ベンメリア

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ベン・メリア寺院
ប្រាសាទបេងមាលា
Prasat Beng Mealea
第3回廊(外回廊)南側周辺[1]
ベンメリアの位置(カンボジア内)
ベンメリア
カンボジアにおける位置
基本情報
座標 北緯13度28分32秒 東経104度13分45秒 / 北緯13.47556度 東経104.22917度 / 13.47556; 104.22917座標: 北緯13度28分32秒 東経104度13分45秒 / 北緯13.47556度 東経104.22917度 / 13.47556; 104.22917
宗教 ヒンドゥー教
区域 ベーン・メリア村[2]
地区 スバイレオ郡(英語版)
州 シェムリアップ州
国 カンボジアの旗 カンボジア
現況 遺跡
建設
形式 平地型[3]
様式 クメール建築(英語版)
アンコール・ワット様式
-バイヨン様式[4]
創設者 スーリヤヴァルマン2世ほか[3][5]
着工 12世紀[6](11世紀末-12世紀初頭[7])
完成 12世紀末(13世紀)[8]
建築物
正面 東
横幅 環濠 1,200 m (3,900 ft) [6]
周壁 1,100 m (3,600 ft)[3][9]
奥行 環濠 900 m (3,000 ft) [6]
周壁 600 m (2,000 ft)[3][9]
資材 主に砂岩[3]、ほかラテライト[10]
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ベンメリア(ベン・メリア[11][12]、ベーン・メリア寺院[13]、クメール語: ប្រាសាទបេងមាលា、Prasat Beng Mealea〈英: Beng Mealea Temple〉ベン・メリアは「メリアの池[14]〈ハス池[15][16]〉」の意)は、カンボジアのシェムリアップ州スバイレオ郡(英語版)に位置する寺院遺跡である[6]。州都シェムリアップの約40キロメートル東方の森内にあり[17]、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界遺産であるアンコール遺跡群の1つに属するが、世界遺産暫定リストに別途記載されている[6][18]。

概要

寺院の環濠(堀)

シェムリアップから直線距離で約40キロメートル東(東北東)に位置し[17][19]、経路にして約70キロメートル[15][16](68[20]-77km[6][19]) の距離にある。密森に放置されたままの様相を見せる[21]平地型の寺院遺跡であり[3]、崩壊がひどく、ほとんどが瓦礫と化している[21]。アンコール・ワット建造前の11世紀末-12世紀初頭の造営と推測され、アンコール・ワットに先立ち、そのモデルとして計画されたといわれている[22]。環濠(堀)幅約45メートル[3]、周囲4.2キロメートルと規模はやや小さいものの、アンコール・ワットとの類似点が多く[23]、「東のアンコール・ワット」とも称される[24][25]。

地理

アンコール・ワット、その東約40キロメートルにあるベン・メリア寺院[3]、さらにアンコール地区より東約100キロメートル (105km[26]) のコンポン・スヴァイの大プリヤ・カーン(英語版)[27](コンポン・スヴァイ・プリア・カーン[28])の3寺院は一直線上にあり、往年にはアンコール地域(都城)を起点とするすべての道(「王道」[29])のうち[30]、この東西に延びる古道(盛土土手道、thnal[31])に位置するアンコール近隣の一大地方拠点であった[9]。

北西にあるクーレン山[32]、北東のコー・ケー、さらにラオスのワット・プーへの起点でもあり[3][19]、東・北部を結ぶ交通の要衝として栄えた。アンコール地域と同じく水利・灌漑のバライ(貯水池)が東側に構築され、広大な穀物地帯を形成していた[9]。北西付近には良質な砂岩を産出する石切り場があり、主にここで切り出された石材により建造された[3][33]。また、採石場に近いオー・トモーダップ[11](O Thmor Dab〈「石を削った小川」の意[34]〉) という小河川は、増水期にアンコール地方への運搬に利用されていた[35]。

寺院東側に位置するバライ「スラ・ケウ(スラ・ケヴ[36])」は[37]、広大な「くぼ地」となり[38]干上がっているが、東西1500メートル、南北600メートルで、2重の盛土により堤防が構築されている。バライの中央には祠堂 (Prasat Veal Phty、クメール語: ប្រាសាទវាលផ្ទី、英: Veal Phtei Temple) があり[3]、修復されている[39]。また、西堤中央部に小祠ベーン・ケヴ (Ben Kev)、南堤中央部の南約150メートルにプラサット・チュレイ (Presat Chrei〈Prasat Chrek〉[40])、東堤南東部の東約200メートルにプラサット・コン・プルック (Prasat Kon Phluk) の祠堂がある[41]。

寺院の西側約400メートルにはプラサット・ドン・チャン (Prasat Don Chan) の祠堂がある[42]。アンコール方面に向かう道にはスピアン・トゥノット・タ・デーヴ (Spean Tnaot Ta Dev) という石橋が認められる[36]。寺域の西側にある小祠跡クック・トップ・トム (Kuk Top Thom〈Prasat Kansaeng[43]〉) は、古道を行き交う人の休泊所「灯明の家」(英: ‘Firehouse’[44]〈‘house of fire’[45]〉)の1つであったとされ[46]、ダルマシャーラ (dharmaśāla) と称される[47]。ジャヤーヴァルマン7世(在位1181-1218年頃[48])によるものと考えられたが、先のトリブヴァナーディティアヴァルマン(英語版)(在位1165年頃-1177年[48])の建造であるといわれる[45]。

白象伝説
バライ南東部の東にあるプラサット・コン・プルックは、「象牙(プルック)をのせた場所」の意で[49]、ベン・メリア寺院やこれに関連する物語が伝わる。クロプレ・ロットという村娘が、ようやく見つけた水たまりで水を飲み、水浴したが、それはゾウ(白象)の尿であった。そして村娘は妊娠して娘が生まれ、トンセトラと名付けられた。成長したトンセトラは父親が白象と知ると探しに出立した。白象は森の王であった。トンセトラは父の白象と森の寺院で暮らすようになったが、白象がいない間に猟師が娘を連れ去った。そしてベン・メリア寺院で白象に見つかると、猟師はトンセトラを連れて逃げ回り、激高した白象は寺院を破壊した。追う白象は堤防を走りプラサット・コン・プルックまで来たが、疲れて休むうちに逃げられてしまった。そして白象はトンセトラを探してコー・ケーにたどり着くも、トンセトラは死に、白象も殺されて葬られた。コー・ケーの白象王の墓所は、プラサット・トム後方の小山といわれる。コー・ケーの同様の伝承のほか、さらにコンポン・スヴァイの大プリヤ・カーン(英語版)地方にも伝えられる[50]。

歴史

叙事詩『ラーマーヤナ』の装飾
寺院遺跡内の木道付近

碑文はなく、年代の比定には諸説あるものの[51]、図像や装飾美術・建築様式などから11世紀末-12世紀初頭の建築とされ[52]、12世紀前半のアンコール・ワット[53](1113-1145年頃[54])の造営より20年ぐらい前に[3]、アンコール ワットの試作として設計・建設されたといわれるが、証拠はない。装飾や建築は、総じてアンコール・ワットと同年代ないしやや後のものとする見方もある。そして11世紀中頃のバプーオン(1060年頃[55])[56]の建築様式の影響は限定的なほか、主にアンコール・ワット様式からバイヨン(12世紀末[54])様式への移行も見られる[57]。

ヒンドゥー教寺院として建造され、ヒンドゥー教神話をモチーフとした浮き彫り装飾[58]などが多く確認できる。建立はスーリヤヴァルマン2世(在位1113-1150年頃[48])を中心に先代の王など複数の王によるといわれる[3]。ただし、王が建立を直轄したアンコール・ワットに対して、ベン・メリア寺院は地方の長や有力者らが建立した地方寺院であり、アンコール地域の影響を受けながら、それぞれの時代の建築・装飾様式を取り入れたものとも捉えられる[59]。

ポル・ポト派(クメール・ルージュ)の支配が終わり[60]、1992年9月1日、ベン・メリア寺院は世界遺産暫定リストに加えられた[51]。地雷の撤去が進み[61]、およそ10年を要して[15]寺院内および参道周辺の除去作業が完了し[62]、2003年末、正式に公開された[51]。今日、遺跡内は安全の確保のため木道が築かれているが[15]、指定された進路から外れると危険である。

荒廃した様相を伝える寺院遺跡

構成

ベン・メリア寺院平面図
(原図レオン・ド・ベイリー(フランス語版)作〈20世紀初頭〉)
赤線: 見学用に備えられた木道[15]
南参道
回廊部の一角

寺院には、長径(東西)1200メートル (1025m[43])、短径(南北)900メートル (875m[43]) の環濠が巡り[6]、面積は 108ヘクタール (1,080,000 m2) となる[63]。境内の周壁は、東西1100メートル、南北600メートルで[3][9]、参道の環濠部分は橋状となる[64]。東と南の参道両側には砂岩の丸柱(欄干の一部[38])があり[62]、南参道にナーガが残る[38]。寺院は東を正面として建ち[15]、バライ西堤テラスより参道が通じ[62]、円柱が支える十字型のテラスから3重の回廊に塔門(ゴープラ)などを持つ伽藍につながる[38]。十字型テラスには保存状態のよい5つ頭のナーガの欄干部が残存する[65]。

主な建築資材は良質な砂岩である。崩壊が激しいが、クメール建築(英語版)のなかでも精緻な工法により建築されている[3][21]。全体の設計・配置、塔堂の構成や回廊など、アンコール・ワットとよく似るが、アンコール・ワットはピラミッド型の構造で尖塔を備えているのに対し、ベン・メリア寺院は平地(平面)型である。また、「発展様式」の研究(フィリップ・ステルン(フランス語版)の編年研究)により、アンコール・ワットに類似する美術装飾が見られるが、全く違う装飾もあるほか、バプーオン様式(後期[43])の影響からアンコール・ワット様式、バイヨン様式(初期[43])にわたる建築様式が認められる[66]。

外回廊[65](第3回廊[67])は、長径(東西)181メートル、短径(南北)152メートルで[38][68]、壁面の一部にアプサラの彫像装飾が見られる[65][69]。東側の外回廊と第2回廊の間の南・北に砂岩の経蔵があり、それぞれ回廊(十字型回廊[43])につながる建築様式はバプーオンの参道に似るといわれる[43]。東側の中央には十字型の中庭があり、狭いヴォールト天井の回廊(十字型回廊)より中央祠堂(本殿塔堂)に通じたが[70]、中央塔堂は崩壊している[71]。第2回廊北側の一部は窓が天井に近くほとんど光が入らない[1]。また、南側の外回廊との間には2つの回廊状の建造物がある[68]。

見学

交通

脚注

  1. 1 2 「地球の歩き方」編集室 編『アンコール・ワットとカンボジア '08-'09』(改訂第10版)ダイヤモンド・ビッグ社〈地球の歩き方 D22〉、2007年(原著1997年)、78頁。ISBN 978-4-478-05497-0。
  2. ↑ 石澤 (2014)、177頁
  3. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 平山 (2011)、90頁
  4. ↑ 石澤、三輪 (2014)、20・174・178・180-181頁
  5. ↑ 石澤、三輪 (2014)、20・174・178頁
  6. 1 2 3 4 5 6 7 “Beng Malea Temple”. UNESCO World Heritage Centre. 2023年9月10日閲覧。
  7. ↑ 石澤、三輪 (2014)、20・174・224頁
  8. ↑ 石澤、三輪 (2014)、20・82頁
  9. 1 2 3 4 5 石澤 (2014)、175頁
  10. ↑ 石澤、三輪 (2014)、20・176・178・224頁
  11. 1 2 「地球の歩き方」編集室 (2019)、94-95頁
  12. ↑ 平山 (2011)、81-83・89-92頁
  13. ↑ 石澤、三輪 (2014)、30・69・81・86・139・176-177・185-188頁
  14. ↑ 石澤 (2005)、256頁
  15. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 “Beng Mealea”. Siemreap.net (2022年11月18日). 2023年9月10日閲覧。
  16. 1 2 Rooney (2011), p. 255
  17. 1 2 三輪 (2014)、224頁
  18. ↑ Kongsasana (2014), pp. 1-2
  19. 1 2 3 Kongsasana (2014), p. 2
  20. ↑ “Beng Mealea”. Lonely Planet. Red Ventures. 2023年9月10日閲覧。
  21. 1 2 3 石澤、三輪 (2014)、20頁
  22. ↑ 石澤 (2014)、174・180-181頁
  23. ↑ 石澤 (2002)、114・118頁
  24. ↑ 平山 (2011)、81頁
  25. ↑ 石澤 (2005)、248頁
  26. ↑ 平山 (2011)、89頁
  27. ↑ 石澤、三輪 (2014)、14頁
  28. ↑ 石澤 (2014)、150頁
  29. ↑ アンドレ・マルロー (1930). 王道 (La Voie royale)
  30. ↑ 平山 (2011)、81-83頁
  31. ↑ 石澤 (2014)、49・51・55・82頁
  32. ↑ 石澤 (2014)、175-176頁
  33. ↑ 石澤、三輪 (2014)、20・176・182頁
  34. ↑ 「地球の歩き方」編集室 (2019)、94頁
  35. ↑ 石澤 (2014)、176頁
  36. 1 2 石澤 (2014)、188-189頁
  37. ↑ 石澤 (2002)、115頁
  38. 1 2 3 4 5 Rooney (2011), p. 258
  39. ↑ “Veal Phtei Temple”. Hello Angkor. HelloAngkor.com. 2023年9月10日閲覧。
  40. ↑ “Chrei Temple (Beng Mealea)”. Hello Angkor. HelloAngkor.com. 2023年9月10日閲覧。
  41. ↑ 石澤 (2014)、188頁
  42. ↑ “Don Chan Temple”. Hello Angkor. HelloAngkor.com. 2023年9月10日閲覧。
  43. 1 2 3 4 5 6 7 Kongsasana (2014), p. 4
  44. ↑ “Firehouse”. Hello Angkor. HelloAngkor.com. 2023年9月10日閲覧。
  45. 1 2 UNESCO Office Phnom Penh (2016-06), Twenty sixth technical committee, UNESCO 2019年9月3日閲覧。
  46. ↑ “Kansaeng Temple”. Hello Angkor. HelloAngkor.com. 2023年9月10日閲覧。
  47. ↑ 石澤 (2014)、187頁
  48. 1 2 3 石澤 (2005)、275頁
  49. ↑ 「地球の歩き方」編集室 (2019)、95頁
  50. ↑ 石澤・三輪 (2014)、139-140・183-185・221頁
  51. 1 2 3 Kongsasana (2014), p. 3
  52. ↑ 石澤 (2014)、174-175頁
  53. ↑ Rooney (2011), p. 161
  54. 1 2 石澤 (1995)、194頁
  55. ↑ 石澤 (1995)、195頁
  56. ↑ Rooney (2011), p. 207
  57. ↑ 石澤 (2014)、82・174・180-181頁
  58. ↑ 石澤 (2002)、116頁
  59. ↑ 石澤 (2014)、178・180頁
  60. ↑ 北川香子『カンボジア史再考』連合出版、2006年、9頁。ISBN 4-89772-210-1。
  61. ↑ 上田広美、岡田知子 編『カンボジアを知るための62章』(第2版)明石書店〈エリア・スタディーズ 56〉、2012年(原著2006年)、225頁。ISBN 978-4-7503-3585-8。
  62. 1 2 3 三輪 (2014)、226頁
  63. ↑ Rooney (2011), p. 257
  64. ↑ 三輪 (2014)、25・226頁
  65. 1 2 3 平山 (2011)、91頁
  66. ↑ 石澤、三輪 (2014)、20・174-176・178-181頁
  67. ↑ Rooney (2011), p. 256
  68. 1 2 波田野直樹『アンコール遺跡を楽しむ』(改訂版)連合出版、2007年(原著2003年)、198頁。ISBN 978-4-89772-224-5。
  69. ↑ Kongsasana (2014), p. 5
  70. ↑ Rooney (2011), pp. 256 258
  71. ↑ 石澤、三輪 (2014)、24頁
  72. ↑ 石澤、三輪 (2014)、22頁
  73. ↑ “The Temples of Angkor - the 20 Must See Sights, Remote Temples, Maps & More”. Hello Angkor. HelloAngkor.com. 2023年9月10日閲覧。
  74. ↑ 「地球の歩き方」編集室 (2019)、95頁
  75. ↑ 三輪 (2014)、227頁
  76. ↑ 石澤 (2014)、174頁

参考文献

関連項目

外部リンク