ユーモア小説

ユーモア小説(ユーモアしょうせつ)、ユーモア文学(ユーモアぶんがく)は、滑稽小説(英: Comic Novel)とも呼ばれ、古来喜劇や、芸能、演芸の分野と同様に、笑い、おかしみを含んだ小説であり、風刺の表現としても用いられてきた。
系譜
14世紀のジェフリー・チョーサー『カンタベリー物語』は、イタリアやフランスなどで流布された説話や物語から取り込んだものを主にして、「幸福の中にある涙、悲惨と見えるものの中に笑いを見出し」幅広いユーモアを生み出し、イギリス的ユーモアの素地を作った[1]。
16世紀には、ゼバスティアン・ブラントの阿呆たちを船に満載して阿呆国に送り出すという風刺詩『阿呆船』がヨーロッパでベストセラーとなり、大きな影響を与えた[2]。ルネサンス期のユマニストであるエラスムス『痴愚神礼讃』も風刺作品であり、フランソワ・ラブレー『ガルガンチュワとパンタグリュエル物語』は過剰さと猥雑さの奔流の世界である[2]。16-17世紀にはシェイクスピアの戯曲にも多くの喜劇があり、セルバンテス『ドン・キホーテ』は騎士道物語のパロディである。
また16世紀スペインで流行した悪漢小説は、「下層階級の生活を赤裸々に述べ、嘲笑的な皮肉とペシミスティックな人生観を披瀝する」もので[3]、ドイツでこのスタイルで書かれたグリンメルスハウゼン『阿呆物語』も、三十年戦争で荒廃した社会を舞台に「滑稽なもの、グロテスクなものの強調によって、風刺と皮肉と嘲笑にみちて」いる滑稽物語とされる[4]。

18世紀フランスでは哲学コントが流行し、ヴォルテールの 『カンディード』などの作品では風刺と思想宣伝を目的として、その皮肉が「きわめてスピード豊かな、明晳で節度ある文体に表れ、笑を通して我々の理性に呼び掛けてくる」点で「モリエールの喜劇と同列」であり「物事を感情よりは知性で捕らえるやり方は極めてフランス的なもの」とされる[5]。
ドイツ・ロマン派のE.T.A.ホフマンの『牡猫ムルの人生観』など晩年の作品では、芸術家としての立場からの「ユーモア、すなわち笑いの形で行われた社会への抗議」として書かれた[6]。
ユーモアと風刺の作家として『アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー』などの作品で知られるマーク・トウェインは、「ユーモアは道徳と同じく永遠の真実性をもつ」と言う言葉も残している[7]。 ジェローム・K・ジェロームの『ボートの三人男』は、「イギリス第一の滑稽小説」であり、「あれほど野生的でありながらあれほど洗練されており、あれほど涙もろいくせにあれほど諧謔を愛する、イギリス人の多層的・多面的な性格の反映であろう」「ディケンズの伝統、そしてさらに言うならばフィールディングの伝統はここに生きているのだ」と評される[8]。 機知と皮肉と風刺により「現代のヴォルテール」と称されたエドモン・アブーの『山賊株式会社長』は、フランス19世紀後半のユーモア小説の傑作と言われる[9]。
ロシア文学の中では、ゴーゴリの荒唐無稽な物語『鼻』や、チェーホフの庶民の生活を題材にした初期のユーモア短編などがあった。

サキは、奇妙な味、ブラックユーモアの作家として知られる[10]。P・G・ウッドハウスは「イギリス全国、ウッドハウス本のないクラブはない」と言われるほどの人気作家で、そのからっとしたユーモアは「余計なペイソスはない。涙はない。肩肘はったような問題も、もちろんない。」もので、ヒレア・ベロックは「彼の創作の目的はもっとも現代的な意味でのコメディなのだ。つまり、彼のあたえるものは笑いであり、そこでは彼は完璧に近い至芸を見せてくれるのである」と評した[11]。一般にイギリスでは小説への讃辞としてfunny(滑稽な)という言葉が使われるなど、ユーモアが重んじられており、たとえばキングズリー・エイミス『ラッキー・ジム』(1954年)はドタバタ喜劇の連続に、多数の言葉あそびが使われて大きな評判になった[12]。
英米で主に発展したポストモダン文学の中には、「笑いの文学」の要素が多くふくまれる。
日本の作品
日本の近代以降では、江戸期より戯作者として活躍していた仮名垣魯文の、かつての滑稽本の体裁も引き継いで開化期の「混沌たる世相の嘲罵」[13]となる『安愚楽鍋』や『西洋道中膝栗毛』などに始まり、村井弦斎『食道楽』などの道楽シリーズ[14]、夏目漱石『吾輩は猫である』『坊つちやん』が人気を博した。大衆小説が勃興すると、代表的な大衆文学雑誌『講談倶楽部』の初期には、村上浪六や佐藤紅緑の「明るいユーモア性」が人気があり、古典や新作落語、漫才などを掲載し、滑稽小説として伊藤みはる、武田鶯塘、鶯亭金升、森暁紅、岡成志、寺尾幸夫などの作者がおり、のちに『少年倶楽部』誌でも『苦心の学友』などを書いていた佐々木邦が人気となって、ユーモア小説という言葉も生まれた[15]。

昭和になると、エロ・グロ・ナンセンスブームにより、若者向け雑誌『新青年』も「モダニズム提唱、ナンセンス謳歌」の編集方針で、ユーモア小説やコントを掲載するようになり、佐々木邦のユーモア作家倶楽部にも所属した獅子文六『金色青春譜』、久生十蘭『ノンシャラン道中記』『黄金遁走曲』、徳川夢声のユーモア推理小説、大阪圭吉の短編作品などが掲載された[16]。フランス風のコントを提唱したのは岡田三郎で『誰れが一番馬鹿か?』などを残し、アメリカ風のギャグとしては谷譲次『モダーン読本』などが書かれた[17]。また『山椒魚』を書いた井伏鱒二や、「ファルスの文学」を提唱した坂口安吾に続いて、新戯作派と呼ばれる織田作之助や石川淳らの作家たちがいた。
戦後文学では、知識人の実体を「自虐と風刺のうちにえぐり出した」[18]『鳴海仙吉』を書いた伊藤整、安岡章太郎や、遠藤周作の狐狸庵先生シリーズ、北杜夫のどくとるマンボウシリーズなどのユーモアあるエッセイが人気となり、遠藤周作『おバカさん』、北杜夫『怪盗ジバコ』、源氏鶏太のサラリーマン小説、小林信彦のオヨヨ大統領シリーズ、井上ひさし『ブンとフン』、佐藤愛子『戦いすんで日が暮れて』などがユーモア小説として人気となった。地方色豊かなユーモアあふれる作品として、弘前を舞台にした石坂洋次郎『石中先生行上記』や、今東光が八尾の天台院主として住んだ河内の人々を描いた『河内風土記』などの作品があった。山口瞳『江分利満氏の優雅な生活』は平凡なサラリーマンの日常を通して高度成長期における生活と意識の変質[19]を、「慟哭を笑いで偽装するという手法」(山本周五郎)[20]で描いている。丸谷才一は、新聞社の女性論説委員への政治的圧力の成り行きを「ユーモアを散りばめながら優雅に話を進めている」[21]という『女ざかり』などの軽妙な作風の作品がある。
ジャンル小説では、横溝正史『本陣殺人事件』(1947年)などのシリーズに登場する探偵の金田一耕助や、坂口安吾『不連続殺人事件』(1948年)の巨瀬博士など、個性的なキャラクターの姿がのユーモラスな印象をもたらしている。結城昌治は『ひげのある男たち』(1959年)などのユーモア本格ミステリ、『死者におくる花束はない』(1962年)などのユーモアハードボイルドを書き、『わが国おんな三割安』などのユーモア小説のある藤原審爾は、「痛快な活劇と健康なお色気を全編ふんだんに散りばめたユーモアたっぷりの」『拳銃の詩』などの軽ハードボイルドと呼ばれる作品も書いている[22]。小峰元は『アルキメデスは手を汚さない』(1973年)などのユーモア青春ミステリで人気を博した。またユーモアの散りばめられた胡桃沢耕史『翔んでる警視』、犯罪で稼ぐ集団を描くユーモア悪漢小説『ごきぶり商事痛快譚』などのシリーズや、赤川次郎「三毛猫ホームズシリーズ」などのユーモア推理小説、筒井康隆によるスラップスティックSF、清水義範のパスティーシュ小説などがある。
位置付け

日夏耿之介『明治煽情文芸概論』による大衆文学の分類表では「滑稽小説」として作家には高橋太華、木村小舟を挙げ、また直木三十五による7種類の分類でも「ユーモア小説」が挙げられている[17]。
久生十蘭作品では「喜劇的要素が網羅的に駆使されている」「講談、浪花節、落語、漫才など大衆芸能につきものの誇張、変形、アナクロニズム、逆転、語呂合わせ、食い違いその他その他がふんだんに用いられ」「トーキー初期のドタバタ喜劇映画のテクニックが見事に応用されている」とされる[23]。
今東光は河内もの作品について「僕などは、いつぺんも高尚な人物を書こうと考えたことはない。下劣で、ケチン坊で、助平で、短気で、率直で、つまり僕自身に似た人物、それが河内者なんだろうが、僕は彼等を限りなく愛するだけに、僕の主人公はつねに高尚ではない。僕はそれで満足しているのだ」(『闘鶏』あとがき)と述べ、これらの地方を題材にした作品では「人間本能が、そこでは剥きだしになって、原始的な素朴さのまま発揮されているわけで、その露骨さが笑いを誘うのである」と評される[24]。
井上ひさしは、「ユーモア小説は娯楽小説の中で最もいやしめられ」ているが、「ユーモアは笑いと洒脱な感情の巧みな結合によって生まれるもの」であり、「ユーモア作家は、人生の矛盾や世の中の穢ささや卑しさにめげずに人生の意義を認めなければならぬ。醜悪なるこの現実にあっては愛は不毛であると認識しつつ、しかし同時の愛の可能性を信じなければならぬ。この世の不条理を深く嘆きながら、一方ではその上に超然と居直らねばならぬ。悪を憎みながら、「悪あってのこの世さ」と悪と調和せねばならぬ」と論じている[25]。井上ひさしの『ブンとフン』はナンセンス文学とも評され、ユーモアとナンセンスは近い関係だが、「ユーモアはあくまでセンスの世界にとどまるが、ナンセンスはむしろシュルレアリストのいう「驚異」の世界に属している」と説明される[26]。
文芸評論家だった遠藤周作は、仲間からは「うそ話の、座談の、おどけた演技の名人」と言われていたが[27]、その後小説を書き始めて、新聞連載小説『おバカさん』は「一見只のユーモア小説であるかのように見えながら、大部分の日本の近代小説にはないスケールの大きさを秘めているのは、そこに人間の基準にいわば垂直に交わっている神聖なものの基準があるからである」[28]と評された。遠藤周作自身は「ユーモア文学は人間や人生の真実をナックル・ボールで語ろうとする文学であり、その味わい方はナックル・ボールの面白さを鑑賞することにあります」と語っており、その作品には少年時代からの愛読書である『東海道中膝栗毛』や、『ガルガンチュワとパンタグリュエル物語』の影響が指摘されている[29]。
丸谷才一は若い頃にはドストエフスキーの初期の滑稽小説を愛読しており、『たった一人の反乱』にもその影響が出ているんじゃないかと述べ[30]、『たった一人の反乱』にアントニー・バージェスは「穏やかなアイロニー、仕掛けにじっくり時間をかけておいてワッと笑わせるユーモア、人生とはこんなものさ、と肩をすくめてみせる哲学的達観、人間というものの弱点に対する寛容など、西洋のフィクションにおいてももっと尊重されてしかるべきテクニックを用いている」「この小説は、英語を常用する国々に、現代の滑稽小説の優秀な作家の一人として、(略)彼の地位を確立させるに違いない」と評している[31]。
ジョナサン・スウィフト『ガリヴァー旅行記』(1726年)も風刺小説として知られるが、第1部「小人国への旅」、第2部「大人国への旅」にはユーモア的要素が強いが、第3部「飛島への旅」第4部「馬の国への旅」は風刺が主であり[1]、スウィフト自身が「この書は人を喜ばせるのに書いたのではない、怒らせるために書いたのです」と述べ、夏目漱石も「人類はスウィフトのために自尊心を傷つけられる故に不愉快である。(略)かくして人類は世界滅却の日に至るまで不幸である。それが最不愉快である」と述べたように位置づけられる[32]。
叢書・作品集
- 『現代ユウモア全集』(全24巻)小学館 1928年
- 『現代ユーモア文学全集』(全22巻)駿河台書房 1953-54年
- 『世界ユーモア文学全集』(全14巻・別巻3)筑摩書房 1960-62年
- 『世界文学全集:20世紀の文学 37 現代ユーモア文学集 ウッドハウス マルセル・エイメ ジャック・ペレー イリフ,ペトロフ ケストナー』集英社 1966年
- 『全集 現代文学の発見 6 黒いユーモア』學藝書林 1969年
- 『ブラック・ユーモア選集』(全6巻・別巻1)早川書房 1970-71年
- 『現代日本のユーモア文学』(全6巻)立風書房 1980-81年
- 白水Uブックス(白水社)
- 福島正実編『クレージー・ユーモア 海外SF傑作選』講談社 1976年
- 浅倉久志編『世界ユーモアSF傑作選』(全2巻)講談社 1980年
- 浅倉久志編『ユーモア・スケッチ傑作展1,2,3』早川書房、1978年~1993年
- 阿刀田高編『ブラック・ユーモア傑作選』光文社文庫 1989年
- 『犯人は秘かに笑う ユーモアミステリー傑作選』光文社文庫 2007年
- 遠藤周作『遠藤周作ユーモア小説集』講談社 1969年、『遠藤周作第二ユーモア小説集』1973年
- 佐藤愛子『自讃ユーモア短篇集1 こたつの人』『自讃ユーモア短篇集2 大黒柱の孤独』集英社文庫 2000-01年
- 細谷正充編『時代小説傑作選 江戸の爆笑力』集英社文庫 2004年
- ミステリー文学資料館編『犯人は秘かに笑う ユーモアミステリー傑作選』光文社 2007年
注
- 1 2 三宅川正
- 1 2 高橋
- ↑ 会田由「訳者解説」(『ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯』岩波文庫 1972年)
- ↑ 望月市恵「前書き」(『阿呆物語 (上)』岩波文庫 1953年)
- ↑ 中川信「解説」(『バビロンの王女 アマベッドの手紙』岩波文庫 1958年)
- ↑ 石丸静雄「あとがき」(『牝猫ムルの人生観』角川文庫 1958年)
- ↑ 小倉多加志「トウェイン中期の傑作」(『アーサー王宮廷のヤンキー』ハヤカワ文庫 1976年)
- ↑ 丸谷才一「あとがき」(『世界ユーモア文学全集 11』筑摩書房(井上ひさし「解説」(『ボートの三人男』中公文庫 1976年))
- ↑ 田辺貞之助「あとがき」(『世界ユーモア文学全集 1』筑摩書房 1960年)
- ↑ 都筑道夫「解説 窓を開けて三十年」(『ザ・ベスト・オブ・サキ 1』ちくま文庫 1988年)
- ↑ 井上一夫「あとがき」(『世界ユーモア文学全集 4』筑摩書房 1961年)
- ↑ 丸谷才一「ユーモア小説のことなど」(『世界文学全集:20世紀の文学 37 現代ユーモア文学集 ウッドハウス マルセル・エイメ ジャック・ペレー イリフ,ペトロフ ケストナー』)
- ↑ 小林智賀平「解説」(『安愚楽鍋』岩波文庫 1967年)
- ↑ 黒岩比佐子「解説」(『酒道楽』岩波文庫 2006年)
- ↑ 岡田貞三郎、真鍋元之『大衆文学夜話』青蛙社 1971年(作家・その五)
- ↑ 中島河太郎「解説 「新青年」の歴史と編集者」(『君らの魂を悪魔に売りつけよ 新青年傑作選』角川文庫 1977年)
- 1 2 尾崎
- ↑ 奥野健男「無頼派の作家たち」(『日本文学の歴史 12 現代の旗手たち』角川書店 1978年)
- ↑ 秋山駿「解説」(『江分利満氏の優雅な生活』新潮文庫 1968年)
- ↑ 山本周五郎「江分利満氏のはにかみ」(『江分利満氏の優雅な生活』新潮文庫 1968年)
- ↑ 瀬戸川猛資「解説-坪庭の中の宇宙」(『女ざかり』文春文庫 1996年)
- ↑ 権田萬治「解説」(『拳銃の詩』角川文庫 1979年)
- ↑ 岩田宏「解説」(久生十蘭『黄金遁走曲』現代教養文庫 1976年)
- ↑ 十返肇「解説」(『河内風土記』角川文庫 1962年)
- ↑ 井上ひさし「解説」(『ボートの三人男』中公文庫 1976年)
- ↑ 扇田昭彦「解説」(『ブンとフン』新潮文庫 1974年)
- ↑ 奥野健男「解説」(『ヘチマくん』角川和文庫 1963年)
- ↑ 江藤淳「解説」(『おバカさん』角川文庫 1962年)
- ↑ 岡保生「解説」(『第二ユーモア小説集』講談社文庫 1975年)
- ↑ 吉田健一・丸谷才一「読むこと書くこと」(『文学ときどき酒 丸谷才一対談集』中公文庫 2011年)
- ↑ 丸谷才一編『ロンドンで本を読む』知恵の森文庫 2007年、初出『オブザーヴァー』1988年4月10日号
- ↑ 中野好夫「解説」(『ガリヴァー旅行記』新潮文庫 1951年)