ジョニー・ビューシック
| ジョニー・ビューシック | |
|---|---|
|
ボストン・ブルーインズ時代(1971年) | |
| 本名 | ジョン・ポール・ブーツィック |
| 原語名 | John Paul Bucyk |
| 愛称 | チーフ |
| 生誕 |
1935年5月12日(91歳) エドモントン |
| 身長 | 6 ft 0 in (1.83 m) |
| 体重 | 215 lb (98 kg; 15 st 5 lb) |
| ポジション | 左ウィング |
| シュート | 左打ち |
| 所属したチーム |
デトロイト・レッドウィングス ボストン・ブルーインズ |
| プロ選手期間 | 1955年 – 1978年 |
| 1981年殿堂入り | |
ジョニー・ビューシック(英語: Johnny Bucyk, 1938年1月10日 - )は、カナダ連邦アルバータ州エドモントン生まれの元プロアイスホッケー選手。ポジションは左ウィング。
愛称は"チーフ" ("the Chief")。ビューシックがボード際でパックを奪い合うためにスティックをトマホークのように使っていたことに由来する。ボストン・ブルーインズにおけるチームリーダーの1人して、1970年代の2度のスタンレーカップ優勝に貢献した。
経歴
ジュニア
ジョニー・ビューシックは、ウクライナ系カナダ人として大恐慌下のエドモントンで育った。11歳の時に父親が亡くなり、13歳になるまで自分のスケート靴すら買えなかったが、アイスホッケーを続けて兄のビルと共にエドモントン・オイルキングスでジュニアAホッケーを2シーズンプレーし、1953年のオフシーズンにコーチがフィギュアスケーターとのレッスンを手配すると、ビューシックのスケートはすぐに改善した。
翌年に西部ジュニアリーグのプレーオフ21試合に出場して28ゴール、45ポイントを記録し、チームをアボットカップ優勝(西部カナダジュニアチャンピオン)に導いて、第1回のメモリアル・カップに出場した。チームは5試合で敗退したものの、ビューシックはカップ戦の14試合で14ゴール、24ポイントを記録した。
プロ入り
ジュニアでの活躍が認められたビューシックは、オイルキングス同様デトロイト・レッドウィングスのファーム(下部組織)であったWHLのエドモントン・フライヤーズと初のプロ契約を結んだ。センターのブロンコ・ホーヴァスや右ウイングのヴィック・スタシウクとのラインでプレーし、ビューシックは30ゴール、88ポイントでWHLの新人王となり、チームはWHLチャンピオンとなった。
1955年のスタンレー・カップ・プレーオフのために呼び寄せられ、レッドウィングスに昇格した。兄のビルもWHLでプレーしたものの、NHLには到達できなかった。その春にレッドウィングスがスタンレーカップを獲得した際には試合に出場せず、カップには名前が刻まれなかった。
同年の10月2日、デトロイトオリンピアで開催された第9回NHLオールスターゲームでNHLデビューを果たした後、10月6日のシカゴ・ブラックホークス戦で公式戦に初出場して第2ピリオドに決勝点を挙げた。少年時代の憧れであったゴーディ・ハウとチームメイトになったビューシックは、2シーズンで104試合に出場したものの、レッドウィングスは左ウイングを多数配置していたため、レギュラーとしての出場は叶わなかった。
1954年のオイルキングスの試合で、ボストン・ブルーインズのゼネラルマネージャーであるリン・パトリックに発掘されていたビューシックは1957年6月10日、デトロイトから金銭と共にボストンへトレードされ、テリー・ソーチャックがデトロイトに移籍した。
ブルーインズ時代
多くの氷上時間を与えられたビューシックはすぐに活躍し、同じウクライナ系選手と推定されたスタシウク、ホーバス(実はハンガリー人)とともに「ウケ・ライン」が結成され、 6年間、リーグのどのチームにも負けず劣らずの成績を収めたものの、1960年代はブルーインズにとって不遇の時代で、5シーズン連続でリーグ最下位に終わり、プレーオフに進出したのは2回だけだった。ビューシックは孤独なスターとしてチームを支え、ウクライナ人というよりもカナダ先住民のように見えた「チーフ」は、リーグ全体で尊敬を集め、1966-67シーズンにはブルーインズのキャプテンに任命された。
1967年に新コーチであるハリー・シンデンは、ビューシックをセンターのフレッド・スタンフィールド、右ウイングのジョン・マッケンジーと組ませ、多くの人がNHL最高と呼ぶセカンドラインを作り上げた。1967-68シーズンには、驚異的なパワープレーでの活躍に支えられて32歳で初の30ゴールを挙げ、ペナルティをわずか8分に抑えてレディ・ビング記念賞の次点と、[1]セカンドNHLオールスターチームに選出された。チームは9シーズンぶりにプレーオフに復帰した。
翌1968-69シーズンにもチームはプレーオフに進出し、初戦でトロント・メープルリーフスをスイープで降して、準決勝へと進んだ。ビューシックは10試合で11ポイントを記録した。
1969-70シーズンには、14のパワープレーゴールを含む31ゴールを挙げ、フィル・エスポジト、ケン・ホッジ、ウェイン・キャッシュマンのファーストラインにボビー・オア、ジェリー・チーヴァーズが加わった爆発的な「ビッグ・バッド・ブルーインズ」の最年長選手としてリーダーシップを発揮し、チームを1970年のスタンレーカップ優勝に導いた。プレーオフ14試合で11ゴール、19ポイントを記録し、オルタネイト・キャプテンの1人であるビューシックは、NHL会長のクラレンス・キャンベルからスタンレーカップを贈呈された。再びレディ・ビング記念賞の次点に選ばれ、以降は1975年まで6年連続してファイナリストに選出された。
キャリアハイとなる1970-71シーズンには35歳で51ゴールを挙げ、NHL史上5人目となるシーズン50ゴール超え選手となり、116ポイントでシーズンを終え、エスポジト、オア、ビューシック、ホッジの4人が、リーグのポイントランキングで同チームからの上位4名となる初の快挙を成し遂げた。[2]また、ペナルティ8分で最初のレディ・ビング記念賞を受賞し、ファーストオールスターチームにも選出されたものの、チームは優勝することになるモントリオール・カナディアンズとのプレーオフ1回戦で7試合で敗退した。
翌1971-72シーズンも好調を維持して78試合で83ポイントを記録し、ペナルティはわずか4分だった。プレーオフでは15試合の出場でリーグ最多となる9ゴール、3位の20ポイントを記録して再びブルーインズにカップ優勝をもたらし、スタンレーカップファイナルではニューヨーク・レンジャースを6試合で敗った。
1972–73シーズンに78試合で40ゴール、93ポイントを記録し、チームキャプテンに復帰した翌1973-74シーズンのプレーオフで、チームはメープルリーフスとシカゴ・ブラックホークスを降して、再びスタンレーカップファイナルに進出したが、フィラデルフィア・フライヤーズに6試合で敗れた。ビューシックはプレーオフ全16試合に出場して18ポイントを記録し、チームを牽引した。
1974–75シーズン、40歳となった1975–76シーズンと連続して80ポイント以上を記録して好調を維持し、1975年10月30日のセントルイス・ブルース戦で、史上7人目となる通算500ゴールを達成した。[3]
1977–78シーズンを最後に42歳で現役を引退した。10シーズン連続を含む16回のシーズンで20ゴール以上を記録し、そのうちの7シーズンで30ゴール以上を記録した。長年のブルーインズキャプテンであるビューシックは、チーム最多ポイントを4度記録し、出場試合数、ゴール数、アシスト数、ポイントにおける歴代1位のブルーインとして引退し、ブルーインズ在籍中に記録した545ゴールは、2026年現在も同チームの史上最多記録となっている。[4]
引退後は長くブルーインズのアンバサダーを務め、チームの広報部門で働き続けるとともに、ラジオでブルーインズの試合の解説を担当し、後にチームの同窓会を運営して、初代会長を務めた。[5]2011年のボストン優勝後にはチームスタッフの1人として、3度目のスタンレーカップに名前を刻んだ。[6]
1977年には、アメリカ合衆国のアイスホッケー界への貢献が認められ、レスターパトリック賞を受賞した。
プレーと影響

ビューシックは安定した得点力を持ち、常に20ゴール前後かそれ以上を記録し、優れたパスも備えていた。キャリアの大半を215ポンド以上でプレーし、氷上で最も体重の重い選手の1人だったビューシックは、特にオフェンシブゾーンの奥深い場所や、コーナー、ネット周辺での競り合いに強く、強烈なヒップチェックを巧みに仕掛けてターンオーバー(パックの所有が相手チームに変わって攻守が入れ替わること)を誘発した。常にフィジカルで攻撃的なプレーをしていたが、特にキャリアの後期にはペナルティを引き出さない能力が加わり、非常にクリーンかつ安定したプレーを続けた。
キャリア前期に経験した不遇の時代を振り返り、ビューシックは「自分はスターというより、あくまで脇役だと思ってきました。華やかなタイプではありませんし、ただひたすら、どの試合でも自分にできることを精一杯やってきただけです。」と謙虚に語った。若いフォワードとしてブルーインズに加入し、長年にわたり、異なるコーチングスタイル、異なるシステム、異なるリーグ環境を経験する中でも、安定した一貫性を示しながら、フランチャイズを築く選手へと成長し、やがてそのひたむきな努力と経験は重要な局面におけるリーダーシップとして身を結び、ブルーインズを栄光の時代へと導く原動力の1つとなった。
ボストンのTDガーデンの非公式オーナーであるビューシックの背番号9番は、ミルト・シュミットの15番とともにブルーインズの永久欠番に認定され、ブルーインズには彼の名を冠したジョン・P・ビューシック賞が設立されており、毎年、氷上の内外で素晴らしい慈善活動を行ったブルーインズの選手に贈られている(ビューシック自身は、人道支援または地域奉仕活動に卓越した貢献をしたNHL選手に贈られる「チャーリー・コナカー人道賞」の1976年度の受賞者である。)。
詳細情報
レギュラーシーズンとプレーオフでの成績
- 太字はリーグトップ
| レギュラーシーズン | プレーオフ | |||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| シーズン | チーム | リーグ | GP | G | A | Pts | PIM | GP | G | A | Pts | PIM | ||
| 1951–52 | Edmonton Maple Leafs | AJHL | — | — | — | — | — | — | — | — | — | — | ||
| 1951–52 | Edmonton Oil Kings | WCJHL | — | — | — | — | — | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
| 1952–53 | Edmonton Oil Kings | WCJHL | 39 | 19 | 12 | 31 | 24 | 12 | 5 | 1 | 6 | 14 | ||
| 1953–54 | Edmonton Oil Kings | WCJHL | 33 | 29 | 38 | 67 | 38 | 21 | 28 | 17 | 45 | 30 | ||
| 1953–54 | Edmonton Flyers | WHL | 2 | 2 | 0 | 2 | 2 | — | — | — | — | — | ||
| 1953–54 | Edmonton Oil Kings | M-Cup | — | — | — | — | — | 14 | 14 | 10 | 24 | 10 | ||
| 1954–55 | Edmonton Flyers | WHL | 70 | 30 | 58 | 88 | 57 | 9 | 1 | 6 | 7 | 7 | ||
| 1954–55 | Edmonton Flyers | Ed-Cup | — | — | — | — | — | 7 | 2 | 3 | 5 | 22 | ||
| 1955–56 | デトロイト・レッドウィングス | NHL | 38 | 1 | 8 | 9 | 18 | 10 | 1 | 1 | 2 | 8 | ||
| 1955–56 | Edmonton Flyers | WHL | 6 | 0 | 0 | 0 | 9 | — | — | — | — | — | ||
| 1956–57 | デトロイト・レッドウィングス | NHL | 66 | 10 | 11 | 21 | 39 | 5 | 0 | 1 | 1 | 0 | ||
| 1957–58 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 68 | 21 | 31 | 52 | 57 | 12 | 0 | 4 | 4 | 16 | ||
| 1958–59 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 69 | 24 | 36 | 60 | 36 | 7 | 2 | 4 | 6 | 6 | ||
| 1959–60 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 56 | 16 | 36 | 52 | 26 | — | — | — | — | — | ||
| 1960–61 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 70 | 19 | 20 | 39 | 48 | — | — | — | — | — | ||
| 1961–62 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 67 | 20 | 40 | 60 | 32 | — | — | — | — | — | ||
| 1962–63 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 69 | 27 | 39 | 66 | 36 | — | — | — | — | — | ||
| 1963–64 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 62 | 18 | 36 | 54 | 36 | — | — | — | — | — | ||
| 1964–65 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 68 | 26 | 29 | 55 | 24 | — | — | — | — | — | ||
| 1965–66 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 63 | 27 | 30 | 57 | 12 | — | — | — | — | — | ||
| 1966–67 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 59 | 18 | 30 | 48 | 12 | — | — | — | — | — | ||
| 1967–68 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 72 | 30 | 39 | 69 | 8 | 3 | 0 | 2 | 2 | 0 | ||
| 1968–69 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 70 | 24 | 42 | 66 | 18 | 10 | 5 | 6 | 11 | 0 | ||
| 1969–70 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 76 | 31 | 38 | 69 | 13 | 14 | 11 | 8 | 19 | 2 | ||
| 1970–71 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 78 | 51 | 65 | 116 | 8 | 7 | 2 | 5 | 7 | 0 | ||
| 1971–72 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 78 | 32 | 51 | 83 | 4 | 15 | 9 | 11 | 20 | 6 | ||
| 1972–73 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 78 | 40 | 53 | 93 | 12 | 5 | 0 | 3 | 3 | 0 | ||
| 1973–74 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 76 | 31 | 44 | 75 | 8 | 16 | 8 | 10 | 18 | 4 | ||
| 1974–75 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 78 | 29 | 52 | 81 | 10 | 3 | 1 | 0 | 1 | 0 | ||
| 1975–76 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 77 | 36 | 47 | 83 | 20 | 12 | 2 | 7 | 9 | 0 | ||
| 1976–77 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 49 | 20 | 23 | 43 | 12 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
| 1977–78 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 53 | 5 | 13 | 18 | 4 | — | — | — | — | — | ||
| NHL 合計 | 1,540 | 556 | 813 | 1,369 | 493 | 124 | 41 | 62 | 103 | 42 | ||||
賞歴
- WHL セカンドオールスターチーム:1955年
- NHLオールスターゲーム出場:7回(1955, 1963, 1964, 1965, 1968, 1970, 1971年)
- NHLオールスターチーム
- 1stチーム:1971年
- 2ndチーム:1968年
- スタンレーカップ優勝:3回(選手として1970, 1972年, スタッフとして2011年)
- レディ・ビング記念賞:2回(1971, 1974年)
- チャーリー・コナカー人道賞:1976年
- レスターパトリック賞:1977年
栄誉
- ホッケーの殿堂(1981年)
- アルバータ州スポーツ殿堂(1996年)[7]
- マサチューセッツ州ホッケー殿堂:2007年[8]
- アルバータ州ホッケー殿堂:2016年[9]
- 最高のNHLプレーヤー100人選出:2017年
- ボストン・ブルーインズ オールセンテニアルチーム[10]
背番号
- 9 (1980年3月13日 ボストン・ブルーインズの永久欠番)
脚注
- ↑ 「Lady Byng Memorial Trophy」NHL.com Records 2026年10月6日閲覧
- ↑ 「Statistics」NHL.com 2026年10月6日閲覧
- ↑ 「Bucyk enjoying Bruins’ success on 70th anniversary of 1st NHL goal」NHL.com 2026年10月6日閲覧
- ↑ 「Boston Bruins ‑ All‑Time NHL Leaders」QuantHockey 2026年10月6日閲覧
- ↑ 「JOHNNY BUCYK」 ALBERTA HOCKEY HALL OF FAME 2026年10月6日閲覧
- ↑ 「2010-11 Boston Bruins」NHL.com Records 2026年10月6日閲覧
- ↑ 「John Bucyk Hockey Athlete — Inducted 1996」Alberta Sports Hall of Fame 2026年10月6日閲覧
- ↑ 「Massachusetts Hockey Hall of Fame Recipients」
- ↑ 「2016 Induction Class」Alberta Hockey Hall of Fame 2026年10月6日閲覧
- ↑ 「BOSTON BRUINS ALL-CENTENNIAL TEAM」BostonBruins.com 2026年10月6日閲覧
外部参照リンク
- NHL.com, or Eliteprospects.com, or Hockey-Reference.com, or Legends of Hockey, or The Internet Hockey Database
- Stu Hackel (2017年1月2日). “Johnny Bucyk: 100 Greatest NHL Players” (英語). NHL公式サイト. NHL.com. 2026年10月6日閲覧。
- Joe Pelletier (2013年7月14日). “Johnny Bucyk” (英語). GreatestHockeyLegends.com. 2026年10月6日閲覧。
- NESN Staff (2026年2月17日). “Johnny Bucyk’s Bruins Legacy: “The Chief” Who Set Boston’s Scoring Standard” (英語). New England Sports Network. 2026年10月6日閲覧。
- “Johnny Bucyk 1972 Boston Bruins” (英語). HockeyGods.com (2025年5月18日). 2026年10月6日閲覧。
- “Johnny Bucyk facts for kids” (英語). Kiddle encyclopedia. 2026年10月6日閲覧。