シル・アップス
| シル・アップス CM | |
|---|---|
|
1939年トロント・メープルリーフス時代 | |
| 本名 | チャールズ・ジョセフ・シルヴァナス・アップス |
| 原語名 | Charles Joseph Sylvanus Apps |
| 生誕 |
1915年1月18日 オンタリオ州パリ |
| 死没 |
1998年12月24日(83歳没) キングストン |
| 身長 | 6 ft 0 in (1.83 m) |
| 体重 | 185 lb (84 kg; 13 st 3 lb) |
| ポジション | センター |
| ショット | 左打ち |
| 所属したチーム | トロント・メープルリーフス |
| プロ選手期間 | 1936年 – 1948年 |
| 1961年殿堂入り | |
| 獲得メダル | ||
|---|---|---|
| 男子 棒高跳び | ||
| コモンウェルスゲームズ | ||
| 金 | 1934年 ロンドン | |
| シル・アップス | |
|---|---|
| 出身校 | マックマスター大学 |
| 所属政党 | オンタリオ進歩保守党 |
| 選挙区 |
キングストン キングストン・アンド・ザ・アイランズ |
| 在任期間 | 1963 - 1975 |
| 在任期間 | 1971 - 1974 |

シル・アップス(英語: Syl Apps CM, 1915年1月18日 - 1998年12月24日)は、カナダ連邦オンタリオ州パリ生まれのプロアイスホッケー選手。ポジションはセンター。
トロント・メープルリーフスのキャプテンを6シーズン務め、3度のスタンレーカップ優勝に導き、NHL初となる王朝の礎を築いた。メープルリーフス史上最も偉大なキャプテンの1人とされる。カナダ勲章メンバー受勲者。
経歴
アマチュア
父親が薬局を経営していた上位中産階級の両親の元に生まれたアップスは、子供の頃はスポーツが何でも得意で、特にゴルフ、アイスホッケー、カナディアンフットボール、陸上競技では圧倒的な活躍を見せた。また学業面でも優秀で、高校の首席卒業生に選ばれた。
19歳の時にアップスは、1934年大英帝国競技大会の棒高跳びに出場して金メダルを獲得し、1936年までこの種目のカナダチャンピオンだった。[1]また、マックマスター大学で経済学を学びながら大学フットボールチームのキャプテンを務め、大学間タイトルを制しヴァニエ・トロフィーを獲得した。アップスの評判を聞きつけたコーン・スマイスが彼のフットボールのプレーを見て獲得を決め、昨冬のオンタリオアマチュアホッケーの最多得点フォワードだったアップスは当初はプロ契約に消極的だったが、カナダオリンピックチームの旗手を務めた1936年ベルリンオリンピック棒高跳びで6位に入賞した後、最終的にトロント・メープルリーフスと契約した。
プロ
アップスは即座に成功を収め、1937年にNHL史上初の新人王カルダー記念賞を受賞し、ポイントランキングでは2位に入った。最初の2シーズン連続でアシスト王となり、1939年からのハート記念賞の選考では3度の次点を含む1943年まで5年連続でファイナリストに選出され、[2]レディ・ビング記念賞の選考でも3年連続でファイナリストに選出された後、1941-42シーズンにペナルティ分数0の偉業で受賞した。[3]
リーフスでは素早く流れるようなスケーティングと優れたスティックハンドリング、力強いシュートを武器に、DADライン(ゴーディ・ドリロン、アップス、ボブ・デビッドソン)のセンターを務め、激しくも非常にクリーンで安定したプレーをこなした。第二次世界大戦の軍務開始までの最初の7シーズンで1試合平均1ポイント以上を記録したわずか2人(他にビル・カウリー)のうちの1人である。肩の筋肉断裂、鎖骨骨折、膝の怪我により長期間欠場した時期もあり、万全の状態であればさらに支配的な選手であったと言われる。
アップスは1940-41シーズンにキャプテンに任命され、1942年のポストシーズンで伝説的なキャリアの絶頂期を迎える。リーフスはスタンレーカップ決勝に進出してデトロイト・レッドウィングスと対戦した。最初の3試合ではリーフスが圧倒され、ウィングスが3連勝でリードを奪った。最初の3試合で沈黙したアップスは第4戦で同点ゴールを決めて決勝点をアシストし、第5戦では2ゴール3アシストで勝利に貢献すると、勢いがついたリーフスは巻き返してスタンレーカップ史上最大の逆転劇を演じた。これは3連敗からの4連勝となる「リバース・スイープ」の偉業がカップ決勝で実現した唯一のシリーズである。アップスは13試合でチームトップの8アシスト13ポイントの活躍を見せた。[4]
翌1942-43シーズン中にゴールポストに衝突し、脚を骨折したアップスはシーズンのほぼ半分を欠場した。給料の一部を返そうと療養中にオーナーのコーン・スマイスに1,000ドルの小切手を持って行き、受け取って欲しいと願い出たエピソードがある。控えめで清廉な人格者であるアップスは後に「英語圏カナダのジャン・ベリヴォー」と呼ばれ、チームのインスピレーションの源であった。

リーフスで7シーズンプレーした後、アップスは1942-43シーズン終了後カナダ陸軍に入隊し、1945-46シーズンにNHLに復帰した。再び安定したプレーでキャプテンを3シーズン務め、[5]ハリー・ワトソンやビル・エジニツキと組んで、テッド・ケネディとシカゴから加入したマックス・ベントレーの優れたセンター陣を率いて、再建されたリーフスを1947、48年と2年連続のスタンレーカップ優勝に導いた。1947年10月13日にメープルリーフ・ガーデンズで開催された第1回NHLオールスターゲームでリーフスのキャプテンを務めた。1947-48シーズン最後の試合でハットトリックを決め、201ゴール、432ポイント、プレーオフ通算59試合で25ゴール54ポイントを記録して、1948年9月20日に33歳で正式に引退した。彼の10年間のキャリアでペナルティ時間はわずか56分であった。
政治家として
アップスは1940年の連邦選挙で議会議員に立候補した。国民政府党の候補としてブラント選挙区に立候補したが、現職のカナダ自由党のジョージ・ウッドに138票差で敗れた。
1963年から1975年までオンタリオ州議会の進歩保守党議員を務めた。1963年から1967年までキングストン選挙区を、1967年から1975年までキングストン・アンド・ザ・アイランズ選挙区を代表した。1971年から1974年まで矯正サービス大臣を務めた。
家族と影響
さらに2世代のアップス家がスポーツで活躍しており、息子のシル・アップス・ジュニア1975年のNHLオールスターゲームMVPに選ばれ、NHL727試合で606ポイントを記録した。孫娘のジリアン・アップスは、2006年トリノ、2010年バンクーバー、2010年ソチでアイスホッケー女子カナダ代表の3度の冬季オリンピックチャンピオンである。孫のシル・アップス3世はプリンストン大学とAHL、ECHLでアイスホッケーをプレーし、ダレン・バーバーは1992年バルセロナオリンピックのカナダ男子エイトボートチームで金メダルを獲得した。
オンタリオ州には彼の名を冠した複数の機関があり、キングストンのシル・アンド・モリー・アップス研究センター、オークビルのシル・アップス青少年センター、パリのシル・アップス・コミュニティセンターなどがある。1998年にオンタリオスポーツ殿堂はオンタリオ州の年間最優秀アスリートに贈られるシル・アップス賞を創設した。2001年、カナダ郵便公社はNHLオールスター47セント切手シリーズにアップスを同梱した。
2015年11月6日には、アップスの像がスコシアバンク・アリーナ屋外の「レジェンズ・ロウ」に加えられた。[6]
詳細情報
レギュラーシーズンとプレーオフでの成績
| レギュラーシーズン | プレーオフ | |||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| シーズン | チーム | リーグ | 試合 | G | A | Pts | PIM | GP | G | A | Pts | PIM | ||
| 1930–31 | Paris Green | OHA-Jr. | 7 | 5 | 1 | 6 | 0 | — | — | — | — | — | ||
| 1935–36 | Hamilton Tigers | OHA-Sr. | 19 | 22 | 16 | 38 | 10 | 9 | 12 | 7 | 19 | 4 | ||
| 1935–36 | Toronto Dominions | OHA-Sr. | 1 | 0 | 1 | 1 | 0 | — | — | — | — | — | ||
| 1935–36 | Hamilton Tigers | A-Cup | — | — | — | — | — | 4 | 5 | 4 | 9 | 2 | ||
| 1936–37 | トロント・メープルリーフス | NHL | 48 | 16 | 29 | 45 | 10 | 2 | 0 | 1 | 1 | 0 | ||
| 1937–38 | トロント・メープルリーフス | NHL | 47 | 21 | 29 | 50 | 9 | 7 | 1 | 4 | 5 | 0 | ||
| 1938–39 | トロント・メープルリーフス | NHL | 44 | 15 | 25 | 40 | 4 | 10 | 2 | 6 | 8 | 2 | ||
| 1939–40 | トロント・メープルリーフス | NHL | 27 | 13 | 17 | 30 | 5 | 10 | 5 | 2 | 7 | 2 | ||
| 1940–41 | トロント・メープルリーフス | NHL | 41 | 20 | 24 | 44 | 6 | 5 | 3 | 2 | 5 | 2 | ||
| 1941–42 | トロント・メープルリーフス | NHL | 38 | 18 | 23 | 41 | 0 | 13 | 5 | 9 | 14 | 2 | ||
| 1942–43 | トロント・メープルリーフス | NHL | 29 | 23 | 17 | 40 | 2 | — | — | — | — | — | ||
| 1945–46 | トロント・メープルリーフス | NHL | 40 | 24 | 16 | 40 | 2 | — | — | — | — | — | ||
| 1946–47 | トロント・メープルリーフス | NHL | 54 | 25 | 24 | 49 | 6 | 11 | 5 | 1 | 6 | 0 | ||
| 1947–48 | トロント・メープルリーフス | NHL | 55 | 26 | 27 | 53 | 12 | 9 | 4 | 4 | 8 | 0 | ||
| NHL 合計 | 423 | 201 | 231 | 432 | 56 | 67 | 25 | 29 | 54 | 14 | ||||
賞歴
- カルダー記念賞(初代):1937年
- NHLオールスターチーム
- 1stチーム:2回(1939, 1942年)
- 2ndチーム:3回(1938, 1941, 1943年)
- スタンレーカップ優勝:3回(1942, 1947, 1948年)
- レディ・ビング記念賞:1942年
- ホッケーの殿堂:1961年
- カナダスポーツ殿堂:1975年
- カナダオリンピック殿堂:1975年
- オンタリオスポーツ殿堂:1997年
- トロント・メープルリーフス史上最高の選手100人:2位(2016年)[7]
- 最高のNHLプレーヤー100人:2017年
背番号
- 10(2016年10月15日 トロント・メープルリーフスの永久欠番 )
外部リンク
- “Player Inductees Syl Apps” (英語). ホッケーの殿堂公式サイト. Hockey Hall of Fame. 2026年7月31日閲覧。
- Stu Hackel (2017年1月2日). “Syl Apps: 100 Greatest NHL Players” (英語). NHL公式サイト. NHL.com. 2026年7月31日閲覧。
- Craig Baird (2025年1月29日). “Syl Apps” (英語). Canadian History Ehx. 2026年7月31日閲覧。
- Joe Pelletier. “Syl Apps” (英語). GeatestHockeyLegends.com. 2026年7月31日閲覧。
- “Syl Apps Toronto Maple Leafs Captain 1940-43, 1945-48” (英語). The Hockey Writers. 2026年7月31日閲覧。
- “Syl Apps” (英語). Olympedia. 2026年7月31日閲覧。
- “Sylvanus Apps” (英語). カナダオリンピック委員会公式サイト. Canadian Olympic Committee. 2026年7月31日閲覧。
- “Syl Apps” (英語). オンタリオスポーツ殿堂公式サイト. Ontario Sports Hall of Fame. 2026年7月31日閲覧。
- “Syl Apps” (英語). Toronto Maple Leafs Wiki. Fandom. 2026年7月31日閲覧。
出典
- ↑ 「Syl Apps」Athletics Ontario 2026年8月1日閲覧
- ↑ 「Hart Memorial Trophy」NHL.com Records 2026年8月1日閲覧
- ↑ 「Lady Byng Memorial Trophy」NHL Records 2026年8月1日閲覧
- ↑ 「Statistics」NHL.com Records 2026年8月1日閲覧
- ↑ 「Syl Apps」t Elite Prospects 2026年8月1日閲覧
- ↑ 「Maple Leafs to unveil Armstrong and Apps Legends Row statues」Scott Lewis,Sportsnet.ca November 6, 2015 2026年9月16日閲覧
- ↑ 「Maple Leafs name greatest players in their history」oronto Maple Leafs October 15, 2016 2026年9月15日閲覧