
市場における24×36 mm(ライカ)判カメラは1925年にエルンスト・ライツ社から発売されたライカが先鞭を切って成功し、大手光学メーカーのツァイス・イコンが1932年にコンタックスを発売して対抗していたが、いずれも非常に高価格な製品であった。
ドイツコダックの前身・ナーゲルの創設者でもある技術者アウグスト・ナーゲルは、このように高級機に独占されていたライカ版カメラを大衆のものにしようと考えており、1934年[注釈 1]に最初のレチナを発売、同時に親会社のコダックはこれに適合するパトローネ装填済みで扱いやすい135フィルムを発売した[1]。
レチナは、カール・ツァイス製テッサー、シュナイダー・クロイツナッハ製クセナーなど一流レンズを装着、シャッターもデッケル製コンパーを採用するなど良質なパーツを採用した[2]製品であったが、その良好な性能に比して廉価[3]でかつ小型軽量であったことから、市場において歓迎される大ヒット製品となった。
その価格は1934年の発売直後ドイツ本国で75マルクであった。同時代の上級35 mmフィルムカメラは、1935年のライカIIIa(エルマー50 mm F3.5付き)が307マルク、1938年のコンタックスII型(テッサー50 mm F3.5付き)が360マルクであった[4]。また日本では1935年時点で定価195円[3]であった。1937年時点でも日本でのレチナは定価195円-240円であったが、ライカはレンズのグレードにより580円から950円、コンタックスはその上をゆく970円-1,600円という超高額品で共に「家が建つほど高い」と言われていた。
このデザインコンセプトにバルダやウェルタなど多数のメーカーが追随したこともあって、元々映画用だった35 mmフィルムの規格を、静止写真用として本格的に大衆に定着させる端緒となった[4]。
頭に#のついた3桁の数字はレチナ愛好者の間で「シュトゥットガルトタイプナンバー」と言われているもので、ドイツコダック社内での形式番号である[1]。
ボディー上蓋にレバーを置きフィルムを巻き上げる方式はモータードライブを内蔵しないカメラで現代でも一般的であるが、この方式は1951年にレチナIa/レチナIIaで初めて採用され、エルンスト・ライツ(現ライカ)のライカM3発売までは「レチナ式」と呼ばれていた[5]。
レチナでレバー式巻上げであっても底部レバーの製品もある。
機種によっては、逆算式フィルムカウンターが1になるとそれ以上巻き上げできなくなり、「故障した」と誤解するユーザーが多い。扇状カウンター窓の中心にあるボタンを押し、背面の扁平な丸いボタンを「→」に沿って右にスライドさせるとカウンターが動いて巻上げできるようになる[6]。
28×28 mm判の一眼レフカメラ。
24×36 mm(ライカ)判のコンパクトカメラ。ファインダーのみのレチナIシリーズ、距離計を装備したレチナIIシリーズ、露出計と距離計を装備したレチナIIIシリーズに大きく区分することができる。
距離計はない。
連動距離計が組み込まれている。レチナII、レチナIIaは異なる複数世代で同じ名称が利用されている。



ファインダーに内蔵された連動距離計に加え、セレン光電池式露出計を装備している。当初より近代的な丸みを帯びたボディーデザインである。底蓋にあるレバーによりフィルムを巻き上げる。レンズはシュナイダー・クロイツナッハ製4群6枚クセノン50 mm F2のほかローデンストック製ヘリゴン50 mm F2がある[9]。

シャッター優先AEを搭載している。ファインダー枠はブライトフレームでパララックスはマークによる補正。

24×36 mm(ライカ)判の一眼レフカメラ。ツァイス・イコンのコンタフレックスと競合するため少し安価に販売されていた[10]が故障が多いという世評もあった[11]。いずれもフィルム巻き上げまでミラーは上がりっ放しとなる[12]。
レチナインスタマチックレフレックス、レチナIIS、レチナIIIS、レチナレフレックスS、レチナレフレックスIII、レチナレフレックスIVに使用できる。ただし後期のレンズは一眼レフカメラでの最短撮影距離短縮を優先しレチナIIIS用の距離計連動カムを内蔵していない。
以下はシュナイダー・クロイツナッハ製。
以下はローデンストック製。
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