タラ・クロス=バトル

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タラ・クロス=バトル
Tara Cross-Battle
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1968-09-16) 1968年9月16日(56歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 ヒューストン
ラテン文字 Tara Cross-Battle
身長 183cm
体重 76kg
選手情報
ポジション WS
利き手 右
スパイク 302cm
ブロック 301cm
獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オリンピック
銅1992バルセロナ
世界選手権
銅1990北京
銀2002ベルリン
ワールドカップ
銅2003大阪
ワールドグランプリ
金1995上海
金2001澳門
銅2003アンドリア
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タラ・クロス=バトル(Tara Cross-Battle、女性、1968年9月16日 - )は、アメリカ合衆国の元バレーボール選手。元アメリカ代表。

来歴

テキサス州ヒューストン出身。タラの目覚ましいバレーボール選手キャリアはカリフォルニア州立大学ロングビーチ校に入学した1986年に始まる。最高学年となった1989年には、NCAA女子バレーボール選手権で優勝を果たし[1]、活躍の証としてタラの背番号14は永久欠番となった。同学の永久欠番としてはダニエル・スコット(2番)やミスティ・メイ(5番)らがいる[2]。

卒業後の1990年にアメリカ合衆国代表入りし、同年8月に北京で開催された世界選手権に出場し銅メダルに輝いた。2年後の1992年には、バルセロナオリンピックでも銅メダルに輝いた[3]。

1992年から1995年までの3シーズン、タラはイタリアセリエAのアンコーナ(イタリア語版)でプレーした。この間、合衆国代表として、1995年のワールドグランプで優勝に大きく貢献し、自らもMVP・ベストスコアラーに輝いた。

1996年にはブラジルに渡った。3シーズンLeites Nestle(英語版)でプレーし、'96/97シーズンはブラジルスーパーリーガで優勝を果たす。その後移籍したParanaでも優勝を果たした。

2001/02シーズンはイタリアに戻り、バレー・ベルガモでプレーした。同シーズン、ベルガモはリーグ初優勝を果たした。2002年の世界選手権では合衆国代表は決勝まで駒を進めたが、皮肉なことにイタリアに敗れ準優勝に終わった。

タラは永年の蓄積疲労から右膝を痛めていたが、2004年のアテネオリンピックでは主将としてチームを率いた。オリンピック終了後に現役引退を表明した。

2014年7月、バレーボール殿堂入りの栄に浴した[4][5]。

現在は、地元ヒューストンでジュニアクラブチーム(Houston Juniors Volleyball Club)の監督を務めている[6]。

球歴

受賞歴

所属クラブ

脚注

  1. ↑ announcement of Cross-Battle being made a coach for Texas Pride
  2. ↑ “Numeri di maglia ritirati dalla Long Beach”. 2010年4月7日閲覧。
  3. ↑ databaseOlympics.com. “Tara Cross-Battle”. 2014年7月15日閲覧。
  4. ↑ VOLLEYBALL HALL OF FAME. “Read the full Class of 2014 Press Release Here”. 2013年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年7月13日閲覧。
  5. ↑ Team USA. “Cross-Battle Selected for Volleyball Hall of Fame”. 2014年7月14日閲覧。
  6. ↑ Houston Juniors Volleyball Club. “2014/2015 HOUSTON JUNIORS VOLLEYBALL COACHES”. 2014年7月14日閲覧。
  7. ↑ 『月刊バレーボール』1995年11月号 88-90ページ

外部リンク