成立と位置付ける[2]。これらの史料の挙げるカルトリの異教の神々は、アルマジ、ザデン、ガツィ、ガ(ガイム)であり、『カルトリの生涯』や『カルトリの改宗』には、さらにアイニナとダニナが加わる[3]。異教に関する記述は、『聖ニノの生涯』が最も詳しい。一方、レオンティ・ムロヴェリに帰される『カルトリの生涯』の記述は、『カルトリの改宗』からの引用と『聖ニノの生涯』のほぼ逐語的な写しから成る[3]。
聖ニノの生涯
『聖ニノの生涯』によれば、聖ニノはアルマジの祭日に王都ムツヘタで、王と民衆が恐れおののきながら礼拝する偶像の前に進み出た。アルマジの偶像は、黄金の甲冑と兜をまとい、稲妻のように輝く剣を手にした銅製の武人像として描かれる。ニノは、その右側に立つ黄金製のガツィ像と、左側に立つ銀製のガイム像を目にした[4]。デイヴィッド・マーシャル・ラングの英訳では、この箇所は次のように訳されている。
- 「その右には、黄金で造られた、人の顔を持つもう一つの像が立っていた。その名はガツィであり、その左には、人の顔をした銀の偶像が置かれ、その名はガイムであった。これらはジョージアの民の神々であった」[5]
ヴラス・ヴァツァゼが引用するジョージア語原文では、この箇所は「また、その右には黄金の人があり、その名はガツィであり、その左には銀の人が立ち、その名はガイムであった」(და კუალად იყო მარჯუენით მისსა კაცი ოქროსი და სახელი მისი გაცი: და მარცხენით მისსა უდგა კაცი ვერცხლისა და სახელი მისი გაიმ)と記されている[6]。同書では、ミリアン3世は両神を「われらの父祖の古き神々、ガツィとガ」と呼んでいる[7]。『聖ニノの生涯』はまた、ジョージアには王の神々(θεοὶ βασίλειοι)であるガツィとガも存在し、王侯の子が一人、これらの神々に捧げられた後、火で焼かれ、その灰が偶像の頭の上にまき散らされたと記す[7]。
カルトリの改宗と諸異本
『カルトリの改宗』によれば、アレクサンドロス大王はアラン=カルトリ(異本ではアリアン=カルトリ)の王の子アゾをムツヘタの王に据えた。アゾは父の国から人々を引き連れて帰還した際、ガツィとガの偶像を携え、これを神として礼拝した[8]。一方、『カルトリの生涯』冒頭の「王たちの生涯」では、アゾがアレクサンドロス大王の死後にムツヘタでガツィとガイムの偶像を造り、礼拝したと伝えている[9][6]。ヴァツァゼは、両神はアゾが新たに導入した神々ではなく、それ以前からカルトリの住民に知られていたと解釈する。『カルトリの改宗』が両神を「父祖の古き神々」と呼ぶのも、そのためだとする[6]。『カルトリの改宗』のシャトベルディ系テキストには、両神への供犠について「彼らに一人の乳飲み子が捧げられ、火で焼かれ、その灰が偶像の頭の上にまき散らされた」と記す[10]。ヴァツァゼが引用する原文は「შეიწირვოდა მათა ერთი სეფეწული ცეცხლითა დაწუვად და მტუერი გარდაბნევად თავსა კერპისასა」である[10]。
『カルトリの改宗』の諸異本では、ガツィとガイムは「すべての隠されたものを探究する者」と形容され、ジョージア百科事典の「ガイム」項目でも同様の説明がなされている[6][11]。『カルトリの生涯』の古いアルメニア語訳では、両神は父祖伝来の神々とされ、「太陽を輝かせる者、雨を与える者、地の実りを育てる者」で形容される[6]。このアルメニア語訳では、アルマジにもザデンにも言及がなく、他の異本で両神を形容する句がガツィとガイムに用いられている。ヴァツァゼは、アルマジ信仰の導入後、ガツィとガイムは最高神とはみなされなくなったと解する[6]。偶像の材質に関する記述も、史料によって異なる。『聖ニノの生涯』ではガツィが黄金、ガイムが銀とされるのに対し、マリアム王妃版とアナ王妃版の『カルトリの生涯』では、アゾが造った偶像は「二体の銀の偶像」とされている。これらの異本では、偶像の名は記されていない[6]。
神名の異形
『カルトリの改宗』の本文は、シャトベルディ系、チェリシ系、シナイ系の諸異本に伝わる。シャトベルディ系は、973年にシャトベルディ修道院で写されたとされる『シャトベルディ写本集』(ジョージア国立写本センター所蔵、S-1141)に収録された本文である。チェリシ系は、14世紀から15世紀に写されたとされるチェリシ写本集(H-600)に伝わる本文である。シナイ系は、シナイ山の聖カタリナ修道院に伝わるジョージア語写本 N/Sin.Georg.48 および N/Sin.Georg.50 に伝わる本文を指す。これらの写本と『カルトリの生涯』の諸写本では、ガツィとガイムの名に複数の異形が確認される[12]。
- シャトベルディ系:ガツィ(გაცი)、ガ(გა)
- チェリシ系:ガツィ/ガイツ(გაცი/გაიც)、ガツァ/ガツァイ(გაცა/გაცაჲ)
- シナイ系:ガツィ(გაცი)、ガ/ガツァ(გა/გაცა)
- 『カルトリの生涯』:ガツィ/ガツ(გაცი/გაც)、ガイム/ギム/ガイアム/ガイマア(გაიმ/გიმ/გაიამ/გაიმაა)[12]
また、ジョージア百科事典の「ガイム」項目は、ガ(გა)、ガイ(გაი)、ガイム(გაიმ)、ガイマ(გაიმა)、ギム(გიმ)を異形として挙げる[13]。
ミヘイル・ツェレテリは、ガツィの名にはガイ(Gaii)という異形が見えることを指摘する。また、レオンティ・ムロヴェリに帰される文献の「ガイマア」(Gaimaa)は、省略形とされるガイムの完全形「ガイマー」を伝えている可能性があると論じている[14]。なお、『カルトリの生涯』の古いアルメニア語訳では、両神の名はガイミ(Gayim)とガツィミ(Gatsimi)として現れる[6]。
起源と神格をめぐる諸説
セム系起源説
言語学者ニコライ・マルは、ガツィとガをセム語圏に由来する神名とみなし、両神の名は書物を通じてジョージアの文献に入り、後にジョージアの民族神として扱われるようになったと論じた。マルによれば、ガイムの語尾の -im をヘブライ語の複数形の接尾辞とみなし、ガについてはアスタルテとの比較が可能だと論じた。また、マルは、ジョージア語聖書訳に現れる「ガイ」(გაი)を、エレミヤ書49章3節に登場するパレスティナの地名と結び付け、東方の史料に見える神名アルガ(ალგა)とも関連付けた[15][6][13]。ガツィについては、マルはアッシリアの神ガティに比定した[6]。
小アジア起源説
ミヘイル・ツェレテリはニコライ・マルの説に反対し、ガツィを、小アジアに起源を持ち、シリアでは「アテ」として知られた神、すなわちギリシア・ローマの文献にいうアッティスに比定した。また、ガイムを「ガイ・マ(Gay-Ma)」(「母なるガイ」の意)と解し、小アジアの女神マーに比定した。ツェレテリは、両神を、小アジアで広く信仰されたアッティスとキュベレー(マー)に対応する一対の神々とみなした[1]。キリル・トゥマノフも、アリアン=カルトリから携えられた神々ガツィとガイムは、アッティスとキュベレーの一形態であった可能性があると述べている[16]。トゥマノフはまた、アリアン=カルトリを、プトレマイオスが『地理誌』5.6.18で小アルメニアに記した地名、およびヒッタイト文献に見えるハッラナに比定している。そのうえで、アリアン=カルトリはトガルマ(タバルの地)に近かったと論じている[16]。
在地起源説
両神をジョージア人の祖先伝来の神々とみなす解釈もある。イヴァネ・ジャヴァヒシヴィリは、ジョージア人は原初の故郷から、最も古い父祖伝来の信仰対象である二体の神像を携えてきたとし、それ以外の偶像はすべて、後世に導入された神々のものだと述べた[6]。シモン・ジャナシアは、史料の「ガツィとガ、われらの父祖の偶像はカルトリのものである」という句を、ジョージア人の祖先が礼拝した神々はカルトリの神々であったという意味に解した[6]。
ギオルギ・メリキシヴィリは、『カルトリの改宗』の移住の記述に基づいてパンテオンを移入民の神々と在地民の神々の二群に区別したうえで、アルマジとザデンを移入民の神々、ガツィとガを在地の神々とみなし、公式のパンテオンは両者の融合を反映すると論じた[6]。ヴァツァゼも、ガツィとガイムはジョージア人の祖先がカルトリに持ち込んだ偶像であり、アルマジ信仰の導入後もアルマジの偶像の傍らに置かれたと解釈する。さらに、両神の機能が、ミスラに付き従う審判者であるスラオシャとラシュヌに類似する可能性を論じている[6]。
その他の比定・解釈
グリゴル・ギオルガゼは、アルマジ、ガツィ、ガをヒッタイト・フルリ人のパンテオンに由来する三神組とみなした[17]。その際、ギオルガゼは両神の起源をヒッタイト・ルウィ語圏に求め、ガツィを、ヒッタイトの気象神タロス(テシュブ)の守護神とされるハツィ(Khatsi)に比定した[6]。
ジョージア百科事典の「ガイム」項目では、ガイムは、パルナヴァズ1世が創設したとされるアルマジ信仰の三神組(アルマジ・ガツィ・ガイム)を構成する副次的な男性神とされる。また、その機能については、アルマジの守護神または従者神であった可能性が指摘されている。同項目は、ヒッタイト・フルリ人の三神組(イシュタル・ニナッタ・クリッタ、タロス・ハツィ・ナムニなど)との構造的な類似も指摘する[13]。
ニコロジシヴィリの説
ニコロズ・ニコロジシヴィリは、アルマジ、ガツィ、ガの偶像が同じ場所に並んでいたことだけでは、三神が古典的な意味での三神組を構成していたとはいえないと論じ、ガツィとガを一対の神々と解釈した[18]。また、ガツィを男性神、ガを女性神と推定し、ガの名を古代ギリシア語の大地女神ガイア(Γαῖα。方言形Γῆ、Γᾶ)に、ガツィの名を「耕作者」を意味するとされるギリシア語の語形(γήτης/γηίτης、方言形γάτης)に結び付けた[19]。さらに、ガツィとガの信仰を、キュベレーとアッティスに類する死と再生の神の信仰とみなし、アゾがカルトリにもたらしたと推測した[19]。
史料上の限界
カルトリには、両神の名に結びつく人名や地名は確認されず、両神のために建てられた礼拝所も知られていない。この点は、地名などに痕跡を残すアルマジやザデンとは対照的である。また、後世の民間伝承には、ガツィやガイムという名の神々は登場しない[6]。ジョージアのキリスト教化に伴い、両神の偶像は破壊されたとされる[6]。なお、第6全地公会議の規則のジョージア語訳に、アトス山のエウティミオスが付した注記には、滅ぼされた異教の偶像の名としてボチ、ガツィ、バダゴン、アルマズが列挙されており、この注記はギオルガゼによるガツィのハツィ比定の根拠の一つとされる[6]。
脚注
- 1 2 Tseretheli 1935, pp. 52–54.
- ↑ Tseretheli 1935, pp. 29–30.
- 1 2 Tseretheli 1935, p. 30.
- ↑ Lang 1956, pp. 23–24.
- ↑ Lang 1956, p. 24.
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 Vatsadze 2014.
- 1 2 Tseretheli 1935, pp. 50–51.
- ↑ Tseretheli 1935, p. 50.
- ↑ Kaukhchishvili 1955, p. 20.
- 1 2 Gigineishvili & Giunashvili 1979, p. 337.
- ↑ Giorgadze 1978, p. 24.
- 1 2 Nikolozishvili 2006, p. 79.
- 1 2 3 Georgian Encyclopedia.
- ↑ Tseretheli 1935, pp. 51–52.
- ↑ Tseretheli 1935, pp. 51–53.
- 1 2 Toumanoff 1963, p. 90.
- ↑ Giorgadze 1988.
- ↑ Nikolozishvili 2006, pp. 78–81.
- 1 2 Nikolozishvili 2006, pp. 85–93.
参考文献
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- Vatsadze, Vlas (2014). “იბერიის სამეფოს წარმართული ღვთაებები” (ジョージア語). 2026年10月22日閲覧.