ドルツク公

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ドルツク公(ベラルーシ語: князь друцкі)とは、12世紀初頭からルーシ西部に存在したドルツク公国の君主の称号である(「公」は「クニャージ」からの訳出による)。公・公国の名は、その中心都市だったドルツクによる。

ドルツク公の一覧

キエフ大公国期

(この間、上記のログヴォロドはビザンツ帝国に追放されており、ポロツク公イジャスラフ、スヴャトポルク、ヴァシリコがドルツクを統治していたと考えられている。)

リトアニア大公国期

脚注

注釈

  1. ↑ 兄弟とされるボリスと同一人物とみなす説により、ボリスとも称される。
  2. ↑ 初代ドルツク公のログヴォロドを、兄弟のボリスと同一人物とみなすか否かで父称が異なる(ボリソヴィチ)。また、名はヴァシリーとも。
  3. ↑ 1195年にスモレンスク公ムスチスラフの捕虜となったという記述がある[2]。

出典

  1. 1 2 3 Л.Войтович 3.2. ІЗЯСЛАВИЧІ ПОЛОЦЬКІ // КНЯЗІВСЬКІ ДИНАСТІЇ СХІДНОЇ ЄВРОПИ
  2. ↑ М.Погодин ПОЛОЦКОЕ КНЯЖЕСТВО // ДРЕВНЯЯ РУССКАЯ ИСТОРИЯ ДО МОНГОЛЬСКОГО ИГА