フィル・エスポジト
| フィル・エスポジト OC | |
|---|---|
|
ボストン・ブルーインズ時代(1969年) | |
| 本名 | フィリップ・アンソニー・エスポジート |
| 原語名 | Philip Anthony Esposito |
| 愛称 | エスポ |
| 生誕 |
1942年2月20日(84歳) スーセントマリー |
| 身長 | 6 ft 1 in (1.85 m) |
| 体重 | 205 lb (93 kg; 14 st 9 lb) |
| ポジション | センター |
| シュート | 左打ち |
| 所属したチーム |
ニューヨーク・レンジャース ボストン・ブルーインズ シカゴ・ブラックホークス |
| プロ選手期間 | 1968年 – 1981年 |
| 1984年殿堂入り | |
フィル・エスポジト(英語: Phil Esposito OC 英語発音: [ˌɛspəˈziː:toʊ] ESP-ə-ZEE-toh, 1942年2月20日 - )は、カナダ連邦オンタリオ州スーセントマリー生まれの元プロアイスホッケー選手。
NHL史上最も優れた選手の1人と称され、サミットシリーズにおける顕著な活躍によってオーダー・オブ・カナダを受勲している。
経歴
ジュニアとブラックホークス時代
19歳の時、ジュニアAのセントキャサリンズ・ティーピーズに入り、ブラックホークスのマイナープロとして、ポイントを積み重ね続け、1964年1月に21歳でNHLへの昇格を果たし、シカゴ・ブラックホークスに加入した。彼のスケートは疑わしく、一歩遅れてプレーしていたが、彼の左右の足のサイズが異なるため、異なるサイズのスケート靴が必要なことが判明してから状況は改善した。
ホークスで3シーズンプレーして平均20ゴール、55ポイントの記録を残し、ボビー・ハルが史上初の50ゴール超えを達成した1965-66シーズンにはそのセンターを務めたものの、プレーオフでの活躍が乏しいことに満足しないホークスは、1967年5月15日にエスポジトを電撃的ともいわれるトレードでケン・ホッジ、フレッド・スタンフィールドとともにボストン・ブルーインズに放出した。
ブルーインズ時代
ケン・ホッジとフレッド・スタンフィールドは、ブルーインズ入団後も従来とかわらず平凡なスター選手にとどまったが、エスポジトはその偉大なる得点能力を開花させた。チームのオルタネイト・キャプテンに就任した1967-1968シーズンには35ゴール、スタン・ミキタ (87ポイント) に次ぐ2位の84ポイントを記録し、チームの9シーズンぶりのプレーオフ進出に貢献するとともに、セカンドNHLオールスターチームにも選出され、翌1968-1969シーズンにはNHL初のシーズン100ポイント超えとなる126ポイント(49ゴール、77アシスト)をたたき出した[1]。
1971年から1975年までの5年連続を含む、現役通算6度のシーズン100ポイント超の記録を樹立した[1]。
NHLオールスターチームにおいて第1チームに1969年から1974年まで6年連続で選出され、1969年、1974年には、リーグの最優秀選手としてハート記念賞を受賞している。当時、ボストン・ブルーインズのエスポジトファンは、彼の得点を祝うため車のバンパーに次のような文言が記されたステッカーを貼った - "Jesus saves, Espo scores on the rebound." (「イエスは救い給う、エスポジトは、リバウンドを得点する。」)。

絶頂期には、同僚の同じくスーパースターボビー・オアとともに、ブルーインズを1970年と1972年のスタンレー・カップ優勝に導き、1970年は14試合で13ゴール27ポイント、1972年は15試合で9ゴール24ポイントを挙げてプレーオフトップの活躍だった。エスポジトとオアはリーグ屈指のコンビを組んで得点を量産し、エスポジトは優れたチームリーダーへと成長した。
1970-1971シーズンには、従来の記録を破り、当時シーズン最多ゴール記録となる76ゴールを上げた。この記録は、1982年2月に、ウェイン・グレツキーが対バッファロー・セイバーズ戦で79ゴール目を上げるまで、リーグ最高記録であった。この試合で記録を抜かれたエスポジトは、ゲームで使用されたパックをグレツキーに手渡しでプレゼントした。なお、1971年にシーズン最多ポイントの記録も打ち立てたが、この記録も同様にグレツキーによって更新された。
1972年に開催されたサミット・シリーズで、カナダ代表を鼓舞するリーダーの役割を果たし、バンクーバーでの第4戦敗北後に罵声を浴びせるられるチームメイトを全国放送の感情的なスピーチで擁護し、第8戦でポール・ヘンダーソンの不朽のシリーズ決勝ゴールをアシストし、このシリーズのポイント王に輝いた。これにより、同年のカナダで最も活躍した運動選手に与えられるルー・マーシュ賞を獲得するとともに、オーダー・オブ・カナダも受賞した。カナダにおける人気上昇はもちろんのこと、モスクワでの第1戦の試合前の紹介時には、バラの花につまづいて尻もちをついた後に立ち上がってお辞儀をし、これほど個性的なホッケー選手を見たことがなかったソ連のファンにも好かれた。
また、1976年開催のチャレンジ・カップとカナダカップのカナダ代表や1977年のアイスホッケー世界選手権にもキャプテンとして出場をしている。
1974-1975シーズン終了までに、ブルーインズで5度のポイント王と6年連続6度のシーズン最多ゴールを記録したが、1974年にコーチに就任したドン・チェリーとそりが合わず、1975年11月7日、チームメートのキャロル・バドネとともに、ブラッド・パーク、ジャン・ラテルとの交換トレードでニューヨーク・レンジャースに移籍した。
レンジャース時代と現役引退後
この頃になると、攻撃力も往時の輝きを失いつつあったが、それでもレンジャースのキャプテンを務めて、全試合に出場しチームを適切に導いて、引退するまでチームに有益なポイントゲッターであり続けて、キャリア700ゴール、ボビー・ハルと並びNHL史上最長となる13年連続の30ゴールシーズンを達成した。1981年に現役を引退し、その後放送のキャスターに転身を図った。
1980年代の中盤で3年間レンジャースのマネージャー及びコーチを務め、1992年には、NHL チーム数拡大に伴ってタンパベイ・ライトニングの設立に一役買った。1998年までは、ライトニングの会長及び総支配人を務め、その後も同チームのラジオ解説者として活躍を行った。
1984年には、ホッケーの殿堂入りを果たした。エスポジトの着用した背番号7番は、一時ボストン・ブルーインズのスーパースターでディフェンスのレイ・ボークが着用していたが、ボークはエスポジトの栄誉を称えてこれを返上し、感動的なセレモニーを経て、1987年12月3日にブルーインズの永久欠番となっている。
家族
詳細情報
- 太字はリーグトップ
通算成績
| レギュラーシーズン | プレイオフ | |||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| シーズン | チーム | リーグ | GP | G | A | Pts | PIM | GP | G | A | Pts | PIM | ||
| 1961–1962 | セント・キャサリンズ | OHA | 49 | 32 | 39 | 71 | 54 | 6 | 1 | 4 | 5 | 9 | ||
| 1961–1962 | スーセントマリー | EPHL | 6 | 0 | 3 | 3 | 2 | - | - | - | - | - | ||
| 1962–1963 | セントルイス | EPHL | 71 | 36 | 54 | 90 | 51 | - | - | - | - | - | ||
| 1963–1964 | セントルイス | EPHL | 43 | 26 | 54 | 80 | 65 | - | - | - | - | - | ||
| 1963–1964 | シカゴ・ブラックホークス | NHL | 27 | 3 | 2 | 5 | 2 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
| 1964–1965 | シカゴ・ブラックホークス | NHL | 70 | 23 | 32 | 55 | 44 | 13 | 3 | 3 | 6 | 15 | ||
| 1965–1966 | シカゴ・ブラックホークス | NHL | 69 | 27 | 26 | 53 | 49 | 6 | 1 | 1 | 2 | 2 | ||
| 1966–1967 | シカゴ・ブラックホークス | NHL | 69 | 21 | 40 | 61 | 40 | 6 | 0 | 0 | 0 | 7 | ||
| 1967–1968 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 74 | 35 | 49 | 84 | 21 | 4 | 0 | 3 | 3 | 0 | ||
| 1968–1969 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 74 | 49 | 77 | 126 | 79 | 10 | 8 | 10 | 18 | 8 | ||
| 1969–1970 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 76 | 43 | 56 | 99 | 50 | 14 | 13 | 14 | 27 | 16 | ||
| 1970–1971 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 78 | 76 | 76 | 152 | 71 | 7 | 3 | 7 | 10 | 6 | ||
| 1971–1972 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 76 | 66 | 67 | 133 | 76 | 15 | 9 | 15 | 24 | 24 | ||
| 1972–1973 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 78 | 55 | 75 | 130 | 87 | 2 | 0 | 1 | 1 | 2 | ||
| 1973–1974 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 78 | 68 | 77 | 145 | 58 | 16 | 9 | 5 | 14 | 25 | ||
| 1974–1975 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 79 | 61 | 66 | 127 | 62 | 3 | 4 | 1 | 5 | 0 | ||
| 1975–1976 | ボストン・ブルーインズ | NHL | 12 | 6 | 10 | 16 | 8 | - | - | - | - | - | ||
| 1975-1976 | ニューヨーク・レンジャース | NHL | 62 | 29 | 38 | 67 | 28 | - | - | - | - | - | ||
| 1976–1977 | ニューヨーク・レンジャース | NHL | 80 | 34 | 46 | 80 | 52 | - | - | - | - | - | ||
| 1977–1978 | ニューヨーク・レンジャース | NHL | 79 | 38 | 43 | 81 | 53 | 3 | 0 | 1 | 1 | 5 | ||
| 1978–1979 | ニューヨーク・レンジャース | NHL | 80 | 42 | 36 | 78 | 37 | 18 | 8 | 12 | 20 | 20 | ||
| 1979–1980 | ニューヨーク・レンジャース | NHL | 80 | 34 | 44 | 78 | 73 | 9 | 3 | 3 | 6 | 8 | ||
| 1980–1981 | ニューヨーク・レンジャース | NHL | 41 | 7 | 13 | 20 | 20 | - | - | - | - | - | ||
| NHL 合計 | 1282 | 717 | 873 | 1590 | 910 | 130 | 61 | 76 | 137 | 138 | ||||
国際大会
| 年 | チーム | イベント | GP | G | A | Pts | PIM |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1972 | カナダ | サミットシリーズ | 8 | 7 | 6 | 13 | 15 |
| 1976 | カナダ | カナダカップ | 7 | 4 | 3 | 7 | 0 |
| 1977 | カナダ | 世界選手権 | 10 | 7 | 3 | 10 | 14 |
NHLヘッドコーチ歴
| チーム | 年度 | レギュラーシーズン | ポストシーズン | ||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 勝 | 敗 | 引分 | ポイント | 順位 | 勝 | 敗 | 勝率 | 結果 | ||
| NYR | 1986–87 | 43 | 24 | 19 | 0 | (48) | パトリック4位 | 2 | 4 | .333 | ディビジョン準決勝敗退 (PHI) |
| NYR | 1988–89 | 2 | 0 | 2 | 0 | (0) | パトリック3位 | 0 | 4 | .000 | ディビジョン準決勝敗退 (PIT) |
| 合計 | 45 | 24 | 21 | 0 | 2 | 8 | .200 | プレーオフ進出 2回 | |||
表彰

- アート・ロス記念賞(リーグ得点王):5回(1969年、1971年、1972年、1973年、1974年)
- ハート記念賞(リーグ最優秀選手賞):2回(1969年、1974年)
- NHLオールスターチーム
- 1stチーム:6回(1969年、1970年、1971年、1972年、1973年、1974年)
- 2ndチーム:2回(1968年、1975年)
- レスター・B・ピアソン賞:2回(1971年、1974年)
- ルー・マーシュ賞:1972年
- レスター・パトリック賞:1978年
- カナダのスポーツ殿堂:1989年
- 最高のNHLプレーヤー100人選出:2017年
記録
- NHLオールスターゲーム選出:10回
- 1590ポイント(ゴール数717、アシスト数873)
- ゴール数歴代5位、アシスト数歴代18位、ポイント数歴代8位(いずれも2005年現在)
- シーズン最多ショット記録 (550、1971年)
- 13年連続シーズン30ゴール以上 (2005年現在史上第2位)
- シーズン最多ショット (550, 1970-1971)
脚注
- 1 2 “Boston's Top 50 Athletes of All-Time Previous36 of 52 #16 Phil Esposito, Boston Bruins (1967-1976)”. bleacherreport.com (2010年8月17日). 2011年2月19日閲覧。
外部リンク
- NHL.com, or Eliteprospects.com, or Hockey-Reference.com, or Legends of Hockey, or The Internet Hockey Database
- Stu Hackel (2017年1月2日). “Phil Esposito: 100 Greatest NHL Players” (英語). NHL公式サイト. NHL.com. 2026年10月14日閲覧。
- Joe Pelletier (2018年5月1日). “Phil Esposito” (英語). GreatestHockeyLegends.com. 2026年10月14日閲覧。
- The Trade