ジャン・ベリヴォー
| ジャン・べリヴォー CC GOQ | |
|---|---|
|
カナディアンズ時代(1963年頃) | |
| 本名 | ジョゼフ・アハテュ・ジャン・ベリヴォー |
| 原語名 | Joseph Arthur Jean Béliveau |
| 愛称 | ル・グロ・ビル |
| 生誕 |
1931年8月31日 トロワリヴィエール |
| 死没 |
2014年12月2日(83歳没) ケベック州ロンゲール |
| 身長 | 6 ft 3 in (1.91 m) |
| 体重 | 205 lb (93 kg; 14 st 9 lb) |
| ポジション | センター |
| シュート | 左打ち |
| 所属したチーム | モントリオール・カナディアンズ |
| プロ選手期間 | 1950年 – 1971年 |
| 1972年殿堂入り | |

ジャン・ベリヴォー(フランス語: Jean Béliveau CC GOQ 、1931年8月31日 - 2014年12月2日[1])は、カナダ連邦ケベック州トロワリヴィエール生まれのプロアイスホッケー選手、幹部である。愛称は、映画の主人公であるフランス系民族の英雄に因む"ル・グロ・ビル" ("Le Gros Bill")
NHLモントリオール・カナディアンズのセンターとしてチームキャプテンを務めた。その分け隔てない謙虚で紳士的な態度と天性のリーダーシップから多くの人々の尊敬を集め、アイスホッケー界最高のアンバサダー(大使)として広く称えられた。D.h.c の肩書きを持ち、カナダ勲章(コンパニオン)、ナショナル・オーダー・オブ・ケベック(ケベック国家勲章)、カナダホッケー勲章を受勲している。また、歴代最多17回(選手として10回、役員として7回、いずれもカナディアンズ)のスタンレーカップ優勝を保持しており、カナディアンズのフランチャイズ史上最も重要な人物の一人である。
経歴
8人兄弟姉妹の長子として育ったジャン・べリヴォーは、6歳からビクトリアビルに移り住み、15歳から加入してプレーをしていたビクトリアビル・パンサーズ時代にNHLのモントリオール・カナディアンズからスカウトされ、ジュニア・カナディアンズと契約した。その後、ケベック・シタテルズと契約し、若い時からアイスホッケー界のスター選手として注目を集め、ケベック・エースズ (Quebec Aces) に在籍しケベック・シニア・ホッケーリーグの得点王となる。
ケベックにも居心地の良さを感じていたが、カナディアンズは獲得に奔走し、ついにはケベック・シニアリーグそのものを買収しプロ化してしまう。カナディアンズでは、1950-1951シーズンと1952-1953シーズンにそれぞれ2試合、3試合の出場記録が残されているが、正式契約は1953年10月3日に当時22歳で結び、1953-1954シーズンから正選手となる。当時の契約内容は5年間で10万5千ドルにボーナスを加算するとの記録があり、NHL加入当初からリーグ屈指の高額年俸選手であったといわれている(もっとも、ケベックでも相当な処遇を受けていた。)。
カナディアンズ加入後は、同世代のバーニー・ジョフリオンやディッキー・ムーアとともに活躍し、1955–1956シーズンから指揮を執ったトウ・ブレイク率いる主要メンバーに加わった。
ルーキーシーズンは怪我に悩まされ、最初の2年間、チームはスタンレーカップ決勝で敗れたが、1955-1956シーズンに、アート・ロス記念賞(シーズン得点王)とハート記念賞(シーズン最優秀選手賞)を同時受賞し、スタンレーカッププレーオフではリーグトップの12ゴール、19ポイントを挙げ、以降5年連続となる最初のスタンレーカップ優勝に貢献した。1956年1月23日にはスポーツ・イラストレイテッド誌がベリヴォーを一面特集し、アイスホッケー選手として初めてこの栄誉を得た。肋骨軟骨断裂で15試合を欠場した1957-58シーズンを除いて、その後の3シーズンはリーグのポイントランキングトップ3に入り、カナディアンズ初の王朝を支えた。
1961-1962シーズンからダグ・ハーヴィーの後任としてキャプテンに任命され、その後、引退までの10シーズンにわたってその職を務めた。[2]1963–1964シーズンにはポイントランキング3位となり、2度目のハート記念賞を受賞した。
1964-1965シーズンのプレーオフで見せたパフォーマンスは、ファン、チームメート、そして相手チームからも賞賛と尊敬を集め、新設されたコーン・スマイス賞の第1回受賞者となる。1965、1966、1968、1969年にカップを制し、カナディアンズを二度目の王朝へと導いた。
1971年2月11日のミネソタ・ノーススターズ戦で、ケベック州でテレビ中継される中、ベリヴォーはハットトリックを決め、モーリス・リシャール、ゴーディ・ハウ、ボビー・ハルに続く4人目となる通算500ゴールを達成した。[3]
1970年代に3度目の王朝を築くことになる若手選手とベテランたちで構成されたチームは1971年に再びカップを獲得し、ベリヴォーは1970-1971シーズンをもって現役引退するが、レギュラーシーズン1,125試合で507ゴール、712アシスト、1,219ポイント、プレイオフ162試合で70ゴール、97アシスト、176ポイントの記録を残した。この引退時点でのゴール数はカナディアンズの史上第1位を誇るとともに、プレイオフでのゴール数はNHL歴代第1位であった。カナディアンズには通算18年(最初の2年をカウントすれば20年)在籍し、選手として2度の王朝をまたいで10回のスタンレー・カップ優勝を経験した。
1971年10月9日、べリヴォーの背番号4(かつてニュージー・ラロンドとオーレル・ジョリアも着用)が、ハウィー・モレンツとモーリス・リシャールに続いて3人目となる、モントリオール・カナディアンズの永久欠番に認定された。
1972年にはゴーディ・ハウとともに、待機期間3年の原則を破って、ホッケーの殿堂入りを果した。
引退後は、1971年に創立した「ジャン・ベリヴォー基金(Jean Beliveau Foundation 、1993年には Society for Disabled Children に移管)」を通じて慈善活動を行う一方で、カナディアンズの幹部、親善大使としての役割を務めた。
ベリヴォーは、数々の受賞歴とともにカナダ各地の大学から名誉学位を贈られている。また、1995年にはロヨラ・メダル (Loyola Medal) を受賞した。さらに、ケベック州ではナショナル・オーダー・オブ・ケベック(ケベック国家勲章)、連邦政府から1969年12月19日にオーダー・オブ・カナダのオフィサーに任命され、1998年5月6日には最高の栄誉であるコンパニオンに昇格している。[4]
定評あるリーダーシップと外交的な手腕ゆえに、1994年には、カナダ総督の地位へのオファーがあったが、これは辞退している。また、上院議員への推薦も固辞している。2001年には、その名前が Canada's Walk of Fame に刻まれ、同年にはその肖像が切手の図案に採用された。
2004年11月、2004年から2005年のNHLロックアウトにおいては、NHL側に立ち、「選手達が過度に高額の年俸を要求することは、アイスホッケーとリーグにダメージをもたらす」旨の発言を行った。
2009年には、ゴーディ・ハウに続いて2人目となるNHL生涯功労賞を受賞した[5]
2014年12月2日、モントリオール郊外のロンゲール市内で死去。83歳没[6][7]。2000年のモーリス・リシャールの時と同様、彼の遺体はベル・センターに安置され、数千人の熱心なファンを含む多くの人々が、弔意を表すために列をなした。ベリヴォーの葬儀はカナダ全土でテレビで生中継され、国中の旗が半旗として掲げられた。
選手としての特徴
ベリヴォー自身、模範的なリーダーとしてゲームでコーチや審判との橋渡しを行ったり、スポークスマンとしての役割も大切だが、最も重要な仕事は、ベンチ裏での選手の悩み事の相談に真摯に対応することと語っている。ベリヴォーはパックが落とされる前から、チームに自信を持たせ良い方向に導いた。チームメイトは毎晩チームがどのようなプレーするかを知っていたため彼を信頼し、チームの安定したプレーはコーチの信頼を得ることにつながった。ベリヴォーには、歴代のスーパースターたちが匹敵しない独特のカリスマ性が備わっており、相手がどのような地位にある人物であろうと、まるで自分がその場にいる最も重要な人物であるかのように思わせる振る舞いができた。届いた何千通ものファンレターのほぼすべてに、自らの手で返事を書き続けていたと言われる。
威厳に満ち研ぎ澄まされた雰囲気を持っていたといわれ、リンク上でもその外でももって生まれたリーダーシップを発揮した。一時は6フィート3インチ、205ポンドの恵まれた体を活かした厳しいボディチェックにより、ペナルティの多い年もあったが(例えば、1995-1956シーズンの143分)、次第にエレガントなプレースタイルに変化していったといわれている。パワフルなスケーターであったがスピードに頼らず、的確なポジショニング、判断力と忍耐力でゲームをコントロールした。
詳細情報
通算成績
| レギュラーシーズン | プレイオフ | |||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| シーズン | チーム | リーグ | GP | G | A | Pts | PIM | GP | G | A | Pts | PIM | ||
| 1950-51 | モントリオール・カナディアンズ | NHL | 2 | 1 | 1 | 2 | 0 | |||||||
| 1952-53 | モントリオール・カナディアンズ | NHL | 3 | 5 | 0 | 5 | 0 | |||||||
| 1953-54 | モントリオール・カナディアンズ | NHL | 44 | 13 | 21 | 34 | 22 | 10 | 2 | 8 | 10 | 4 | ||
| 1954-55 | モントリオール・カナディアンズ | NHL | 70 | 37 | 36 | 73 | 58 | 12 | 6 | 7 | 13 | 18 | ||
| 1955-56 | モントリオール・カナディアンズ | NHL | 70 | 47 | 41 | 88 | 143 | 10 | 12 | 7 | 19 | 22 | ||
| 1956-57 | モントリオール・カナディアンズ | NHL | 69 | 33 | 51 | 84 | 105 | 10 | 6 | 6 | 12 | 15 | ||
| 1957-58 | モントリオール・カナディアンズ | NHL | 55 | 27 | 32 | 59 | 93 | 10 | 4 | 8 | 12 | 10 | ||
| 1958-59 | モントリオール・カナディアンズ | NHL | 64 | 45 | 46 | 91 | 67 | 3 | 1 | 4 | 5 | 4 | ||
| 1959-60 | モントリオール・カナディアンズ | NHL | 60 | 34 | 40 | 74 | 57 | 8 | 5 | 2 | 7 | 6 | ||
| 1960-61 | モントリオール・カナディアンズ | NHL | 69 | 32 | 58 | 90 | 57 | 6 | 0 | 5 | 5 | 0 | ||
| 1961-62 | モントリオール・カナディアンズ | NHL | 43 | 18 | 23 | 41 | 36 | 6 | 2 | 1 | 3 | 4 | ||
| 1962-63 | モントリオール・カナディアンズ | NHL | 69 | 18 | 49 | 67 | 68 | 5 | 2 | 1 | 3 | 2 | ||
| 1963-64 | モントリオール・カナディアンズ | NHL | 68 | 28 | 50 | 78 | 42 | 5 | 2 | 0 | 2 | 18 | ||
| 1964-65 | モントリオール・カナディアンズ | NHL | 58 | 20 | 23 | 43 | 76 | 13 | 8 | 8 | 16 | 34 | ||
| 1965-66 | モントリオール・カナディアンズ | NHL | 67 | 29 | 48 | 77 | 50 | 10 | 5 | 5 | 10 | 6 | ||
| 1966-67 | モントリオール・カナディアンズ | NHL | 53 | 12 | 26 | 38 | 22 | 10 | 6 | 5 | 11 | 26 | ||
| 1967-68 | モントリオール・カナディアンズ | NHL | 59 | 31 | 37 | 68 | 28 | 10 | 7 | 4 | 11 | 6 | ||
| 1968-69 | モントリオール・カナディアンズ | NHL | 69 | 33 | 49 | 82 | 55 | 14 | 5 | 10 | 15 | 8 | ||
| 1969-70 | モントリオール・カナディアンズ | NHL | 63 | 19 | 30 | 49 | 10 | - | - | - | - | - | ||
| 1970-71 | モントリオール・カナディアンズ | NHL | 70 | 25 | 51 | 76 | 40 | 20 | 6 | 16 | 22 | 28 | ||
| NHL合計 | 1125 | 507 | 712 | 1219 | 1029 | 162 | 79 | 97 | 176 | 211 | ||||
表彰
- QMHL ファーストオールスターチーム:2回 (1951 1953年)
- NHLオールスターチーム
- 1stチーム:6回(1955, 1956, 1957, 1959, 1960, 1961年)
- 2ndチーム:4回(1958, 1964, 1966, 1969年)
- アート・ロス記念賞(1956年)
- ハート記念賞(1956年、1964年)
- NHLオールスターゲーム 最優秀選手 (1964年)
- コーン・スマイス賞(1965年)
- カナダのスポーツ殿堂(1975年)
- NHL生涯功労賞(2009年)
- 最高のNHLプレーヤー100人(2017年)
記録
- NHLオールスターゲーム出場:13回 (1953, 1954, 1955, 1956, 1957, 1958, 1959, 1960, 1963, 1964, 1965, 1968, 1969年)
背番号
- 4(1971年10月9日 モントリオール・カナディアンズの永久欠番)
脚注
- ↑ “Jean Béliveau|Canadian hockey player”. Britannica. 2024年12月2日閲覧。
- ↑ 「Jean Béliveau」Elite Prospects 2026年8月2日閲覧
- ↑ 「Final 2/11/1971」NHL.com 2026年9月26日閲覧
- ↑ 「Mr. Jean Béliveau」カナダ総督 2026年9月26日閲覧
- ↑ 「NHL Lifetime Achievement Award」NHL.com Records 2026年10月13日閲覧
- ↑ “Canadiens legend Beliveau passes away at age 83”. TSN.ca. Bell Media. 2014年12月2日閲覧。
- ↑ “Jean Beliveau, hockey sensation of size, grace and skill, dies at 83”. The Washington Post (2014年12月3日). 2024年12月2日閲覧。
外部リンク
- NHL.com, or Legends of Hockey, or The Internet Hockey Database
- Jean-Patrice Martel. “Jean Béliveau” (フランス語). hockeyarchives.info. 2026年9月26日閲覧。
- Dave Stubbs (2017年1月2日). “Jean Beliveau: 100 Greatest NHL Players” (英語). NHL公式サイト. NHL.com. 2026年10月13日閲覧。
- Joe Pelletier (2018年3月8日). “Jean Beliveau” (英語). GreatestHockeyLegends.com. 2026年10月13日閲覧。