ラリー・レーン

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ラリー・レーン
プロフィール
リングネーム ラリー・レーン
カウボーイ・ラリー・レーン[1]
レッド・ドッグ・レーン[2]
身長 186cm[3]
体重 106kg(全盛時)[1]
誕生日 1946年??月??日[3]
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
コロラド州の旗 コロラド州[2]
スポーツ歴 レスリング[4]
トレーナー ドリー・ファンク・ジュニア[4]
デビュー 1973年[1]
引退 1983年[1]
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ラリー・レーン(Larry Lane、1946年 - )は、アメリカ合衆国コロラド州出身のプロレスラー[1][2]。出身地はカナダのアルバータ州カルガリーともされる[3]。

レスリングの下地を持つ技巧派のベビーフェイスとして、テキサス西部のアマリロ地区やカルガリーのスタンピード・レスリングなどを主戦場に活動した[4]。

来歴

ノーザン・コロラド大学ではレスリングの選手として活躍し、陸軍でもオールアーミーとオールサービスのチームに所属[5]。日本で紹介されたプロフィールでは1972年ミュンヘンオリンピックにも参加したとされる[3]。ハイスクールのレスリング・コーチを経て[4]、1973年にプロレスラーに転向[1]。

デビュー後はドリー・ファンク・シニアが主宰していたテキサス州アマリロのNWAウエスタン・ステーツ・スポーツを主戦場とし、師匠格のドリー・ファンク・ジュニアをはじめ、ムース・モロウスキー、レス・ソントン、バック・ロブレイ、カール・フォン・スタイガー、若手時代のスタン・ハンセンなどと対戦した[6]。

アマリロ地区での活動と並行して、スチュ・ハートの主宰していたカルガリーのスタンピード・レスリングにも出場。カウボーイ・ラリー・レーン("Cowboy" Larry Lane)と名乗り、テキサスからやって来た正義のカウボーイとしてアブドーラ・ザ・ブッチャーやセーラー・ホワイトとも対戦した[7]。1974年2月12日にはアーチー・ゴルディーを下してフラッグシップ・タイトルの北米ヘビー級王座を獲得[8]。翌々日にゴルディーに奪還されたものの、同年6月19日と21日にはカルガリー地区に遠征してきたジャック・ブリスコのNWA世界ヘビー級王座に連続挑戦した[9]。戴冠期間は長くはないが、北米ヘビー級王座には1975年1月10日にビッグ・ジョン・クイン、同年8月7日にカーティス・イヤウケアを破って返り咲いている[8]。

1976年4月、全日本プロレスに初来日して『第4回チャンピオン・カーニバル』に出場[3]。公式リーグ戦ではジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、大木金太郎、ザ・デストロイヤー、カルガリーでも因縁を持つブッチャーやイヤウケアらと対戦したが、グレート小鹿、バディ・ウォルフ、ラリー・シャープから3勝を挙げたのみで、戦績は芳しくなかった[10]。

日本遠征では真価を発揮できなかったが、本拠地のアマリロでは1976年7月22日に8人参加のワンナイト・トーナメントに優勝して、空位となっていたNWAインターナショナル・ヘビー級王座を獲得[11]。1978年2月2日にはファンク・ジュニアと組んで、ブルート・バーナード&フランク・モレルからNWAウエスタン・ステーツ・タッグ王座を奪取し、9月28日にロジャー・カービー&ダグ・サマーズに敗れるまで保持した[12]。

1979年4月には全日本プロレスの『NWAチャンピオン・シリーズ』に再来日[13]。同年はカルガリーでもファンク・ジュニアとコンビを組み、来日直前の4月13日にレオ・バーク&キース・ハートからインターナショナル・タッグ王座を奪取、ミスター・ヒト&ミスター・サクラダともタイトルを争った[14]。8月11日にはビッグ・ダディ・リッターを破り、北米ヘビー級王座への5回目の戴冠を果たした[8]。

1980年にはアマリロ地区でNWAウエスタン・ステーツ・ヘビー級王座やロッキー・マウンテン・ヘビー級王座を獲得したが[15][16]、同地区の活動停止後はテキサス東部のサンアントニオやヒューストンなどで活動[17]。その後は1982年から1983年にかけて、レッド・ドッグ・レーン(Red Dog Lane)のリングネームでミッドアトランティック地区のアンダーカードに出場[17]。キャリア末期の1983年4月13日にはサウスカロライナ州コロンビアにおいてジェイク・ロバーツと組み、リッキー・スティムボート&ジェイ・ヤングブラッドの保持していたNWA世界タッグ王座に挑戦した[18]。

得意技

獲得タイトル

スタンピード・レスリング
NWAウエスタン・ステーツ・スポーツ
  • NWAインターナショナル・ヘビー級王座(アマリロ版):1回[11]
  • NWAウエスタン・ステーツ・ヘビー級王座:1回[15]
  • NWAウエスタン・ステーツ・タッグ王座:1回(w / ドリー・ファンク・ジュニア)[12]
  • ロッキー・マウンテン・ヘビー級王座:1回[16]

追記

  • 師匠格であるドリー・ファンク・ジュニアには多大な影響を受けており、その地味ながら堅実なファイトスタイルには定評があった[3]。アマリロやカルガリーで何度となく対戦した桜田一男は「ドリーさんと試合が似ていた」と述懐しており、ファンク・ジュニア自身も「彼は私の弟子で、すべてにおいてドリー・ファンク・ジュニアの真似をしていた(笑)」と語っている[4]。
  • 息子のタッカー・レーンもレスリングの強豪選手であり、プロ転向は実現しなかったが、ラリーの母校でもあるノーザン・コロラド大学時代には州大会で15回、全国大会では8回の優勝を収め、422勝7敗という生涯成績を有している[5][19]。

脚注

  1. 1 2 3 4 5 6 7 “Larry Lane”. Cagematch.net. 2025年3月14日閲覧。
  2. 1 2 3 “Larry Lane”. The Internet Wrestling Database. 2025年3月14日閲覧。
  3. 1 2 3 4 5 6 『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P56(2002年、日本スポーツ出版社)
  4. 1 2 3 4 5 『Gスピリッツ Vol.45』P85(2017年、辰巳出版、ISBN 477781954X)
  5. 1 2 “Making It Happen: Tucker Lane”. BFS Magazine Archives. 2025年3月14日閲覧。
  6. ↑ “The MMP matches fought by Larry Lane in 1973”. Wrestlingdata.com. 2025年3月14日閲覧。
  7. ↑ “The Stampede matches fought by Larry Lane in 1974”. Wrestlingdata.com. 2025年3月14日閲覧。
  8. 1 2 3 4 “Stampede Wrestling North American Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2025年3月14日閲覧。
  9. ↑ “The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1974”. Wrestling-Titles.com. 2025年3月14日閲覧。
  10. ↑ “AJPW 1976 The 4th Champion Carnival”. Puroresu.com. 2024年7月25日閲覧。
  11. 1 2 “International Heavyweight Title [W. Texas]”. Wrestling-Titles.com. 2025年3月14日閲覧。
  12. 1 2 “NWA Western States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2025年3月14日閲覧。
  13. ↑ “AJPW 1979 NWA Champion Series”. Puroresu.com. 2024年7月25日閲覧。
  14. 1 2 “Stampede Wrestling International Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2025年3月14日閲覧。
  15. 1 2 “NWA Western States Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2025年3月14日閲覧。
  16. 1 2 “Rocky Mountain Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2025年3月14日閲覧。
  17. 1 2 “Larry Lane: Matches 1981-1983”. Cagematch.net. 2025年3月14日閲覧。
  18. ↑ “MACW: Event”. Cagematch.net. 2025年3月14日閲覧。
  19. ↑ “Tucker Lane”. University of Northern Colorado Athletics. 2025年3月15日閲覧。

外部リンク