トンスル
トンスル(朝: 똥술、英: Ttongsul)は、17世紀の朝鮮の伝統医学書『東医宝鑑』をはじめとする東アジアの伝統医術においては、人糞由来の薬材(「人中黄」や「人屎」など)が急性の熱病や解毒、骨折の治療などに処方されていた歴史が存在する[1]。これらの処方の系譜にある伝統的な自家醸造酒(宮廷などでも服用されていた野人乾水などがある)が、後世には「トンスル(糞酒)」という俗称で呼ばれるようになったとみられている[2]。現代の韓国においては極めて稀な存在となっており、一般の韓国人の間でも認知度は非常に低いとされる[2]。2010年代以降、海外のドキュメンタリーメディアによる現地取材やインターネット上の言説を通じて、東アジア周辺国を中心に文化的な話題として広く知られるようになった[3]。
野人乾水(破棺湯)
朝鮮王朝の公式記録である『朝鮮王朝実録』中宗実録には、第11代国王・中宗が晩年に重い熱病を患った際、「破棺湯」(別名「野人乾水(야인건수)」)という薬を、死去の前日までに8回服用したという記述がある[4][5]。また、「夜中に熱が次第に発し、野人乾水を進めたが、熱は止まらなかった」とも記録されている。これは、野に放置され乾燥した人糞を火で炒り、水に浸して抽出した液体を指す[4]。
この処方は「傷寒発狂」と呼ばれる重篤な症状(現代でいう腸チフス等に伴う意識障害を含む病態)に用いられる薬とされ、朝鮮の宮中医官(大長今の名で知られる)が中宗に提案したという逸話が伝わっている[5][6]。人糞を乾燥させ粉末にしたものは「野人乾(야인건)」、それを煎じたものは「野人乾水」と呼ばれた[4]。
東医宝鑑における「人中黄」
李氏朝鮮時代の医書『東医宝鑑』(許浚著、1613年刊)[7]には、「人中黄」という処方が記載されている。これは竹筒を糞尿に浸けて抽出した液体、または甘草の粉末を人糞に混ぜたものを指し、性質は「冷」であり、流行性の熱病、各種の中毒、悪性の腫れ物や菌毒の治療に用いるとされる[8]。
また、同書には人糞そのものを指す「人屎(인시)」という単独の処方も別途記載されており、傷寒発熱(急性の熱病)、骨蒸(慢性的な微熱を伴う消耗性の症状)、伝染病による高熱・意識障害、発背や釘瘡(悪性の腫れ物)など、人中黄とは異なる複数の症状に個別に用いられていた[9]。
なお、「東医宝鑑にトンスルという名称そのものが記載されている」とする言説がインターネット上に見られるが、これは正確ではない。 実際に同書に記載されている糞便由来の処方は、「人屎(인시)」「人中黄(인중황)」「人中黄丸」「人中白」などの名称であり[10]、똥술という呼称自体の初出は特定されていない。
一部の資料は、東医宝鑑に「鳥肉や獣肉による食中毒には人糞汁、毒キノコ中毒には人糞一升」という記述があるとするが、この情報の出典は学術文献ではなく新聞コラム記事にとどまっており、原文における該当箇所は現時点では確認されていない[11]。
日本・中国における類似の処方
排泄物を原料とする生薬は朝鮮半島に限らず、中国・日本を含む東アジア全域で伝統的に用いられてきた。日本でも「人中黄」は江戸時代の医学書『用薬須知』(6巻「人ノ部」)に同名で記載され、甘草の粉末を人糞に混ぜて作成する類似の製法が伝わっている[12][13]。 『救民妙薬』(徳川光圀の命により編纂)には、「河豚の毒を解す妙薬」の項に人糞を用いる方法が記されているほか、馬糞を傷の治療や鉄砲傷の治療に用いた記録も残る[14][15]。
現代における言説
日本国内での紹介記事(2009年・2012年)
2009年、ウェブメディア「ロケットニュース24」が、韓国に嫁いだ日本人女性のブログを引用する形でトンスルを紹介し、「特に韓国の田舎では愛飲されているようである」と報じた[16]。2012年には同メディアが、匿名の販売者から現物を購入したとする記事を掲載し、現在も製造・販売されていると報じた[17]。
VICE Japanの取材(2013年)
2013年8月、VICE Japanは記者が「李昌洙」と名乗る人物を取材し、その場で作られたトンスルを飲用する様子を撮影・配信した[18]。
同月、英デイリー・メール、中国の環球時報・広州日報がこの映像を引用する形で報道したが、いずれも独自取材ではなく、VICE Japanの内容を転載したものである[19]。韓国メディアはこのような動画を日本の右翼が韓国を糞を好んで食べる国と紹介していると批判した[20][21]がVICE Japanはアメリカに本部を置いた企業であり動画には韓国が糞を好んで食べるという記載はどこにも登場していない[22]。
大衆文化における言及
2017年放送の韓国ドラマ『力の強い女ト・ボンスン』では、登場人物がトンスルを見舞いの品として持参する場面が描かれている[23]。これは同ドラマ内でのコミカルな演出であり、現実における飲用の実態を裏付けるものではない。
2020年、スウェーデンの「嫌悪食博覧会(Disgusting Food Museum)」にトンスルが展示されたことが、AFP通信をはじめ複数の国際メディアで報じられた[24][25]。同博物館は、これを、「韓国ではさまざまな種類の糞用ワインが治療薬として使用されており伝統的な韓医学」として紹介する一方、現代の韓国においてはほとんど製造されておらず、一般には知られていないと説明している[26]。
名称が類似する「筒酒(통술)」について
똥술とは別に、韓国には「筒酒(통술)」という酒が実在する。生きた竹筒の中で酒を熟成させる、糞尿とは一切関係のない酒であり、韓国特許庁にも製造方法が実用新案として登録されている[27]。
脚注
- ↑ “'東医宝鑑'19世紀ハングル翻訳本 公開”. ハンギョレ新聞. 2009年8月7日. 2026年9月17日閲覧.
- 1 2 “韓国の人糞酒「トンスル」 - Korean Poo Wine”. VICE Japan (2013年8月17日). 2026年9月17日閲覧。
- ↑ VICE Japan (2013-08-16), 韓国の人糞酒「トンスル」 - Korean Poo Wine 2026年10月19日閲覧。
- 1 2 3 한동하 (2024年3月). “중종이 열병으로 복용한 야인건수(野人乾水)는 바로 OO이었다” (朝鮮語). 파이낸셜뉴스. 2026年8月26日閲覧。
- 1 2 박일환 (2024年8月). “황룡탕(黃龍湯)과 파관탕(破棺湯)” (朝鮮語). 뉴스서천. 2026年8月26日閲覧。
- ↑ “世宗大王は肉食がお好き…肥満に糖尿病”. 東亜日報. 2005年8月22日. 2026年8月26日閲覧.
- ↑ 許浚(他)編『訂正東醫寶鑑』難病篇3、栂井藤兵衛、1724年。
- ↑ “人中黃” (朝鮮語). haandoctor.com. 2026年8月26日閲覧。
- ↑ “동의보감 처방”. 익생닷컴. 2026年8月28日閲覧。
- ↑ “동의보감 처방”. 익생닷컴. 2026年8月28日閲覧。
- ↑ 金南中 (2010年8月20日). “【噴水台】人糞”. 中央日報. 2026年8月26日閲覧.
- ↑ “用薬須知 正編(5巻)・附1巻”. 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ. 京都大学附属図書館. 2026年8月28日閲覧。
- ↑ フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜2』講談社、2003年。
- ↑ “救民妙薬”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 2026年8月28日閲覧。
- ↑ 赤松金芳『新訂 和漢薬』医歯薬出版、1970年、736頁。
- ↑ “韓国伝統の人糞酒『トンスル』とはどんな酒なのか”. ロケットニュース24(β) (2009年7月31日). 2026年8月26日閲覧。
- ↑ “韓国伝統の人糞酒『トンスル』を入手”. ロケットニュース24 (2012年11月9日). 2026年8月26日閲覧。
- ↑ 内田優花 (2013年8月16日). 韓国の人糞酒「トンスル」 - Korean Poo Wine. VICE Japan. 2026年8月26日閲覧.
- ↑ Griffiths, Sarah (2013年8月20日). “Bottoms up? The bizarre traditional Korean rice wine that uses human POO to 'heal' everything from broken bones to epilepsy”. Daily Mail. 2026年8月26日閲覧.
- ↑ Ashcraft, Brian (2013年8月26日). “Anger Over Korean Poo Wine Video” (英語). Kotaku. 2026年10月19日閲覧。
- ↑ 기자, 이태형 TV조선 (2020年7月28日). “日 매체 "한국은 똥술 즐겨 마시는 나라"…도 넘은 한국비하” (朝鮮語). 조선일보. 2026年10月19日閲覧。
- ↑ VICE Japan (2013-08-16), 韓国の人糞酒「トンスル」 - Korean Poo Wine 2026年10月19日閲覧。
- ↑ JTBC (2017). 力の強い女ト・ボンスン (第10-11話).
{{cite AV media}}:|medium=、|type=引数が重複しています。 (説明) - ↑ “Faeces wine? Revolting alcohol on show at Disgusting Food Museum”. New Straits Times. AFP. 2020年9月13日. 2026年8月26日閲覧.
- ↑ “Poop wine? Vile alcohol on show at Swedish Disgusting Food Museum”. Moneycontrol. 2020. 2026年8月26日閲覧.
- ↑ “Ttongsul – Korean wine with child feces”. Disgusting Food Museum. 2026年8月26日閲覧。
- ↑ 20020034008A, "생대나무를 이용한 대나무 통술의 제조방법", issued 2002
参考文献
- 許浚(他)著『東醫寶鑑(동의보감)』1613年刊。
- 今村鞆『朝鮮風俗集:全』斯道舘、1914年。
- 水野俊平『笑日韓論』(フォレスト2545新書)フォレスト出版、2014年。ISBN 978-4-89451-952-7。