ヤマハ硬式野球部

ウィキペディアから、無料の百科事典
ヤマハ硬式野球部
チーム名(通称) ヤマハ
加盟団体 日本野球連盟
加盟区分 企業チーム
創部 1958年
チーム名の遍歴
  • 日本楽器 (1958 - 1986)
  • ヤマハ (1987 - )
本拠地自治体
チームカラー 紫色
監督 申原直樹[1]
都市対抗野球大会
出場回数 46回
最近の出場 2025年
最高成績 優勝(3回)
日本産業対抗野球大会
出場回数 4回
最近の出場 1972年
最高成績 準優勝
社会人野球日本選手権大会
出場回数 29回
最近の出場 2025年
最高成績 優勝(2回)
全日本クラブ野球選手権大会
出場回数 ※出場資格なし

ヤマハ硬式野球部(ヤマハこうしきやきゅうぶ)は、静岡県浜松市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟している社会人野球の企業チームである(練習グラウンドは静岡県磐田市に所在する)。

運営母体は、楽器・音響機器・自動車部品製造発売を手がけるメーカーのヤマハ。

概要

1958年、『日本楽器硬式野球部』として創部。

1965年の都市対抗野球で初出場を果たし、1967年の都市対抗野球では準優勝、1972年の都市対抗野球では初優勝を果たした。

1976年の日本選手権で初出場を果たし、1980年の日本選手権と1985年の日本選手権では準優勝を果たした。

1987年、本社の名称変更に伴いチーム名を『ヤマハ硬式野球部』に改称した。同年は、都市対抗野球で2度目の優勝を果たした。

1990年、都市対抗野球で3度目の優勝を果たした。

これまで静岡県内では、大昭和製紙(富士市)、河合楽器(浜松市)らの強豪と常にしのぎを削ってきたが、1993年に大昭和製紙が休部し(1996年に廃部)、2001年に河合楽器が休部して以降は静岡県内では唯一の企業チームとして活動している。

2016年、日本選手権で初優勝を果たした。

2025年、日本選手権で8大会ぶり2回目の優勝。[2]。

設立・沿革

主要大会の出場歴・最高成績

主な出身プロ野球選手

元プロ野球選手の競技者登録

主な在籍選手

かつて在籍していた選手・コーチ・監督

脚注

出典

  1. ↑ “社会人野球ヤマハの新監督に申原(のぶはら)直樹氏が就任…中大時代は巨人の阿部慎之助監督の一学年後輩”. スポーツ報知 (2023年12月2日). 2024年1月17日閲覧。
  2. ↑ 「【日本選手権】ヤマハが日本生命を破り9年ぶり2度目V 全試合登板の左腕・佐藤廉が1失点完投 」『日刊スポーツ』(日刊スポーツ新聞社)2025年11月12日。2025年11月12日閲覧。
  3. ↑ 「【WBC】ブラジル4連敗敗退も沢山優介が4回無失点 ヤマハ所属の22歳左腕がまた好投」『日刊スポーツ』2026年3月10日。2026年3月10日閲覧。
  4. ↑ “阪神・鳥谷、兄の素顔 家族に明かした決意”. SANSPO.COM. 2017年9月9日. p. 5. 2020年3月25日閲覧.
  5. ↑ “「甲子園史上最高の二塁手」と呼ばれた選手 なぜ球界から姿を消した?”. ライブドアニュース. 2019年8月13日閲覧。
  6. ↑ 『帝京平成大学硬式野球部の監督に河野和洋氏が就任』(プレスリリース)帝京平成大学、2019年11月22日。2020年3月25日閲覧。

関連項目

外部リンク