| ゴジラ対ヘドラ | |
|---|---|
| 監督 | 坂野義光 |
| 脚本 |
|
| 製作 | 田中友幸 |
| 出演者 | |
| 音楽 | 眞鍋理一郎 |
| 主題歌 |
「かえせ! 太陽を」 麻里圭子with ハニー・ナイツ&ムーンドロップス |
| 撮影 | 真野田陽一 |
| 編集 | 黒岩義民 |
| 製作会社 | 東宝[出典 3] |
| 配給 | 東宝[1][2] |
| 公開 |
|
| 上映時間 | 85分[出典 5][注釈 2] |
| 製作国 |
|
| 言語 | 日本語 |
| 配給収入 | 2億9千万円[3] |
| 前作 | ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃 |
| 次作 | 地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン |
『ゴジラ対ヘドラ』(ゴジラたいヘドラ)は、1971年(昭和46年)7月24日に「東宝チャンピオンまつり」のメインプログラムとして公開された東宝製作の日本映画で[4]、ゴジラシリーズの第11作である[出典 6]。カラー、シネマスコープ[出典 7]。略称は『ヘドラ[5]』『対ヘドラ[6]』。監督は坂野義光、主演は山内明。
観客動員数は174万人[出典 8]。
本作品は円谷英二の没後に初めて作られたゴジラ映画であり、シリーズの新たなスタートとなった作品でもある[出典 9]。独特の作風からシリーズで最も異色の作品となっており[出典 10]、特にゴジラの飛行シーンは賛否両論を呼んだが、カルト的な人気も誇る[出典 11]。
時代背景として、大きな社会問題であった公害問題を前面に打ち出し、特に当時話題だった「四日市コンビナートの工場煤煙」や「田子の浦港ヘドロ公害」を題材に採った[出典 12][注釈 3]。その田子の浦港の汚染された海から生まれた怪獣ヘドラと、怪獣王ゴジラが対戦する構図は、第1作『ゴジラ』のメッセージ性を継承していると評される[7]。サイケデリック文化や若者のモラトリアムなど同時代のさまざまな背景も色濃く盛り込まれ[出典 13]、公害をテーマとしたアニメが挿入されるなど異色作となっている。従来の作品のような防衛隊などの架空組織ではなく、自衛隊が登場するのも特徴である[8]。
この年の春と前年の夏、冬の「東宝チャンピオンまつり」興行では、旧作ゴジラ映画の短縮再編集版がメインに置かれた。夏興行用に制作された本作品は、『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』以来、2年ぶりの新作ゴジラ映画となった。同年には『宇宙猿人ゴリ』『帰ってきたウルトラマン』『仮面ライダー』といった特撮テレビドラマが制作されるなどの第二次怪獣ブームが起きており、本作品もその人気の一端を担った[9][10]。
公開時のキャッチコピーは、「流れ星でやって来た公害怪獣ヘドラ! 街を森をふみつぶし 二大怪獣が大決戦!」[11][注釈 4]。
本作品の監督を担当した坂野義光は後に続編『ゴジラ対ヘドラII』のプロットを書き下ろしている[12]が、2017年に死去したために映像化は叶わなかった。
アメリカでは『GODZILLA vs The SMOG MONSTER』[13]、ポーランドでは『Godzilla kontra Hedora』[14][15]、その他の外国では『Godzilla vs. Hedorah』[13]のタイトルで公開された。
海洋汚染が進み、赤褐色となった駿河湾では、オタマジャクシに似た奇妙な生物が見つかったうえ[16][17]、沖合でそれに似た怪獣によるタンカー事故が相次いで発生していた[18][19]。漁師の伍平から奇妙な生物を持ち込まれた海洋生物学者の矢野は息子の研と共に海中に潜って調査を始めるが[18]、矢野は海底で謎の生物に襲われて顔半分が焼け爛れる重傷を負い[17]、研も海岸で巨大なオタマジャクシ状の生物を目撃する[20][21]。
ゴジラが大好きな研は、「ヘドロだらけの海を見たらゴジラも怒るだろうな」と考える[19]。研によって「汚れた海から生まれた怪獣」ということでヘドラと命名された謎の生物は、ある夜に田子の浦の工業地帯の煤煙やガソリンを求めて上陸し、スモッグを吸収する[22]。ゴーゴー喫茶で踊っていた行夫とミキはヘドラに遭遇し、そこへゴジラが出現する。ゴジラとヘドラは激戦を繰り広げるが、決着は付かない[18][19]。翌日、ヘドラのヘドロ状の体液や身体の破片に含まれていた有害な硫酸ミストによる被害が蔓延していた田子の浦港で、矢野は散らばっていたヘドラのスパークした体液から、オタマジャクシと同様の鉱物から発生した生物であると推論し、さらに2人の目撃談から汚染の中で隕石の付着物質が生命となり、変態して怪獣化、硫酸ミストを体内で生成するようになったと結論づけている[21]。
ヘドラは当初、夜間や雨天時しか上陸しないと思われていたが、成長したヘドラは飛行能力を得て白昼に出現する[18][19]。ヘドラの飛行先では硫酸ミスト由来の光化学スモッグが散布され、人々が次々と倒れていく[19]。ゴジラも再び現れるが、ヘドラを倒すには至らず、取り逃がしてしまう[出典 14]。
ヘドラによる被害はますます増大し、深刻な社会問題となる。矢野は研のアイディアからヘドラを倒す方法を思いつくが[18]、ヘドラはゴジラをしのぐほどに巨大化し、富士山麓に出現する[19]。そしてゴジラも三度現れ、ヘドラとの最終決戦が始まる[19]。
ヘドラはヘドロ弾でゴジラの左目を貫いて右腕を白骨化させ、自衛隊が建造した巨大電極板も損傷させられるなどの被害が出るが、車のヘッドライトに引き寄せられたヘドラが電極板の間に入り、ゴジラが放射能火炎を放ったことで電流が流れ始める[18][19]。300万ボルトの高圧電流を受けてヘドラは乾燥するが、乾燥していたのは体表だけであり、体内からは一回り小さなヘドラが出現する[19]。飛行して逃亡するヘドラを、ゴジラは放射能火炎を推進力として用いた飛行で追跡して墜落させ、再び電極板の間に押し込みながらその身をむしり、高圧電流と放射能火炎で完全に乾燥させて駆逐する[22][19]。
ゴジラは、ヘドラがここまで育った原因を作った人間たちの一部である自衛隊員たちを睨みつけて畏怖させると、静かに海へ帰っていく。その姿を、研は別れの言葉を告げて見送る。
かくして平和が戻ってきたかに見えたが、ヘドロだらけのどこかの海では、新たなヘドラが誕生しつつあった[18]。
娯楽の多様化とテレビの台頭による「邦画の斜陽」は、当時の東宝本社に深刻な制作本数の減少と売上の悪化をもたらし、「何をやっても当たらない」という状況となっていた。また、東宝特撮映画の顔であった特技監督の円谷英二が前年初頭に死去したうえ、主要スタッフのほとんどが東宝を辞職もしくは異動させられるなど、当時の東宝特撮の現場はほぼ崩壊状態にあった。東宝本社は組織を解体細分化して「映像事業部」などを発足させ、東宝の看板であった特撮映像技術の生き残りを模索していた[74]。
こうした中、プロデューサーの田中友幸は「もう一度ゴジラを考えよう」と、日本万国博覧会(1970年、以下「万博」)の三菱未来館のホリミラー用映像やクロージングイベントの演出、『日本海大海戦』(1969年、丸山誠治監督)の実景撮影などで円谷組の補佐を務めた、坂野義光に企画を依頼した[出典 30][注釈 15]。坂野は「何でもいい」と言われたので、東京・杉並で前年7月に起きた校庭にいた体操中の女子高生が集団で倒れる光化学スモッグ事件をきっかけに本作品の企画を考え、「『いま最もポピュラーな悪は公害だから、公害の怪獣でもいいですか』と田中プロデューサーに聞いたら『いいよ』との答えだったので、ここから企画が始まった」と述べている[出典 31]。
東宝本社のリストラ断行後も残った陣営による新体制で臨んだ本作品は、上記したような本社の不振を受け、制作予算はこれまでになく低いものとなった[77][注釈 16]。『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』同様、スタッフを本編班と特撮班に分けず、一班体制で制作を行うこととなった[出典 32]ため、本作品の特撮班スタッフは本編班に対する準備班的扱いとなり、中野昭慶と特殊美術スタッフのみがこれに当たる小規模編成が採られた[注釈 17]。撮影カメラマンには、円谷時代の特撮班で撮影を務めて本編撮影は自身初となる真野田陽一が起用された[76]。撮影スケジュールは本編撮影が先行され、新設された「映像企画室」へ異動した川北は本作品では本編付き助監督となり、本編ロケが終わると特撮を手伝うという状況だった。音楽担当は、当初は別の人物が予定されていたが、音楽事務の所健二からの推薦により、眞鍋理一郎が起用された[78]。
坂野は中野と、「これまでのシリーズにない映像を採り入れよう」と打ち合わせたとのことで[79]、「マルチ画面やアニメーションによる抽象的な社会描写の多用」「監督自身による水中撮影」など、全編がゴジラシリーズとしては異色の映像で彩られている。冒頭のヘドロの海が延々と映されるのも「公害」を訴える演出意図によるものであり、坂野は「あれだけ強調してやっとわかるんじゃないかと思う」と語っている。汚染された海面は第9ステージのセットプールに本物の魚や各種素材を混ぜ込むことで表現したが[78]、買ってきた魚を腐らせてから撮影を行ったため、悪臭がもの凄かったという[79][80]。
こういった坂野の「画作りにこだわりたい」との意図から予算配分は映像面に集中され、俳優は極力少人数となった[81]。主演の矢野博士役を務めた劇団民藝所属の山内明ら以外は出演料の少ない新人を中心に起用した。富士宮ミキ役の麻里圭子は、当時のテレビドラマ『サインはV』の主題歌などで知られる歌手であり、演技経験はなかった[82]。後年、麻里が坂野に聞いたところによると、ボディスーツを着ることなどからスレンダーな体型であったことが起用の理由であったという[82]。ヘドロの海に浮いている乳児は本職の子役ではなく、照明スタッフの原文良の孫である[出典 33]。
クランクインは1970年12月21日[83]。クランクアップは1971年2月18日[84]。
本編のセットは「矢野博士の研究室」と「アングラバー」の2つだけに留め、残りはすべてロケセットやオープン撮影とした[出典 34]。また、OHPスクリーンも合成画面に代えて使用され[78]、本編のセットの素材にも前年に東宝が担当した三菱未来館の特撮に使用した小道具が流用されるなど、徹底した省予算の方針が採られた。アングラバーは、坂野がよくロケハンを行った当時の赤坂に存在していたゴーゴー喫茶「MUGEN」をモデルとして[85]再現したセットである[24][注釈 18]。なお、ロケはラストシーンのために富士山の二合目でも行なわれたが、後者は自衛隊が普段の訓練に用いる場所だったという[86]。
特撮のミニチュアセットもコンパクトなものとなった[78][87]。後半の富士の裾野での戦いは、建物のない原野とする苦肉の策であった[87]。港のセットでは『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』のヤーレン号が、工場街のセットでは『妖星ゴラス』の電気機関車などが流用されている[88]。中野によれば、節約を重ねて完成したが、田中はこれに味をしめてしまったため、失敗であったと述べている[79]。合成もほとんど用いておらず、ヘドラの目が赤く輝く描写なども現場処理で撮影された[77]。
制作期間は5週間しかなかった[85]。ラストの決戦シーンは、坂野と中野が同じ特撮第11ステージのセット内で1日に合わせて50カットほどの撮影をこなす[85][87]、驚異的なペースで進行したという。また、自らがスクーバダイビングの免許所持者であり、東宝内で水中撮影班を率いていた坂野は、矢野博士の潜水シーンの吹き替えも担当している[81][注釈 19]。
ミキが自動車でヘドラから逃げるシーンは、当時は開通前だった環状八号線を借り切って撮影された[78][86]。ミキが車を運転するという展開は坂野が急遽決めたことであり、演じる麻里は免許を取得していたもののペーパードライバーゆえに必死であった[82]うえ、転げ落ちる際には下に保護のマットが1枚敷いてあっただけだったという[86]。
製作当時、ゴジラ作品は年少者向けの映画へ移行しつつあったが[注釈 20]、本作品には人間の皮膚が焼けただれる描写や白骨化する描写などの残虐な演出も多く[77][89]、劇中で主人公一家の青年・毛内行夫がヘドラに殺されるなど、物語や音楽も全体的に暗く重い[注釈 21]。ゴジラをヒーローとして空を飛ばせるなど、観客である子供へのサービスも忘れてはいないが、ラストシーンではゴジラに人間に対して怒りの表情を持たせるなど[89]、単なる勧善懲悪に終わらせていない。
本作品を演出した坂野の中で、当時の公害は大きな存在だったという。万博の打ち合わせの行き帰りに通る四日市や田子の浦の環境汚染は、坂野に強い印象を残した[87]。「第1作目の『ゴジラ』にあったメッセージ性を取り戻したい」との気持ちも強く[74][10]、「エビのお化けやなんかと闘うとかじゃなく、最もポピュラーな社会悪と闘うという形にしたい」という考えがあったという[90]。1971年当時、大都市圏では光化学スモッグによって児童生徒が集団で倒れる事件も相次ぎ、劇中で描かれるヘドラの猛威は、現実と重なるリアルさをもって描かれていた。劇伴音楽もこの公害の猛威を強調する意図で作られたが、作曲担当の眞鍋理一郎はおとなしい人柄で、坂野は「曲調をもっと強く」とかなりあおって作曲してもらったという[要出典][注釈 22]。
随所のシーン転換に取り入れられているアニメーションについては、当初に坂野はつげ義春に依頼したが断られ、最終的には三菱未来館で球体スクリーンの映像を手がけた安井悦郎が担当した[出典 35]。
坂野は馬淵薫と共同作業で脚本を執筆しているが、物語の基本的な構想はすべて坂野の意向が反映されたものとなっており[75][91]、「ヘドロの中から成長していく」というヘドラの設定については、「ゴジラが放射能から出てきたのと同じ発想があった」と語っている。坂野は馬淵の第1稿を読んでつまらないと感じ、1人で書き直したという[85]。坂野がなぜつまらない脚本を書いたのか馬淵に問うたところ、馬淵は自身が担当した新人監督はすべてダメだったので今回も手を抜いたと答えたという[85]。
また、坂野は主題歌「かえせ! 太陽を」の作詞も手掛けているが、この歌の詩文は、当時アメリカの反公害運動のテキストだった『沈黙の春』(著:レイチェル・カーソン)からイメージをとったものだった[出典 36]。作曲を担当した眞鍋は、詞が良かったので苦労はなかったと述べている[92]。
本作品の演出には、ルイス・ブニュエルやジャン=リュック・ゴダールなどヨーロッパの映画作家たちのアバンギャルド作品の影響がみられ、本作品のファンである映画評論家・コラムニストの町山智浩にも指摘されている[注釈 23]。
中野によれば、当時の映画館はアークライト方式の映写機を用いていたため映写技師の腕次第で映り方が変わってしまい、後年のHDリマスターにより自身や坂野が意図した色彩が再現されたと述べている[80]。
本作品では飛行形態となって逃げるヘドラをゴジラが追う際、「ゴジラが放射能火炎を放つ際の反動で後ろ向きに空を飛ぶ」というシーンが描かれて話題となった[93][94]が、この「ゴジラの飛行」のために撮影スケジュールには支障が生じている。このシーンは、監督である坂野と特撮班のリーダーである中野が「テレビ時代のスピード感を」と提案して採り入れたものであるが[90][注釈 24]、プロデューサーの田中は「設定を変えられては困る」と猛反発した[87]。このシーンでの田中と坂野による論争を含め、低予算での制作体制が現場にさまざまな軋轢を生んだ[注釈 25]。
田中は、坂野に本多猪四郎から教えを請うよう指示し、本多がラッシュを観ることとなった[79]。本多は田中に特撮のロングショットを撮り足すよう助言し、坂野側が助力を得るかたちとなった[79][注釈 26]。
こうした最中、田中が体調不良で一時入院した[81][76]。坂野は是非を入院中の田中に問えないため、飛ばないバージョンと両方を撮影する予定もあったが、これを幸いと、その間に東宝映画の専務である馬場和夫や宣伝部長、撮影所所長らから「ゴジラの飛行」の許可をもらい、劇中に盛り込んだ[出典 37]。中野によると、このシーンは内外でも賛否両論だったが、アメリカでは大絶賛されたといい[95]、宣伝部長や撮影所所長らも「スピード感が出ていいんじゃないか」と褒めてくれたという[81]。このシーンは坂野によれば、「カットしても前後がつながるよう撮った」というが、田中が退院した時点ではもう変更できない段階だったため、試写でこれを観た彼は「ゴジラの性格を変えてもらっては困る」と立腹し[出典 38]、しばらくは坂野と口を聞かなかったそうである。後年、坂野は田中が「あいつには二度と特撮映画を監督させない!」と激怒していたことを人づてに聞いたと語っている[85][96][注釈 27]。ただし、坂野のことを認めていたようで、日本創造企画に坂野を誘っているほか、『ノストラダムスの大予言』の協力監督と脚本参加を坂野に要請している[76]。
しかし、こうした困難を経て完成した当作は、夏休み興行に空前の「変身・怪獣ブーム」を受けてまずまずのヒットを記録した[3]ため、東宝は「ゴジラが他怪獣とチャンピオンの座を競い合う」というコンセプトのもと、ゴジラ映画を中心とした「東宝チャンピオンまつり」興行を本格化する。また、翌年にはさらにヒーロー化したゴジラにキャラクタライズされた新怪獣ガイガンを加え、『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』を制作することとなる。
中野昭慶は、新聞ごとに賛否が分かれていたり、映画雑誌で賛否両方の批評が並んでいたりするなど、公開当時に本作品の評価は真っ二つに割れていたと証言している[77]。
1978年にアメリカにて刊行された書籍『世界最悪の50本』では、そのうちの1本として本作品が邦画から唯一選ばれており、「汚染された海の退屈なシーンを何度も繰り返し見せられる」、「史上最悪の怪獣映画の一つ」などと酷評された。監督の坂野はこれを素直に喜べないとしたうえで、「100年の映画の歴史の中から『最悪』の50本に選ばれたのは名誉なことである」と自著に記している[97]。
書籍『ゴジラ・デイズ』では、「駄作と異色作の境界を1シーンごとに行き交う、得体の知れない作品」と評価している[98]。
しかし、時代経過と共に風刺アニメやマルチスクリーンを駆使した映像表現などが注目され、反公害映画の社会風刺映画として評価が高まってきた[99]。
2014年に雑誌『映画秘宝』(洋泉社)で行われた「秘宝ゴジラ総選挙!」では、本作品は『キングコング対ゴジラ』『ゴジラ』(初代)に次ぐ3位となった[3]。
後年のインタビューで中野は、当時は映像表現がエスカレートしていた時代であり、自身も坂野も若かったため人類を滅ぼすかもしれない公害には相応の表現が必要だと錯覚し、本作品は残酷すぎたと述懐している[77]。
2021年、『ゴジラ対ヘドラ』の公開50周年を記念して、さまざまな記念グッズの発売や記念イベントが行われている。
2021年11月3日開催の「ゴジラ・フェス 2021」にて新作特撮『ゴジラVSヘドラ』が公開され、YouTubeにおいても同年11月3日から10日まで限定公開された[127][注釈 28]。監督は中川和博、オープニングとエンドロールの流動映像は画家の中山晃子が手掛けた。ゴジラとヘドラのスーツは『ゴジラ FINAL WARS』からの流用であるほか、ミニチュアも過去のゴジラシリーズで用いられたものを含む煙突やガスタンクなど、50棟以上が用いられている[127]。なお、2022年11月3日開催の「ゴジラ・フェス 2022」にて公開された新作特撮『フェス・ゴジラ3 ガイガン来襲』は、『ゴジラVSヘドラ』の続きとして描かれている[128]。
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