モハマッド・マフッド
| モハマッド・マフッド Mohammad Mahfud | |
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2023年のマフッド | |
| 生年月日 | 1957年5月13日(67歳) |
| 出生地 |
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| 出身校 |
インドネシア・イスラム大学 ガジャ・マダ大学 |
| 現職 | 政治家、法学者 |
| 所属政党 | 無所属 |
| 配偶者 | ザイザトゥン・ニハヤティ |
| 子女 |
モハマッド・イクワン・ゼイン フィナ・アマリア ロイハン・アクバル |
| 親族 |
マモディン(父) シティ・カディジャ(母) |
| 内閣 | インドネシア前進内閣 |
| 在任期間 | 2019年10月23日 - 2024年2月2日 |
| 大統領 | ジョコ・ウィドド |
| 在任期間 | 2008年8月19日 - 2013年4月3日 |
| 内閣 | 国家統一内閣 |
| 在任期間 | 2001年7月20日 - 2001年7月23日 |
| 大統領 | アブドゥルラフマン・ワヒド |
| 内閣 | 国家統一内閣 |
| 在任期間 | 2000年8月26日 - 2001年7月20日 |
| 大統領 | アブドゥルラフマン・ワヒド |
モハマッド・マフッド・マモディン(インドネシア語: Mohammad Mahfud Mahmodin, 1957年5月13日 - )は、インドネシアの政治家、法学者。通称マフッド・MD。同国第14代政治・法務・治安担当調整大臣、第2代憲法裁判所長官、第24代法務・人権大臣、第21代国防大臣を務めた。
経歴
1957年5月13日に東ジャワ州、サンパン県にて、マモディンとシティ・カディジャの間に7人兄弟の4番目として誕生する。1993年に、ジョグジャカルタ市のガジャ・マダ大学で政治学修士号と憲法学博士号を取得。1984年から、ジョグジャカルタ市のインドネシア・イスラム大学法学部で憲法学を教えたが、インドネシアの他の大学でも教鞭をとった経験がある[1]。2000年、アブドゥルラフマン・ワヒド大統領により国防大臣に任命され、その後国民協議会によってワヒドが弾劾されるまでの3日間だけ法務・人権大臣を務めた[2]。2004年、民族覚醒党員として国民議会に選出される。
2008年、憲法裁判所長官に選出される。最高裁判所長官選挙では、現職のジムリ・アシディキを僅差で破り、2代目最高裁判所長官となる。就任と同時に国民議会を辞職し、2013年4月の任期満了まで務めた。その後、2014年インドネシア大統領選挙に出馬する意向を示したが[3]、最終的にジョコ・ウィドド前ジャカルタ特別州知事が当選した。
2019年、ジョコ・ウィドドの副大統領候補になると言われていた。ジョコ・ウィドド政権下で副大統領を務めたユスフ・カラは、2004年から2009年までスシロ・バンバン・ユドヨノ政権下でも副大統領を5年間務めていたため、任期制限により副大統領を続投することはできなかった。しかし、マフッドはその座を見送られ、代わりにマアルフ・アミンがその座に就いた。2019年、ジョコ・ウィドドの再選に伴い、政治・法務・治安担当調整大臣に任命された。
マフッドは、2024年インドネシア大統領選挙に出馬したガンジャル・プラノウォの副大統領候補となったものの、得票率16%でプラボウォ・スビアントとその副大統領候補ギブラン・ラカブミン・ラカに敗れ、3位となった[4]。
脚注
- ↑ Rumbo, Susy Sartika (2020年9月11日). “Mahfud MD” (インドネシア語). Kompaspedia. 2021年10月13日閲覧。
- ↑ Ready Susanto, Mari mengenal kabinet Indonesia [Let's know the cabinet of Indonesia], Lazuardi Buku Utama, Jakarta, 2011.
- ↑ “Mahfud confirms readiness to run for president” (英語). The Jakarta Post. (15 August 2013) 7 February 2018閲覧。.
- ↑ “Prabowo-Gibran 'pemenang Pilpres 2024', kubu Anies resmi layangkan gugatan ke MK, tim Ganjar segera mendaftar” (インドネシア語). BBC News Indonesia (2024年3月21日). 2024年8月23日閲覧。