サンプソン・リード
サンプソン・リード | |
|---|---|
| Sampson Reed | |
| 生誕 |
1800年6月10日 |
| 死没 |
1880年7月8日(80歳没) |
| 住居 | ボストン |
| 国籍 |
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| 教育 | ハーバード・カレッジ(A.B. 1818)、ハーバード神学校(A.M. 1821) |
| 出身校 | ハーバード大学 |
| 職業 | 薬種卸商、著述家、編集者、公職者 |
| 活動期間 | 1820年頃 - 1880年 |
| 時代 | 19世紀 |
| 団体 | ボストン新エルサレム協会(新教会) |
| 著名な実績 | 『天才についての演説』(1821年)、『心の成長についての考察』(1826年) |
| 代表作 | 『心の成長についての考察』 |
| 流派 | スウェーデンボルグ主義(新教会) |
| 影響を受けたもの | エマヌエル・スウェーデンボルグ、トーマス・ウースター |
| 影響を与えたもの | ラルフ・ウォルドー・エマーソン、超絶主義、ウォルト・ホイットマン(間接的) |
| 活動拠点 | ボストン |
| 肩書き | 『ニュー・ジェルサレム・マガジン』編集者 |
| 親 | ジョン・リード(牧師) |
サンプソン・リード(Sampson Reed、1800年6月10日 - 1880年7月8日)は、アメリカ合衆国の薬種卸商、著述家、編集者であり、エマヌエル・スウェーデンボルグの思想を奉じる新教会(新エルサレム教会)の信徒である。ボストンで薬種卸売業を営みながら、『天才についての演説』(Oration on Genius, 1821年)と『心の成長についての考察』(Observations on the Growth of the Mind, 1826年)を著し、スウェーデンボルグの「照応(コレスポンデンス)」の教説を、自然・詩・教育をめぐる美学として語り直した[1]。
若き日のラルフ・ウォルドー・エマーソンは、この小著に「啓示の相(あらわれ)」を見たと日記に記しており[1]、リードは「超絶主義」の形成期におけるエマーソンの導き手の一人とされる[2]。しかしその後、1838年の『心の成長についての考察』新版序文では、リードは超絶主義を公然と批判し、エマーソンらと袂を分かった[1]。以後は新教会の定期刊行物と市政・州政の公務に活動の場を移し、文学史の表舞台からは退いた。20世紀に入りハットソンやシャウらの研究によって再評価が進んだ[1][3]。
生涯
生い立ちと教育
1800年6月10日、マサチューセッツ州ウェスト・ブリッジウォーターに、3人兄弟の末っ子として生まれた[4]。父ジョン・リード(John Reed)は同地の第一教会の牧師を50年以上務めた人物で、カルヴァン主義の系譜に連なりながら予定説をめぐって離れ、より自由主義的なユニテリアンの説教壇に立った[5][1]。リードは父から大学入学の準備教育を受け、1814年にハーバード・カレッジに入学、1818年に優等で卒業した[5]。その後ケンブリッジのハーバード神学校で学び、1821年にA.M.(修士)を受けた[6]。
スウェーデンボルグとの出会い
神学校でリードは、のちにボストン新エルサレム協会の牧師となるトーマス・ウースター(Thomas Worcester)と同室になった[1]。1815年の夏、ウースターは「スウェーデンボルグの著作」と呼ばれる奇妙な書物の噂を聞き、ハーバード大学図書館で探し回った末、がらくたや剥製が積まれた「博物室」の棚の奥から『天界の秘義』(Arcana Coelestia)などを見つけ出した。5万冊を超える蔵書のうち、これらは閲覧から遠ざけられており、持ち出しには学長の特別許可が必要だったという[1]。ウースターとリード、そして数名の級友はこれらを読みふけった。やがてその多くが当初の進路を断念することになった[1]。
リードは神学校の課程を終えるまでには、スウェーデンボルグの教義体系の熱心な信奉者となっていた。そのため普通の牧師として、説教する道は閉ざされた。彼は生計のため実業に転じた[5]。リード自身は後年、級友たちが教職にも就けなかった事情を回想している。たとえば級友の一人は、自由主義的とされる著名な牧師の反対で公立学校の職を得られず、別の級友はコンコードで決まっていた学校の契約を、やはり高名な牧師の介入で破棄された、という[1]。
『天才についての演説』(1821年)
神学校在学中の1820年、リードは未刊の学位論文「未来の応報についての自然の光からの証拠について」(A Dissertation: On the Evidence from the Light of Nature of a Future Retribution)を書いた[1]。
翌1821年、卒業にあたり、リードは学位授与の場で演説「天才についての演説」(Oration on Genius)を行った[1]。この演説は、スウェーデンボルグの神学をロマン主義の語法で語ったものとして知られる(詳細は後述)。のちにエリザベス・ピーボディ編の『エステティック・ペーパーズ』(Aesthetic Papers)に再録された[1]。
実業と教会活動
卒業後のリードは、ボストンのワシントン通り(フランクリン通り近く)にあったウィリアム・B・ホワイトの薬店で働き始めた。そこで薬種商の仕事を覚え、やがて小売から卸売へと事業を拡大し、自らが設立に関わった商会はこの業界の有力店のひとつとなって、名称を変えながら長く存続した[5]。ボストンの新教会には1820年に加わり[4]、1832年から没年まで役員を務めた[6]。その牧師は、ほぼ半世紀にわたり、リードの学友ウースターであった[5]。
1827年、リードはボストンで創刊された新教会の月刊誌『ニュー・エルサレム・マガジン』(The New Jerusalem Magazine)の共同創刊者となり、以後およそ50年にわたり寄稿を続けた[6][7]。同誌の編集にも長く関わり、また児童向けの『新教会子供雑誌』(New Church Magazine for Children)も長年編集した[5]。生涯に100篇を超えるエッセーを発表したとされる[1]。
『心の成長についての考察』(1826年)
『心の成長についての考察』は、薬店勤めの合間に書かれ、1826年、リードが26歳のときに刊行された。リードは当初これを『ノース・アメリカン・レビュー』に投稿したが、編集者ジャレッド・スパークスは書評ではないことを理由に掲載を断り、単行本として出版するよう勧めた[5]。刊行後は思慮深い読者の注目を集め、1886年までに米英で版を重ねた(版数は資料により異なり、1885年付けの伝記序文は米国で7版・英国で少なくとも2版、シャウは英米合わせて10版とする)[5][1]。
1838年序文と晩年
1838年、リードは同書を『心の成長についての考察——ほかの主題についての所見を添えて』としてオーティス・クラップ社から再刊し、新たな序文で超絶主義を厳しく批判した(後述)[1]。これは、スウェーデンボルグの著作を自らの思想の源として公に認める「良心の行為」であり、結果として文学者としての経歴を事実上終わらせた、と評される[1]。
以後のリードは、『ニュー・ジェルサレム・マガジン』と子供向け雑誌を主な発表の場とし、一方で公職にも就いた。ボストン教育委員会、市参事会、マサチューセッツ州下院に名を連ねたとされる[1]。1880年にはウースターの伝記『トーマス・ウースター伝』を刊行した[8]。80歳になり視力を失ってもなお執筆を続けたと伝えられ、1880年7月8日にボストンで没した[1]。地元紙は、深い宗教心と『心の成長についての考察』が示した思索の深さを讃える追悼を載せた[1]。
19世紀アメリカのスウェーデンボルグ受容
新教会の広がりと「異端視」
アメリカにスウェーデンボルグの教説が伝わったのは18世紀末のことで、オハイオの研究はフランシス・ベイリーを最初のアメリカ人信徒とする[9]。ボルチモアの教会堂は1800年に献堂され、これが国内初とされる。ニューイングランドでは、牧師ウースター父子らの入信を経て、1818年にボストンの協会が設立された[10]。
しかしニューイングランドのユニテリアン主流派はスウェーデンボルグに強い警戒心を抱いていた[1]。神学校出身のリードらが説教壇や教職から締め出されたことは、すでに述べたとおりである。ハーバードの図書館が、その著作を蔵書の中でも別扱いにしていたという逸話にも、当時の空気がうかがえる[1]。
「ヴェールをかけた」受容
こうした環境でリードが選んだのは、「スウェーデンボルグの名を出さず、教会横断的あるいは世俗的な語彙と比喩で教説を語る」方法であった。『天才についての演説』の聴衆の多くは、その思想の源泉に気づかなかったとされる[1]。リード自身、『心の成長についての考察』の価値は、スウェーデンボルグの著作から得たものに由来すると考え、個人的な称賛を拒んだ。1838年以前の版でも、著者は自らを「真理の媒介」にすぎないと述べている[5]。
この「ヴェール」の戦略は、「ロマン主義の語法でスウェーデンボルグを読み替える」試みでもあった。シャウは、リードが自己の独自性を称揚しつつ、それに全体への奉仕という道徳的責務を加え、自然を自然のためではなく、精神を教えるものとして称えた、と整理する[1]。
文人層・知識人層への波及
ボストンの協会は知的水準の高い会員を集め、ニューイングランドの文学・哲学界で一定の威信を得た。エマーソンが「スウェーデンボルグ、あるいは神秘家」の講演を行い、ヘンリー・ジェームズ・シニアが『スウェーデンボルグの秘密』を著したのも、この系譜の延長にある[10]。ただしエマーソンやジェームズが読んだスウェーデンボルグは、同じ新教会の教義的なそれとは必ずしも一致しなかった。
大西洋の向こうでもリードの本は読まれた。1833年夏にカーライルを訪ねたエマーソンは、帰国後ほどなくこの本を贈り、カーライルは、この「スウェーデンボルグ派の薬屋」の思索には確かな深みがあり、自分はスウェーデンボルグを知らなかったのだと思い知らされた、と応えた[5]。また、エマーソンが親友のエディンバラの医師サミュエル・ブラウンに贈った一冊には、エマーソン自身の鉛筆による傍線が残り、のちにその発見がエマーソンの没後に『ジェントルマンズ・マガジン』誌上で紹介された[5]。
一方、エマーソンの叔母メアリー・ムーディ・エマーソンは、『心の成長についての考察』を読んで、あまりに「スウェーデン的」だと評したという[2]。
教義と文学のあいだ
エマーソンの周辺では、ブロンソン・オルコットが言語と啓示についてのスウェーデンボルグ的な見方を教育論の基礎に用い、マーガレット・フラーはスウェーデンボルグが女性に十分な位置を認めることに惹かれた[2]。のちにはスウェーデンボルグを先駆とみなす心霊主義が広がり、フーリエ主義と混交した共同体や、美術雑誌における「照応」論議も生まれた[2]。ヘンリー・ジェームズ・シニアは1840年代の英国での精神的危機の際にスウェーデンボルグを読み、『実体と影』などを著した[11]。ズーバーは、アメリカでスウェーデンボルグが文人にまだ知られていなかった時期に、リードがエマーソンにとって決定的な最初の接点になったと位置づけつつも、エマーソンの受容経路は多元的であったと強調する[2]。
エマーソンへの影響
1821年の演説と1826年の読書
エマーソンは1821年、18歳のときにリードの演説を聴いた。ズーバーは、その場面が、のちの植物園(ジャルダン・デ・プラント)での洞察と並ぶ重要な瞬間と見るべきだと論じる[2]。後年のエマーソンはリードを自らの「早い時期の託宣者」と呼んだ(1836年の日記)[2]。ただし、同じ日記にはその日の聴衆が演説を退屈で冗長だと感じたとも記されており、シャウが描く「聴衆を魅了した演説」という像とは食い違いがある[2][1]。ペリー・ミラーは、この演説が「新しい日への期待」を、ニューイングランドでそれまで聞かれなかった託宣風の謎めいた文体で呼び起こしたと評している[1]。
1826年9月10日の日記でエマーソンは『心の成長についての考察』を読んで、その内容の豊かさと新しさに「啓示の相」を感じたと記した[1]。叔母メアリー・ムーディ・エマーソンへの手紙でも、自然と人間、地と天の「微妙で隠れた結びつき」をこれほど見事に語った書はない、という趣旨の称賛を書いている[1]。
「超絶主義」の語と最初のスウェーデンボルグ言及
1827年、フロリダ滞在中のエマーソンは日記に「現代の特質」を列挙し、その一項目として「超絶主義(Transcendentalism)」を掲げて、形而上学と倫理が内側を向く例に、フランスのスタール夫人、英国のワーズワース、アメリカのサンプソン・リード、ドイツのスウェーデンボルグを挙げた。これはエマーソンの文章における、スウェーデンボルグへの最初の言及であるとともに、「超絶主義」という語の最初の使用でもある、とズーバーは指摘する[2]。
「照応」と『自然』(1836年)
シャウは、『心の成長についての考察』が、エマーソンの『自然』(Nature(エマーソン), 1836年)にその内容と形式を与えたと述べる。ハットソンらの研究がそれを実証したという[1]。アルコット関連資料は、『自然』や初期講演が、個々の心が被造物相互の関係の中に「神の能動的で創造的な意志」を見いだしうるというリードの見方に負っていると要約している[12]。
リードの命題は、シャウによれば次の4点に整理できる[1]。
- 照応:物理世界の各対象は霊的世界の特定の対象に対応し、自然は霊の言語である。
- 詩:詩は神の創造の人間的類比であり、詩人は言葉ではなく事物の言語を用いるとき、自然と霊を結合する。
- 詩人:したがって詩人の機能は非常に高い。
- 自由詩:詩の形式は自然と啓示に由来するのだから、韻律などの人為的な拘束に縛られるべきではない。
エマーソンはこれらを世俗化しつつ継承した、とシャウは見る[1]。
一方、ズーバーは、リードがエマーソンの「唯一の」源泉であったかのように誇張されてきたと警告する。エマーソンはほかにも、グスタフ・エゲールの『真の救世主』(Le Vrai Messie, 1829年、E・ピーボディ英訳)、スタール夫人の『ドイツ論』、シェリング、コールリッジ、そして1820〜30年代に入手した複数のスウェーデンボルグ英訳書から、照応や自然の言語に関する観念を得ていた[2]。
エゲールの一節を日記に書き写した際には、エマーソン自身が「リードの『天才についての演説』を見よ」と書き添えている[2]。また、自然を神の言葉とみなす考えは、ジョナサン・エドワーズ (神学者)らのピューリタン的伝統にも先例があり、リードの独自の寄与をどう測るかは研究者の間で議論が続いている[1][2]。ジョージ・F・ドールは、エマーソンは1826年から1844年ごろまでは主にリードを通じてスウェーデンボルグを受け取り、その後はヘンリー・ジェームズ・シニアとJ・J・G・ウィルキンソンに依拠するようになったとまとめる[13]。
交流と決裂
エマーソンは「リードを知っていることを喜ぶ」とジェームズ・フリーマン・クラークに書き(1834年)、また知人たちにこの本を勧めて回った[5]。リードも、1837年の『ニュー・ジェルサレム・マガジン』にエマーソンの「アメリカの学者」講演の書評を寄せている[1]。
しかし両者の溝は、啓示観の違いによって深まった。エマーソンにとってスウェーデンボルグは、「自然のイメージを使って真理を象徴的に語る究極の詩人」であり、その真理は「抽象的・主観的・詩的なもの」であった。一方、リードにとって、スウェーデンボルグの著作は神が約束した啓示そのものであり、「具体的・客観的で、神的に霊感されたもの」であった[1]。1838年の序文でリードは、「自己信頼」の教説が人を啓示から引き離して自己愛に陥れると見て、超絶主義を痛烈に批判した。数か月後のエマーソンの神学部講演(1838年)は、その懸念を裏づけるものとして受け取られた[1]。エマーソンは同じ1838年の日記に、リードを改宗させることも揺さぶることもできないと嘆きつつ、他人の心の中に立てこもる彼に近づくのは難しいと書いている[2]。
とはいえ、エマーソンはその後もリードへの個人的・思想的な敬意を保ち続けたと伝えられる[1]。1844年のエッセー「詩人」(The Poet)には、リードの影響がもっとも明らかに現れていると評される。エマーソンは宗教的な含意を弱めつつも、詩人への道徳的訓戒と、照応、韻律への疑義という主題を受け継ぎ、リードの名は出さなかった[1]。
1850年の『代表的人間』では、「スウェーデンボルグ、あるいは神秘家」の章でスウェーデンボルグ自身を公然と論じた[1][11]。
超絶主義の形成への影響
「超絶主義の背骨」という評価
ペリー・ミラーは『超絶主義者たち』(1950年)で、リードの『心の成長についての考察』が超絶主義の背骨となったと述べ、スウェーデンボルグ思想の浸透においてリードが果たした役割は、フランスでのクーザン、イングランドでのコールリッジがカントを広めた役割に匹敵すると論じた[1][13]。リチャード・ジェルダードは、リードを超絶主義の「洗礼者ヨハネ」と呼び、その『考察』を「道をあけよ」という呼びかけだったと表現する[12]。
何が超絶主義に渡されたか
VCU(ヴァージニア・コモンウェルス大学)の超絶主義資料集は、リードがロックを退け、自然に向かう者すべてが天才になりうると示唆し、これが超絶主義者たちに革新的な美学理論の基本的内容を与えたと解説する。芸術家の役割に新たな尊厳を与え、超絶主義の「天職」観の下地を整えたという[14]。
内容に即して整理すれば、次の要素が挙げられる。
- 照応の教説
- 自然と霊との対応関係を「事物の言語」として読む発想。超絶主義者の自然観・象徴論の中核となった[1]。
- 反ロック主義
- 経験論的な心理学に対し、心は外からの付加ではなく内部の原理から育つとする「有機的成長」の観念[14]。
- 詩人・芸術家の高い地位
- 詩を神の創造の人間的類比とみなし、詩人に道徳的・霊的使命を与える考え[1]。
- 教育観
- 子どもの心は学問の萌芽をそなえており、教育はその展開を助けるものだとする考え方[14]。
リード自身の離反
『超絶主義者の読本』(Transcendentalism: A Reader)に収録された解題は、『考察』を超絶主義の多くの観念の「雛型」と見なしうるとしつつ、リードが1838年版序文でその運動から自らを切り離したことも併記している[15]。
シャウによれば、リードの序文は「超絶主義は感覚主義の寄生体であり、その仕事を終えれば自らが虫、そして虫の子であると分かるだろう」とまで述べ、この発言でリードの超絶主義者たちへの人気は消えた[1]。ズーバーによれば、リードは超絶主義を、他の個体の体内に卵を産む寄生昆虫にたとえた[2]。ここでリードが拒んだのは、啓示を人間の自然的理性の水準に引き下げるものとして、超絶主義を捉えたからであり、これは彼が学位論文以来一貫して攻撃してきた立場(自然を啓示へ引き上げるのではなく、啓示を自然へ引き下ろす立場)に当たる[1]。
アメリカ・ロマン主義への影響
アメリカ最初期のロマン主義宣言
シャウは「天才についての演説」を、アメリカ最初期の、おそらくは最初の、ロマン主義の宣言とみなす。ヨーロッパで盛んになりつつあった文学運動を先取りしており、個人主義・自然・直観的な知覚を称揚するからである[1]。ドール編のアンソロジーも、この演説を「おそらくアメリカ最古のロマン主義宣言」と紹介している[16]。
ただしリードのロマン主義は、神学によって抑制されている。愛を人間の生命の根源と見る、スウェーデンボルグ『神の愛と神の知恵』に基づく広義の「愛」概念から出発し、自己の独自性を称揚する一方で、自己は全体の利益に仕えねばならないという道徳的責務を加える[1]。自然への愛も、自然そのもののためではなく、「自然が霊について教える」もののゆえに称えられる[1]。この点で、のちのエマーソンやホイットマンの、より世俗化・汎神論化したロマン主義とは位相が異なる。
詩論——押韻批判と自由詩への道
リードは1823年の友人宛書簡で、詩には「愛」という唯一の本質と「自然」という唯一の形式しかないと述べ、叙情詩や牧歌といった分類を疑った[1]。
『心の成長についての考察』では、自然には韻に相当するものがなく、詩人は鷲のように自由で束縛を受けてはならないと説き、押韻を人為的な拘束とみなした(ただし、宇宙の音楽性に即したリズムは詩に不可欠とした)[1][2]。ズーバーは、ホイットマンの『草の葉』(1855年)の画期的なリズムが、リードがはるか以前に求めたものを満たしたと評価する[2]。
エマーソンを経由したホイットマンへの流れ
シャウは、エマーソンの「詩人」が、詩人にリードの理論を実践するよう促し、それを受け取ったホイットマンが「驚くべき成果」をもって詩の形式を解放したと述べる。「リードの影響はホイットマンと現代詩にまで及ぶ」というのが彼女の見立てである[1]。
ただし、スウェーデンボルグ的な観念が「アメリカ的美学」の一部となり、ホイットマンの詩、メルヴィルの『白鯨』、さらにはフロストやE・E・カミングスにまで痕跡を残したというズーバーの議論は、リード一人に帰せられるものではなく、エマーソンを介した広い拡散として説明される点に注意が必要である[2]。
思想・考え方
自然の光と啓示
学位論文でリードは、人間がいわゆる「自然の光」から宗教を導こうとするとき、人間自身の悪や自己愛を神に投影し、神を「自分の姿」に似せて作ってしまうと批判した。宗教の完成は「自然と啓示の合一」にあるが、啓示を自然の水準に引き下ろすのではなく、自然を啓示へ引き上げるのでなければならない、というのがその主張である[1][17]。
愛と真理、聖書の多層的読解
リードは神を愛と知恵(愛と真理)の一体として捉え、愛が先にあり、真理はその現れであるとする。したがって創造は愛の結果であり、「自然の中に着せられた真理」である。聖書も、人間の心の状態に応じて神が合わせて語った多層的な書物であり、人はその人自身が真理の形である度合いに応じてしか真理を見出せない[1]。
心の成長と教育
『心の成長についての考察』でリードは、心は空の器に知識を詰め込むものではなく、内部の原理から育つ生命であると説いた。記憶は愛情(情動)と深く結びつき、使われない知識は朽ちる。真理はすべて実践的であり、時間は心の外にある実体ではなく変化の効果である[18]。
自然科学の教育的意味
動植物・鉱物の法則を扱う自然科学は、心の「一般的発達」のまず最初に置かれるべきであり、自然は心の潜在力を引き出すために造られた、とリードは述べる。知識を乾燥標本のように本で与えるのではなく、教師が子どもを流れのほとりに連れ出して科学を教える日が来るだろう、という構想が語られる[18]。
ロック批判と科学・形而上学
リードは「天才についての演説」で、ロックの心を永遠の形而上学の基準とする立場を退け、人間の心の科学は、その主題である心の変化とともに変わらねばならないと主張した。同時に、科学は自然世界の抽象であり、心が浄化されれば詩と同様に科学も自発的に成長する、と述べた[18][14]。
超絶主義批判と著者の自己規定
1838年の序文でリードは、自己信頼を軸とする運動が人を啓示から離し、自己愛に導くと警告した[1]。ここには、著者を「唯一の真理の源」から来る真理の媒介と見て、自己を飾る目的で真理を用いる風潮を戒める姿勢が一貫して見られる[5]。
研究史と評価
リードとその主著は、長く「エマーソン研究の脚注」にとどまっていた[1]。転機となったのは、クラレンス・ハットソンの博士論文『エマーソンとスウェーデンボルグ』(ハーバード大学、1929年)と論文「サンプソン・リード、エマーソンの師」(1929年)である[3]。
その後、ケネス・ウォルター・キャメロン『エッセイスト・エマーソン』、カール・ストローチによる『考察』複製版の序文(1970年)、エリザベス・ミースの博士論文(1972年)、シルヴィア・シャウの修士論文(クラーク大学、1986年)などが続いた[1]。ドール編『サンプソン・リード——エマーソン研究のための一次資料』(1992年)は、学位論文、演説、『考察』、1838年序文の4篇を収め、読みやすい形で提供している[16]。
評価は、リードを「超絶主義者たちの源泉」と見る立場と、エマーソンの形成における複数の源泉の一つと見る立場に分かれる[1][2]。シャウは、リードが1838年に自身の信仰を公にしたことで文学的名声を失ったが、もし世俗化して語り続けていれば、最も独創的な超絶主義者の一人として読まれたかもしれない、と推測する[1]。リード自身の関心は、文学的名声よりも、新教会という「新しいキリスト教」にあった[5]。
主な著作・論文
- 「未来の応報についての自然の光からの証拠について」(A Dissertation: On the Evidence from the Light of Nature of a Future Retribution, 1820年、ハーバード神学校提出論文。生前未刊、1992年にドール編で刊行)[1]
- 「天才についての演説」(Oration on Genius, 1821年)[1]
- Observations on the Growth of the Mind, 1826年。『心の成長についての考察』(仮訳)[5]
- Observations on the Growth of the Mind: with Remarks on Some Other Subjects, Boston: Otis Clapp, 1838年(新版。超絶主義批判の序文を付す)[1][8]
- Swedenborg and His Mission: A Lecture Delivered before the Massachusetts Association of the New-Jerusalem Church, at its Session in Boston, April 7, 1859, Boston: George Phinney, 1859年[8]
- The Correspondence of the Sun, Heat, and Light, W. Carter & Brother, 1862年[8]
- A Biographical Sketch of Thomas Worcester, D.D., Boston: Massachusetts New Church Union, 1880年[8]
- 『ニュー・ジェルサレム・マガジン』および『新教会子供雑誌』への多数の寄稿[1][5]
- 後世の編纂版
- Sampson Reed: Primary Source Material for Emerson Studies, ed. George F. Dole, Swedenborg Foundation, 1992年[16]
発言
リードの思想の理解を助けるため、キーワードごとに分類した彼自身の説明等の発言を以下に引用する。
- 天才と謙虚さ
- 「天才が神聖なのは、人が自分を神だと思うときではありません。自分の力が神から与えられたものだと認めるときです。」
- (原文:"Know, then, that genius is divine, not when the man thinks that he is God, but when he acknowledges that his powers are from God.")[19]
- 精神と自然
- 「精神と自然のあいだには、ひとつの調和があります。心の天才は降りてきて、川や湖や森の天才と一つになるでしょう。思想は力強く地上に降り立ち、自然の中から言葉をつくり出すのです。」
- (原文:"There is a unison of spirit and nature. The genius of the mind will descend, and unite with the genius of the rivers, the lakes, and the woods. Thoughts fall to the earth with power, and make a language out of nature.")[20]
- 自然と啓示
- 「宗教の完成とは、自然と啓示が一つに調和することにほかなりません。けれども、それは啓示を自然の水準にまで引き下ろすことでは決して実現せず、自然を啓示の高みにまで引き上げることによってのみ実現するのです。」
- (原文:"The perfection of religion is indeed the unison of nature and revelation. But this can never be effected by bringing down revelation to nature, but by raising nature to revelation.")[17]
- 心の成長
- 「心は、外から付け足されることで育つのではありません。内側にある原理から育つのです。」
- (原文:"The mind must grow, not from external accretion, but from an internal principle.")[21]
- 真理の実践性
- 「あらゆる真理は実践的です。その本性と起源からして、そうでないことはありえません。」
- (原文:"Truth, all truth, is practical. It is impossible, from its nature and origin, that it should be otherwise.")[22]
- 時間と永遠
- 「時間が自然にとってのものであるように、永遠は心にとってのものなのです。」
- (原文:"Eternity is to the mind what time is to nature.")[23]
- 自然と教育
- 「光がなければ目は見えず、音がなければ耳は聞こえません。それと同じように、自然の世界へ降りていき、山の空気を吸わなければ、人の心は健やかにも力強くもなれないのです。」
- (原文:"As well might the eye see without light, or the ear hear without sound, as the human mind be healthy and athletic without descending into the natural world and breathing the mountain air.")[24]
- 詩の本質
- 「叙情詩であれ牧歌であれ英雄詩であれ、詩の本質はただ一つ、愛です。そして形もただ一つ、自然なのです。」
- (原文:"Whether Lyric, Pastoral, Heroic or what not, poetry can have but one essence, love, but one form, nature.")[1](1823年5月31日付、セオフィラス・パーソンズ宛書簡)
関連項目
脚注
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 Sylvia Montgomery Shaw (1992). “Preface”. In George F. Dole(編) (英語). Sampson Reed: Primary Source Material for Emerson Studies. Swedenborg Studies No. 1. Swedenborg Foundation. pp. iii–xii. ISBN 0-87785-180-8 2026年10月5日閲覧。
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- ↑ Sampson Reed (1992). “Observations on the Growth of the Mind (1826)”. In George F. Dole(編) (英語). Sampson Reed: Primary Source Material for Emerson Studies. Swedenborg Foundation. pp. 28. ISBN 0-87785-180-8 2026年10月5日閲覧。
- ↑ Sampson Reed (1992). “Observations on the Growth of the Mind (1826)”. In George F. Dole(編) (英語). Sampson Reed: Primary Source Material for Emerson Studies. Swedenborg Foundation. pp. 24. ISBN 0-87785-180-8 2026年10月5日閲覧。
- ↑ Sampson Reed (1992). “Observations on the Growth of the Mind (1826)”. In George F. Dole(編) (英語). Sampson Reed: Primary Source Material for Emerson Studies. Swedenborg Foundation. pp. 22. ISBN 0-87785-180-8 2026年10月5日閲覧。
- ↑ Sampson Reed (1992). “Observations on the Growth of the Mind (1826)”. In George F. Dole(編) (英語). Sampson Reed: Primary Source Material for Emerson Studies. Swedenborg Foundation. pp. 30. ISBN 0-87785-180-8 2026年10月5日閲覧。
外部リンク
- Observations on the Growth of the Mind(1886年版、全文) - Swedenborg Study.com(英語)
- Observations on the Growth of the Mind(1838年版) - Wellcome Collection(英語)
- Sampson Reed: Primary Source Material for Emerson Studies(PDF) - Swedenborg Foundation(英語)
- Reed, Sampson, 1800-1880 - The Online Books Page(英語)
- Reed, Sampson, 1800-1880 - VIAF(英語)