トッテナム

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トッテナム

トッテナム遠景
トッテナムの位置(グレーター・ロンドン内)
トッテナム
トッテナム
グレーター・ロンドンにおけるトッテナムの位置
人口129,237人 (2011年国勢調査)[1]
英式座標
TQ33608950
- チャリング・クロス6 mi (9.7 km) SSW
セレモニアル
カウンティ
グレーター・ロンドン
リージョン
構成国イングランドの旗 イングランド
国イギリスの旗 イギリス
郵便地域LONDON
郵便番号N15, N17
市外局番020
警察メトロポリタン
消防ロンドン
救急医療ロンドン
欧州議会ロンドン
英国議会
  • トッテナム
場所一覧
イギリス
イングランド
ロンドン
北緯51度35分51秒 西経00度04分05秒 / 北緯51.59750度 西経0.06806度 / 51.59750; -0.06806座標: 北緯51度35分51秒 西経00度04分05秒 / 北緯51.59750度 西経0.06806度 / 51.59750; -0.06806

トッテナムまたはトットナム(英: Tottenham、[ˈtɒtnəm] ( 音声ファイル) TOT-nəm[2])は、イギリスのロンドン北部、ハーリンゲイ区にある地区。チャリング・クロスの北10キロメートルに位置し[3]、北でエドモントンと、東でリー川対岸のウォルサムストウと、南でスタンフォード・ヒルと、西でウッド・グリーンおよびハーリンゲイと隣接する。

19世紀後半、鉄道の延伸とロウアー・ミドル・クラスやワーキング・クラス向けの大規模な宅地開発により、労働者階級の街として急速に発展した。1882年には、プレミアリーグに所属するサッカークラブのトッテナム・ホットスパーFCが発足している。1894年に市街区 (urban district) に指定され、1934年9月27日には市 (municipal borough) となった。第二次世界大戦後は、タワー・ブロックなどの公営住宅の建設が進んだ。かつてはミドルセックスのカウンティに所属していたが、同年ホーンジーとウッド・グリーンの各市と合併し、グレーター・ロンドンのハーリンゲイ区となった。

トッテナムは多文化的かつ民族的に多様な人口構成で知られる。20世紀なかばのいわゆるウィンドラッシュ時代にアフロ・カリブ系が流入し、イギリスで最も多民族的な地域のひとつとなった。近年はアフリカやアジア、南アメリカ、東ヨーロッパ出身者も増加している。

歴史

地名の由来

トタという農夫の村落がドゥームズデイ・ブックに見えることから、トタ (Tota) の村落 (hamlet) でトッテナム (Tottenham) となったというのが通説である。ドゥームズデイ・ブックには Toteham と表記されているこの村落は、古代はエドモントンの百戸村(ハンドレッド)に属した[4][5]。ロンドン中心部のトッテナム・コート・ロードとは関係がない[6]。

前近代

トッテナムには1000年以上前から村落があった。村落は古代ローマのエルミーネ街道(一部はこんにちA10号線となっている)沿い、およびハイ・クロスとトッテナム・ヘイルのあいだ(こんにちのモニュメント・ウェイ)に発展した。

ドゥームズデイ・ブックが編さんされた1086年時点ではおよそ70家族が住み、そのほとんどは農場領主制のもとで領主に奉公していた。1400年ごろに成立した詩「トッテナムのトーナメント」は、小作農らが代官の娘をめぐって模擬戦で争うさまをユーモラスに描いている。

トッテナムとウォルサムストウの境界をなすリー川は、古代にはミドルセックスとエセックスの各王国の国境で、ヴァイキングの侵攻以降はデーンロウの西の境界をもなしていた。今日ではグレーター・ロンドンのハーリンゲイ区とウォルサム・フォレスト区の境界となっている。リー川の主要な支流で、区内を東西に流れるモーゼル川は、19世紀まで頻繁に深刻な水害を起こしていた。

1619年のトッテナムの地図
1790年のトッテナム(ジョン・グリーンウッド画)

チューダー朝以降、トッテナムは裕福なロンドン市民の人気の行楽地となった。ヘンリー8世はブルース城に足を運び[7]、トッテナムの森で狩りを楽しんだことで知られる。1653年に刊行されたアイザック・ウォルトンの『釣魚大全』にも、トッテナムの田舎について記述がある[8]。また、クエーカー教徒の多い地域でもあり、学校も開設された[9]。1870年代までは田園風景を残す、アッパー・ミドル・クラスの地区であった。

近代

1870年代末、グレート・イースタン鉄道が新たに開業したエンフィールドとウォルサムストウの各支線において、労働者向けの特別列車と運賃体系を導入した。トッテナムの低地に広がっていた田園や菜園は、ロンドン中心部に通勤するロウアー・ミドル・クラスやワーキング・クラス向けの安価な住宅地区に急速に変貌した。

1894年、トッテナムは市街区 (urban district) に指定され、1934年9月27日には市 (municipal borough) となった。1965年4月1日にはホーンジーやウッド・グリーンとともに、グレーター・ロンドンのハーリンゲイ区を新たに構成した。

第二次世界大戦中には、バトル・オブ・ブリテンにおけるドイツ軍の主要な標的となった。1940年8月24日、ロンドンに初めて行われた空襲では、区内のエルマー・ロードに爆弾が落ちた。V1飛行爆弾、また戦争末期の1945年にはV2ロケットによる空襲も受けた。戦時中の物資不足により、家庭から出る生ごみから豚や家禽の飼料が製造されたが[10]、そうした加工品はトッテナム廃棄物処理場を視察したメアリー女王により「トッテナム・プディング」と命名された。プディングの製造は、戦後ハーリンゲイ区が新設されるころまで続いた。

1985年の暴動の現場となったブロードウォーター・ファーム
2011年の暴動で襲撃された旧ブルース・グローブ郵便局

1985年10月6日、黒人女性シンシア・ジャレットが警察から家宅捜索を受けているさなかに心不全で亡くなったことをきっかけに、ブロードウォーター・ファーム暴動と呼ばれる暴動がブロードウォーター・ファーム・エステートで発生した。その前の週にはブリクストン暴動が生じており、トッテナムでも黒人の若者と主に白人からなる警察組織とのあいだで緊張が高まっていた。この暴動で警官1人が死亡、警官58名とほか24名が負傷した。また、2011年にもトッテナムでの暴動から2011年イギリス暴動が発生した。

1990年代以降、トッテナムはイギリスにおけるギャングと銃犯罪の温床となっており、トッテナム・マンデムやハックニー区のギャング集団、それにトッテナム周辺のギャングとのあいだで抗争が続いている。1999年にはハックニー、ハールスデン、ペッカム、ブリクストンと並ぶ、ロンドンにおけるヤーディーズ(ジャマイカ系のギャングないし犯罪集団)の拠点のひとつとされた[11]。2011年にはデイビッド・ラミーが、トッテナムの失業率はロンドンで最も高く、イギリス全土でも8番目に高いと述べている[12]。

鉄道の歴史

  • 1840年9月15日 - ノーザン・アンド・イースタン鉄道ストラトフォード - ブロクスバーン間開業。地区内にはトッテナムとマーシュ・レーンの2駅が設けられる。
  • 1868年7月21日 - トッテナム・アンド・ハムステッド・ジャンクション鉄道開業。1871年、サウス・トッテナム駅開業。1882年にはセント・アンズ・ロード駅も開業したが、1942年8月8日に廃止。
  • 1872年7月22日 - ストーク・ニューイントン・アンド・エドモントン鉄道ストーク・ニューイントン - ロウアー・エドモントン間開業。スタンフォード・ヒル、セブン・シスターズ、ブルース・グローブ、ホワイト・ハート・レーンの各駅が設けられる。
  • 1878年1月1日 - パレス・ゲーツ線開業。セブン・シスターズとウェスト・グリーンの各駅が設けられる。1963年に旅客営業終了、1965年2月7日廃線。
  • 1894年7月9日 - トッテナム・アンド・フォレスト・ゲート鉄道開業。
  • 1968年9月1日 - ロンドン地下鉄ヴィクトリア線第一区間開業。

行政

庶民院(イギリス下院)のトッテナム選挙区に属する。同選挙区は1885年に創設され、1918年にトッテナム北とトッテナム南のふたつに分割されたが、1950年に統合された。

トッテナムは中世以来、1965年まで地方行政の中心地区であった。1850年に地方保健委員会が設立されたのち、1875年にミドルセックスの教区から都市衛生管理区域となった。その後、1888年にウッド・グリーンが分立し、別の自治体となった[13]。1894年には市街区 (urban district) に、1934年には市 (municipal borough) になった。1963年地方自治法が成立すると、グレーター・ロンドンのハーリンゲイ区の一部となった。こんにち、トッテナム地区は同区に20ある地区のひとつとなっている。

人口統計

トッテナムの人口構成は多文化的で、多くの民族がこの地域に住んでいる。とりわけアフロ・カリブ系は多く、1930年代からトッテナムに暮らす、最も古い移民グループでもある。また、セブン・シスターズ地区はユダヤ系の人口が多く、その割合はハーリンゲイ区で最も高い18.1パーセントに達する。

2011年の国勢調査によると、トッテナムがその大部分を占めるトッテナム選挙区の人種構成は白人のイギリス人が22.3パーセント、その他の白人が27.7パーセント、黒人が26.7パーセント、アジア系が10.7パーセント、その他ないし混血が12.6パーセントであった[14]。

交通

ホワイト・ハート・レーン駅

ロンドン地下鉄

ヴィクトリア線セブン・シスターズ駅とトッテナム・ヘイル駅があり、ウォルサムストウやウエスト・エンド、ブリクストン方面へ乗り換えなしで行くことができる。セブン・シスターズ駅はA10号線沿い、トッテナム・ヘイル駅はトッテナム中心部の南東に位置する。

ノーサンバーランド公園に、ヴィクトリア線の操車場がある。

地区の西端部は、ピカデリー線ターンパイク・レイン駅の徒歩圏内にある。1932年の開業時、同駅はハーリンゲイ区が分立する前のトッテナム区に所在していた。

ナショナル・レール

下記のふたつの鉄道事業者が路線を運営している。

ロンドン・オーバーグラウンド
  • リー・バレー線:セブン・シスターズ駅、ブルース・グローブ駅、ホワイト・ハート・レイン駅
  • ゴスペル・オーク・トゥー・バーキング線:サウス・トッテナム駅[15]
グレーター・アングリア
  • リー・バレー線:トッテナム・ヘイル駅、ノーサンバーランド・パーク駅
  • ウェスト・アングリア本線:トッテナム・ヘイル駅[16]

ロンドンバスの41、76、123、149、192、230、243、259、279、318、341、476、W3、W4の各系統が運行されている[17]。

スポーツ

トッテナム・ホットスパー・スタジアム。イングランドで3番目に大きなサッカースタジアムである

イングランド1部プレミアリーグに所属するサッカークラブ、トッテナム・ホットスパーFCの本拠地である。1899年からホワイト・ハート・レーンをホームグラウンドとしてきたが、2017年にこの地域の再開発計画の一環として閉場、取り壊され、同じ敷地にトッテナム・ホットスパー・スタジアムが2019年4月3日にオープンした。2017 - 18シーズンと2018 - 19シーズンは、ウェンブリー・スタジアムでホームゲームを行った。

このほかのサッカークラブとしては、コールズ・パーク・スタジアムをホームグラウンドとするヘイリンゲイ・ボローF.C.と、ホワイト・ハート・レイン・コミュニティ・スポーツ・センターをホームグラウンドとするパーク・ビューが挙げられる。

脚注

  1. ↑ “Local statistics: Office for National Statistics”. neighbourhood.statistics.gov.uk. 2016年10月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年5月5日閲覧。
  2. ↑ “Oxford English Dictionary, “Tottenham (n.), Pronunciation,””. oed.com (2025年9月). 2026年10月11日閲覧。
  3. ↑ “Distance between Charing Cross, London, England, UK and Tottenham, London, England, UK (UK)”. 2020年7月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月16日閲覧。
  4. ↑ Open Domesday: Tottenham Archived 28 April 2021 at the Wayback Machine.. Accessed April 2021.
  5. ↑ “DocumentsOnline | Image Details”. The National Archives. 2012年8月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年12月10日閲覧。
  6. ↑ Mills, A.D. (2010). A Dictionary of London Place-Names. Oxford University Press. p. 248. ISBN 978-0-199-56678-5
  7. ↑ “Tottenham: Growth before 1850 | British History Online”. 2019年6月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月29日閲覧。
  8. ↑ “The Complete Angler by Isaak Walton – Free eBook”. Manybooks.net. 2009年4月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年12月10日閲覧。
  9. ↑ “Tottenham Quaker Meeting (Religious Society of Friends)”. Tottenhamquakers.org.uk. 2010年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年12月10日閲覧。
  10. ↑ “Foods of England – Tottenham Pudding”. 2025年4月20日閲覧。
  11. ↑ “Police tackle London's Yardies”. BBC News. 2008年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2016年5月16日閲覧.
  12. ↑ David Lammie. “Response to the Comprehensive Spending Review”. 2011年7月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年2月25日閲覧。
  13. ↑ “Tottenham parish”. 2012年6月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年2月10日閲覧。
  14. ↑ “UK Polling Report”. ukpollingreport.co.uk. 2016年6月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年5月5日閲覧。
  15. ↑ “London Overground Timetables”. Transport for London (2023年12月10日). 2024年4月23日閲覧。
  16. ↑ “Timetables”. Greater Anglia (2023年12月10日). 2024年4月23日閲覧。
  17. ↑ “National Rail Tottenham Bus Map”. 2017年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月24日閲覧。