ボブ・オヘーダ

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ボブ・オヘーダ
Bob Ojeda
2010年2月27日
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州・ロサンゼルス
生年月日 (1957-12-17) 1957年12月17日(66歳)
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1978年 アマチュアFA
初出場 1980年7月13日
最終出場 1994年8月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ボブ・オヘーダ(Robert Michael Ojeda、1957年12月17日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州ロサンゼルス出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。

人物・来歴

ニューヨーク・メッツ時代。

セコイア大学を卒業したが、ドラフトで指名されず、アマチュア・フリーエージェントで1978年にボストン・レッドソックスに入団。

マイナーで活躍し、1980年7月17日にメジャーデビューを果たす。再度マイナー(3Aポータケット・レッドソックス)に降格。1981年6月23日には、アメリカのプロ野球(メジャー・マイナー・独立リーグ)史上最長の延長34回のロングゲーム(対ロチェスター・レッドウイングス)の勝利投手となった。この年後半にメジャーに再昇格し、6勝をあげる。翌1982年は4勝に終わったが、1983年、1984年と2年連続で12勝をあげる。

レッドソックスの本拠地フェンウェイ・パークは"グリーン・モンスター"があるとはいえ、左翼が狭く右打者に有利で、そのため左投手には不利な球場で、歴史的に左腕の名投手がなかなか育たないチームであるが、この本拠地でも通算20勝17敗の好成績を収めた。これは球団の左腕投手で歴代のベスト10に入る優秀な成績である。1985年は途中リリーフに転向して9勝に終わり、この年限りでカルビン・シラルディとの交換でニューヨーク・メッツに移籍する。

メッツ移籍初年度となった1986年には、広いシェイ・スタジアムをも味方につけ18勝5敗、防御率2.57の好成績を収め、チームのワールドシリーズ出場に貢献。ドワイト・グッデン、ロン・ダーリング、シド・フェルナンデスと四本柱を形成したが、チームの勝ち頭であった。古巣レッドソックスとのシリーズでは第3戦と第6戦に先発し、2連敗のあと先発した第3戦では勝利投手となっている。そしてシリーズは劣勢を跳ね返したメッツが逆転し、ワールド・チャンピオンとなった。

1987年は故障のため3勝に終わるが、1988年には10勝をあげ復活。しかし、9月中旬に自宅で芝刈り機を操作中に誤って左手の指先を切断する怪我を負い、ドジャースとのリーグ優勝決定シリーズには出場できず、チームは大方の予想に反してドジャースに敗れた。それでも再び立ち直り、1989年には13勝をあげた。7勝に終わった1990年限りでヒュービー・ブルックスとの交換で故郷のロサンゼルス・ドジャースに移籍。同年オフにフリーエージェントでやはり故郷のドジャースに移籍したダリル・ストロベリーとはここでもチームメイトとなった。

1991年はドジャース唯一の先発左腕投手として12勝の活躍をあげたが、チームは最後4試合で3敗して地区優勝を逃す。1992年限りでフリーエージェントでクリーブランド・インディアンスに移籍。 1993年3月22日、スプリングトレーニング(キャンプ)地のウィンターヘヴンでチームメイトのスティーブ・オリン、ティム・クルーズとボートで遊んでいたところ、事故に遭ってオリンとクルーズは死亡。オヘーダは一命を取り留めたものの負傷し、このシーズン終盤に復帰し2勝をあげたのみであった。なお、3人の投手を失ったインディアンスは同年シーズンでは両リーグ通じて最多となる26人もの投手を起用したが、チーム防御率はリーグワースト3位、被安打数最多タイなど投手の人材不足に苦しんだ。 この年限りでインディアンスから自由契約となり、翌年ニューヨーク・ヤンキースに移籍するも、わずか2試合の先発で解雇。36歳の年齢もあり、そのまま現役を引退した。

引退後はしばらく球界から離れていたが、2001年にメッツの1Aブルックリン・サイクロンズの投手コーチに就任。2003年には2Aに昇格したが、シーズン途中に辞任。

2005年に発足した独立リーグ、カナディアン・アメリカン・リーグのトルネーズで、レッドソックス時代にバッテリーを組んだリッチ・ゲドマン監督のもと、コーチを務める。

詳細情報

年度別投手成績

年

度
球

団
登

板
先

発
完

投
完

封
無
四
球
勝

利
敗

戦
セ
丨
ブ
ホ
丨
ル
ド
勝

率
打

者
投
球
回
被
安
打
被
本
塁
打
与
四
球
敬

遠
与
死
球
奪
三
振
暴

投
ボ
丨
ク
失

点
自
責
点
防
御
率
W
H
I
P
1980 BOS 77000110--.50012226.03921410121020206.922.04
1981 1010201620--.75026766.15062522280025233.121.13
1982 2214000460--.40035278.195132901525053495.631.58
1983 29285001270--.632746173.2173157323942085784.041.42
1984 333285112120--.500928216.221117962213701106963.991.42
1985 39225029111--.450671157.21661148921023374704.001.36
1986 NYM 32307211850--.783871217.11851552321482172622.571.09
1987 107000350--.37519246.14551010211023203.881.19
1988 292955110130--.435752190.1158633241334774612.881.00
1989 313152013110--.542824192.0179167852950283743.471.34
1990 3812000760--.538500118.0123104042622353483.661.38
1991 LAD 31312101290--.571802189.11811570931204278673.181.33
1992 2929210690--.400731166.116988181943080673.631.50
1993 CLE 97000210--.66719443.04852100273022214.401.60
1994 NYY 22000000------253.01116003008824.005.67
通算:15年 35129141166115981--.54079771884.118331456764824112830198567643.651.33
  • 各年度の太字はリーグ最高

関連項目

外部リンク