キューガーデン

ウィキペディアから、無料の百科事典
世界遺産 キュー王立植物園
(イギリス)
園内のパーム・ハウス
園内のパーム・ハウス
英名 Royal Botanic Gardens, Kew
仏名 Jardins botaniques royaux de Kew
面積 132 ha (緩衝地域 350 ha)
登録区分 文化遺産
登録基準 (2), (3), (4)
登録年 2003年
公式サイト 世界遺産センター(英語)
地図
キューガーデンの位置(リッチモンド・アポン・テムズ区内)
キューガーデン
キューガーデンの位置(グレーター・ロンドン内)
キューガーデン
キューガーデンの位置(イングランド内)
キューガーデン
使用方法・表示

キュー・ガーデンズ (Kew Gardens) は、イギリスの首都ロンドン南西部のキューにある王立植物園。キュー植物園などとも呼ばれる。1759年、英国王ジョージ3世の母オーガスタ妃が、宮殿に9エーカーの植物園を併設したのが始まりで、今では世界で最も有名な植物園として膨大な資料を有している。2021年11月23日の時点でアフリカ・熱帯アジア・オーストララシアといった地域のものを中心に世界中で採取された種子植物の標本700万点・菌類および地衣類の標本125万点を所蔵しており、標本はインデックス・ヘルバリオールムで割り当てられたコード K という形で文献に引用される[1]。2003年にユネスコ世界遺産に登録された。新種の発見などに貢献している。

概要

植物園はロンドンの中心部から南西に位置するリッチモンドとキューの中間に設けられている。いまや公園ではなく、大規模な研究施設である。古くからカーティス・ボタニカル・マガジンを出版している。

1948年から2012年9月にわたる歳月をかけて『熱帯東アフリカの植物誌』(英: Flora of Tropical East Africa) を編纂した。ウガンダ・ケニア・タンザニア3カ国の植生を網羅したこの事業は12100種を収録、263巻という大ボリュームである。

キューガーデンは植物に関する情報をウェブで公開し普及に努めている。東南アジアについてライデン植物園と情報を共有するなど、ネットワーク自体の拡大も推進している。他の国際的研究機関とも協力して世界的な植物誌の完成をめざす。さらに、種子銀行としてのミレニアム・シード・バンク・プロジェクトを主導する。

過去には、ジョゼフ・バンクスやジョセフ・ダルトン・フッカーなどが園長を務めた。

園内には鉄骨造のガラス温室の「パーム・ハウス(英語版)」と「テンパレート・ハウス(英語版)」、オレンジェリー、クイーン・シャーロット・コテージ、フォリーの寺院、ツツジの「デル」、グレート・パゴダ、植物標本館など歴史的建造物が点在し[2]、4棟がイギリス指定建造物1級に指定されている。

歴史

キュー・ガーデンズの歴史はテュークスベリーのケープル卿が熱帯植物を集めた庭を作ったことに始まる。その後この庭はジョージ2世の長男フレデリック皇太子の未亡人であるオーガスタ妃によって拡張され、ウィリアム・チェンバーズの設計による建築物が何棟か建てられた。そのうちの1つである1761年建造のグレート・パゴダは今日も残されている。

ジョージ3世はウィリアム・エイトンやジョゼフ・バンクスに命じてさらに庭園の植物を豊かなものにさせた。旧キュー・パークは1802年に廃止され、1781年にジョージ3世は隣接するダッチ・ハウスを買い上げて、王室の子供達を育てる施設とした。この建物は現在キュー宮殿として残されている。

1840年に庭園は国立の植物園と改組された。ウィリアム・ジャクソン・フッカーの指揮のもとで植物園は30ヘクタールにまで拡張され、さらに後の改修で現在の120ヘクタールの敷地が完成した。

イギリス植民地政策とキューガーデン

往時のキュー王立植物園は、世界各地から資源植物(人間生活に必要なものを作ることができるとされた植物)を集め、品種改良などをおこなう場でもあった。改組同年より始まったローランド・ヒルの郵便を利用して、イギリス植民地内の各植物園と情報交換などを行った。そして、育成条件の合致する植民地に移植してプランテーションでの大量生産を図った。以下は移植例。

ガーデン改組の時期に加硫ゴム製法が生まれ、そこへ海底ケーブル絶縁体としての特需がきて、南米のゴムの木を傷つけすぎにより枯死させていたが、南米諸国の目を盗んで移植したゴムは十分な供給量を確保した。

園内の施設

パームハウス

1844年から1848年にかけて建設された世界でも最も古いヴィクトリア朝様式の温室の一つで、英国の重要文化財(グレードI)に指定されている。

パームハウスは、建築家のデシマス・バートン (Decimus Burton) と鉄工家のリチャード・ターナー (Richard Turner (iron-founder)) によって建設された。設計には、造船技術が応用されており、そのためか船を逆さにしたような造形になっている。

鉄とガラスを用いてかつてない規模で建設されたパーム・ハウスは、大英帝国の全盛期に収集された熱帯植物を保護し、研究するために作られた。

現在、野生下ではすでに絶滅してまった種や絶滅の危機に瀕している種も含めて1,000種以上の植物が収容されている。温室の手前には「Palm House Parterre(パーム・ハウス・パルテール・花壇)」があり、季節ごとに植え替えられる美しい花々が楽しめる。また、パームハウスの裏手はバラ園になっている。

今日では、世界各地の植物種を研究・保全するための「生きた実験室」として、科学者たちがこのパーム・ハウスを活用している[3]。

プリンセス・オブ・ウェールズの温室

この温室は、ゴードン・ウィルソンによって設計され、キュー・ガーデンの設立者であるオーガスタ妃にちなんで名付けられた。1987年に故ダイアナ妃によって開館された。温室は、熱の損失を防ぐために、地下深くへと埋め込まれるような構造になっている。また、雨水を貯めるための3つの貯水槽も地下に埋設されている。展示ゾーンはコンピュータ制御によって10種類の異なる気候ゾーン(「Arid」「Seasonally arid」「Temperate carnivorous」「Tropical camivorous」「Tropical rainforest」「temperate orchids」「Tropical orchids」「Tropical ferns」「Temperate ferns」「Temperate displays」)で区画されており、12,000株を超えるさまざまな生態系の植物を鑑賞できる。

キュー宮殿

キュー宮殿は、数ある王宮の中で最も小さな宮殿だが、もともとは1631年に、ロンドンの裕福な絹商人サミュエル・フォートリーが邸宅として建設したものだった。 ジョージ2世とキャロライン王妃は、この小さなキューの地を気に入り、週末を過ごす隠れ家として利用するようになった。1731年、ジョージ3世の父フレデリック(※ジョージ2世の長男)は、現在のキュー宮殿の向かいにあった大きな邸宅を借り受けた。彼は建築家ウィリアム・ケントを雇って改修を行い、建物を「白い古典様式のヴィラ」へと変貌させた。これがキューにおける王室の主要な邸宅となり、王室の厨房をはじめとする多くの付属施設が併設された。そして 現在のキュー宮殿は、ジョージ3世の夏の住まいとなり、精神疾患に倒れたジョージ3世の避難場所になった。

ジョージ3世は、1801年と1804年、心身の不調を抱えシャーロット王妃や娘たちとともにキュー宮殿を訪れた。1801年4月、医師のフランシス・ウィリス (Francis Willis (physician)) は、暖炉の上に飾られていたヴァン・ダイクの自画像について尋ねるという口実でジョージ3世を食堂へと誘った。ジョージ3世は医師の企みに気づいて逃げ出そうとしたが、医師の部下たちがドアを塞いで立ちふさがったため、最終的にジョージ3世はキュー宮殿での治療に同意した。ただし家族が近くに滞在することが条件だった。

1804年、ジョージ3世は再び心身に不調をきたし、キュー宮殿で治療を受けた。治療には、シャーロット王妃と娘のオーガスタ、アメリア、エリザベス、ソフィアも同行した。国王は宮殿の1階でのみ生活し、王妃と王女たちは上の階で暮らした。ジョージ3世は医師の立会いのもとでしか家族と面会することはできなかった。

1818年6月、シャーロット王妃はロンドンとウィンザーの間を旅したが、最後まで旅を続けるだけの体力が残っていなかった。彼女は最期の数ヶ月をキュー宮殿で過ごして11月17日に息を引き取った。 シャーロット王妃が亡くなると、王女たちはキュー・パレスを後にした。その後、ジョージ3世は1820年1月29日にウィンザー城で崩御する。これ以降、キュー・パレスに王族が住むことは二度となかった。しかし、ジョージ3世の孫娘であるヴィクトリア女王にとって、キュー宮殿は特別な意味を持つ場所だった。宮殿に飾られた先祖の肖像画は「非常に興味深く、好奇心をそそるもの」であり、敷地内に咲くブルーベルの花は「言葉では言い表せないほど美しい」ものであった。 1898年、ヴィクトリア女王はキュー・パレスを一般公開し、宮殿の未来を後世へとつないだ。

日本庭園と日本の桜

王立植物園内には、5000平方メートルに及ぶ日本庭園がある。日本庭園には1910年にロンドンで開催された日英博覧会に出展された勅使門がある[4]。勅使門は京都・西本願寺の唐門のレプリカで、大きさは実物の5分の4程度となっている。

「この勅使門は、全体は桧造り、屋根は桧皮葺で、欄間や羽目板には華麗な彫刻が施され、飾り金物が随所に装飾されていた。博覧会終了後まもなくキューガーデンに移築されたが、八十有余年を経て老朽化が著しくなったため、1994年10月から1995年11月にかけて、日本の伝統技術や新たに開発された技術によって修復された[5]。」西本願寺の唐門には極彩色の彫刻が施されているのに対し[6]、キューガーデンにあるレプリカは、ヒノキの風合いを活かした造りになっている。

植物園には、1980年(昭和55年)に日本花の会から贈られた松前系[注 1]の八重桜53本が植樹されている[7]。また1993年(平成5年)には、多くの松前系の八重桜を生み出した浅利政俊から58品種の桜がウィンザー大公園と共に贈られて植樹され、このうち56品種が活着している。そしてキューガーデンやウィンザー大公園が起点となって、これらの桜がイギリス各地に広まっている。これらの品種のうちベニユタカ(紅豊)やリュウウンインベニヤエザクラ(龍雲院紅八重桜)など19品種は王立園芸協会のガーデン・メリット賞に選ばれている[8][9]。

グレート・パゴダ

ウィリアム・チェンバース卿が1762年に建設した中国風建築物で、植物園の設立者であるオーガスタ妃の誕生日プレゼントとして捧げられた。

建設当初グレート・パゴダの屋根には木製の龍が設置されていたが、老朽化などの理由から1780年代に撤去されてしまった。グレート・パゴダは2006年に短期間一般公開されて以降、長期間閉鎖されていた。閉鎖期間中、大規模な改修工事が行われ、2016年からの改修では、かつて設置されていた80体の龍が再び設置された。そして2018年7月13日に再オープンし、現在、塔内部で再び入場できるようになった[10]。内部にはチェンバースが設計した当時のままの253段の螺旋階段があり、頂上からはロンドンの街並みを見渡すことができる。

登録基準

この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
  • (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
  • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

ギャラリー

キューガーデンのパノラマ

関連項目

参考文献

  • L.H.ブロックウェイ『グリーンウェポン : 植物資源による世界制覇』(小出五郎訳、社会思想社、1983年5月)
  • 川島昭夫「植物と市民の文化」(山川出版社)
  • A Year at Kew : Titchmarsh, Alan, Smith, Rupert

脚注

注釈

  1. ↑ 松前藩の頃からある現地由来の桜や、北海道在住の浅利政俊がそれらを掛け合わせるなどして作出した100品種以上の桜のこと。

出典

  1. ↑ “Herbarium Details | Royal Botanic Gardens”. Index Herbariorum. New York Botanical Garden. 2021年12月7日閲覧。
  2. ↑ “Royal Botanic Gardens, Kew” (英語). UNESCO World Heritage Centre. 2023年5月4日閲覧。
  3. ↑ “Visit Kew's Palm House”. Board of Trustees of the Royal Botanic Gardens, Kew. 2026年10月12日閲覧。
  4. ↑ “ロンドンにある日本庭園”. 英国ニュースダイジェスト. 2026年5月14日閲覧。
  5. ↑ キューガーデン内の「勅使門」に関する案内掲示板より。
  6. ↑ “境内と建造物”. | 観る|龍谷山 本願寺【お西さん(西本願寺)】-本願寺への参拝(参る・知る・観る). 龍谷山 本願寺(西本願寺). 2026年10月9日閲覧。
  7. ↑ 日本花の会 日本花の会が関わった名所 桜の名所づくり植樹編
  8. ↑ 松前町商工観光課 facebook 2015年4月14日
  9. ↑ 英国と松前結ぶサクラの絆紹介 記念碑横に説明看板設置 函館新聞 2018年4月6日
  10. ↑ Kennedy, Maev (2018年7月10日). “Dragons return to Kew Gardens pagoda after 200-year absence”. The Guardian (イギリス英語). ISSN 0261-3077. 2026年10月16日閲覧.

外部リンク

座標: 北緯51度28.480分 西経0度17.728分 / 北緯51.474667度 西経0.295467度 / 51.474667; -0.295467