ヒッタイトグローリー
| ヒッタイトグローリー | |||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 欧字表記 | Hittite Glory | ||||||||
| 品種 | サラブレッド | ||||||||
| 性別 | 牡 | ||||||||
| 毛色 | 鹿毛 | ||||||||
| 生誕 | 1973年4月18日 | ||||||||
| 父 | Habitat | ||||||||
| 母 | Hazy Idea | ||||||||
| 母の父 | Hethersett | ||||||||
| 生国 |
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| 生産者 | Cleaboy Farms Co | ||||||||
| 馬主 | Ravi Tikkoo | ||||||||
| 調教師 |
Scobie Breasley( | ||||||||
| 競走成績 | |||||||||
| 生涯成績 | 13戦3勝 | ||||||||
| 獲得賞金 | £324,270 | ||||||||
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ヒッタイトグローリー(英語: Hittite Glory、1973年4月18日[1] - 1996年?)は、イギリスの競走馬である。主な勝ち鞍はフライングチルダーズステークス(1975年)、ミドルパークステークス(1975年)。
来歴
ヒッタイトグローリーは、力強く丸みを持ち堂々とした筋肉質な外見で[2]、白斑のない鹿毛の馬であり、イングランドのクリーボーイファームで生産された。
1歳時に、インドの海運王ラヴィ・ティクーによって3万ギニーで購入された後[2]、この牡馬はスコービー・ブリーズリーのエプソム近郊の厩舎に預けられた[3]。
競走馬時代
2歳(1975年)
6月にニューベリー競馬場の6ハロン戦であるバークシャーステークスでデビューし、良馬場の中でクライヴ・ブリテン厩舎のアフリカンウィナーから20馬身離されて5着に終わった。続く6ハロン戦では、やや悪い状態の馬場の中で勝利した。
続いてリッチモンドステークスに臨んだが、スタンドトゥリーズンが勝利する中で9頭中6着に終わった。8月にヨーク競馬場で行われたジムクラックステークスでは、発送直後に斜行したこともあり、ミュージックボーイが勝利しスタンドトゥリーズンらが続く中、14頭中11着と素質への期待を裏切る結果に終わった[2]。
9月にドンカスター競馬場で行われた5ハロンのフライングチルダーズステークス(G1)は、ミュージックボーイが単勝約1.83倍のの1番人気で、ノーフォークステークス勝ち馬のファリラキが単勝2.5倍、牝馬でロベールパパン賞2着のウェスタンジュエルとここまで4勝のアラクリターが単勝15倍で続いた。5頭立てであったが、フランキー・ダーが騎乗したヒッタイトグローリーは、勝つ見込みが薄いと判断され、大穴の単勝101倍での出走となった。比較的良馬場の中、スタートは良かったものの途中で最後方となり、追走に苦労しているようにも見えたが、最後の2ハロンで長く脚を使って追い込みミュージックボーイを捉えてクビ差で勝利した。3着のウェスタンジュエルはそこから2馬身半差で、更に8馬身後ろに4着のファリラキ、その5馬身後ろには最下位のアラクリターとなった。タイムフォームはこの結果について、フロックでも何でもなく実力で勝利したものであるという見解を示した[2]。なお、1971年のグループ制導入以来、G1に単勝101倍で勝利した馬は、2010年のナンソープステークスでソールパワーが勝利するまでは他に存在しなかった[4]。
10月にニューマーケット競馬場で行われた6ハロンのミドルパークステークスでは、ヴィンセント・オブライエン厩舎のタイロスステークス勝ち馬フォルマーが1番人気に支持され、ミルリーフステークス勝ち馬ロイヤルボーイやハリーローズベリートロフィー勝ち馬デュークエリントンといった馬が出走する中で、ヒッタイトグローリーは有力馬の1頭として単勝オッズ5.5倍に支持された[5]。スタートで出遅れ、残り2ハロンでも最後方であったが、ロイヤルボーイの進路に影響を与えつつデュークエリントンに接触を受けるなど激しい競り合いで狭い隙間を突いてなんとか先頭に立ち、デュークエリントンに短アタマ差で勝利した。3着には1馬身離れて伏兵のパトリスが入った。タイムフォームは、レース運びが順調なら、差を付けて勝っていただろうと評した。
同月下旬、同競馬場の7ハロン戦であるデューハーストステークスに出走し、1909年のレンバーグ以来となる「ミドルパークステークスとデューハーストステークスの連勝」という記録を目指した。しかし、より良馬場となったレースでは、序盤はダー騎手が抑えようとしたが抵抗するといった調子であり、ウォローが勝利する中で7頭中5着に終わった[2]。
1975年時点ではインターナショナル・クラシフィケーションは存在せず、各国の公式ハンデキャッパーが個別にランキングを作成していた。イギリスのフリーハンデキャップにおいては、首位のウォローよりは5ポンド低いが、2番手の2歳馬として評価された。タイムフォームは首位のマナードより5ポンド低く、ウォローより2ポンド低い125ポンドのレーティングを与えた。同社の年鑑"Racehorses of 1975"においては、良馬場を好み、一流のスプリンターの風格を備えていると評された[2]。
3歳(1976年)
馬主の意向でフランスのシャンティイ競馬場にあるブリーズリー調教師の厩舎に移動した。その後の3歳初戦は、メゾンラフィット競馬場で行われた1500メートルのメートルのモンテニカ賞に出走したが、最も重い斤量を背負い、ザチャプレンの7着に終わった。4月25日にロンシャン競馬場で行われた1600メートルのプール・デッセ・デ・プーランでは、レッドロードが勝利する中で11頭立ての最下位に終わった。
その後は短距離路線に移り、イギリスに戻って6月のロイヤルアスコット開催のキングズスタンドステークスに出走。序盤は微妙であったが終盤まで粘り、ロッホナガーとリアリティに次ぐ3着と健闘した。
しかしその後は再び低迷が続き、ジュライカップでは最下位、8月のスプリントチャンピオンシップでは9着、9月20日にメゾンラフィット競馬場で行われたセーネワーズ賞でも9着に終わった[6]。
同年にはタイムフォームによってレーティングを119と評価された。同社の年鑑"Racehorses of 1976"では、同年の平凡な成績で評価は下がったが、実力を発揮した場合は極めて優秀であったとされた[6]。
種牡馬時代
3歳で競走馬を引退した後、1口4000ポンド総額16万ポンドを想定したシンジケートが組まれ、イギリスのニューマーケットにあるニューイングランドスタッドにおいて種付け料1200ポンドで種牡馬として供用が開始された[6]。しかし、あまり実績を上げられず、1983年には日本へ輸出された。
1984年から日本で供用され、最初の4年は50頭以上の牝馬を集めたものの、最終成績も中央競馬のオープン馬を複数出した程度であり、6年目の1989年には10頭以下に落ち込んだ[7]。1993年までは種付けを行っていたが、1996年8月1日付で用途変更になっている[7]。
イギリス時代の代表産駒は、チャンピオンハードルで3着に入り、障害競走用種牡馬としても成功を収めたパストグローリーズである[8]。
母の父としての産駒
※海外馬はG1馬のみ
血統表
| 父系 | サーゲイロード系(ロイヤルチャージャー系) [§ 2] | |||
|---|---|---|---|---|
父 Habitat1966 鹿毛 |
父の父 Sir Gaylord1959 黒鹿毛 |
Turn-To | Royal Charger | |
| Source Sucree | ||||
| Somethingroyal | Princequillo | |||
| Imperatrice | ||||
父の母 Little Hut1952 鹿毛 |
Occupy | Bull Dog | ||
| Miss Bunting | ||||
| Savage Beauty | Challenger | |||
| Khara | ||||
母 Hazy Idea1967 鹿毛 |
Hethersett 1959 鹿毛 |
Hugh Lupus | Djebel | |
| Sakountala | ||||
| Bride Elect | Big Game | |||
| Netherton Maid | ||||
母の母 Won't Linger1961 栗毛 |
Worden | Wild Risk | ||
| Sans Tares | ||||
| Cherished | Chanteur | |||
| Netherton Maid | ||||
| 母系 (F-No.) | (FN: 21-a) [§ 3] | |||
| 5代内の近親交配 | Netherton Maid 4×4、Nearco 5×5×5 [§ 4] | |||
| 出典 | ||||
- 父ハビタットは、アメリカ合衆国生産、イギリス調教のマイラーであり、1970年代から1980年代にかけて種牡馬としてヨーロッパで活躍した。産駒としてはハビブティ、フライングウォーター、マーウェル、ローズボウル、スタインレンなどが挙げられるほか[10]、3度イギリスのリーディングブルードメアサイアーとなっている[11]。
- 母ヘイジーアイディアは1969年のクルックハムステークスや1970年のマーチステークスを制し、タイムフォームが118のレーティングを与えた馬である。ヒッタイトグローリーはその2番仔。また、牝系子孫にはエミリーアップジョンがいる。
- 4代母ネザートンメイドは、ヒッタイトグローリーの母父ヘザーセットの母母でもある[12]。
脚注
- ↑ “Hittite Glory pedigree”. Equineline. 2014年8月30日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 Timeform staff (1976). Racehorses of 1975. Timeform
- ↑ Mortimer, Roger; Onslow, Richard; Willett, Peter (1978). Biographical Encyclopedia of British Flat Racing. Macdonald and Jane's. ISBN 0-354-08536-0.
- ↑ “2010 RECORD BREAKERS; REVIEW OF THE YEAR. - Free Online Library”. 2026年7月3日閲覧。
- ↑ Abelson, Edward; Tyrrel, John (1993). The Breedon Book of Horse Racing Records. Breedon Books Publishing. ISBN 978-1-873626-15-3
- 1 2 3 Timeform staff (1977). Racehorses of 1976. Timeform. ISBN 0-900599-22-7
- 1 2 “ヒツタイトグローリー”. ジャパン・スタッドブック・インターナショナル. 2026年7月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年7月3日閲覧。
- ↑ “Past Glories Stud Record”. Racing Post. 2026年7月3日閲覧。
- 1 2 3 4 “5代血統表 血統情報 ヒツタイトグローリー(GB)”. JBISサーチ. 2026年7月3日閲覧。
- ↑ “Habitat”. Pedigreepost.net (2002年2月3日). 2011年11月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年8月4日閲覧。
- ↑ “Leading Broodmare Sires of Great Britain and Ireland”. Tbheritage.com. 2012年8月4日閲覧。
- ↑ “Thoroughbred Bloodlines – Wagtail – Family 21-a”. Bloodlines.net. 2013年10月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月24日閲覧。