ロヒンギャ解放党

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ロヒンギャ解放党
活動期間 1972年 (1972)–1974年 (1974)
活動目的 ロヒンギャ 民族主義
イスラーム
指導者 サニ・ジャファル(Sani Jafar)
本部 ブティダウン
活動地域 ラカイン州
前身 ムジャーヒディーン (ミャンマー)
後継 ロヒンギャ愛国戦線
敵対勢力 ミャンマー軍
戦闘 ミャンマー内戦
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ロヒンギャ解放党(ロヒンギャかいほうとう、Rohingya Liberation Party:RLP)は、ミャンマーのラカイン州で活動していた反政府武装組織。軍事部門はロヒンギャ解放軍(Rohingya Liberation Army:RLA)。元ムジャーヒディーンの指導者・のサニ・ジャファル(Sani Jafar)が率いていた。

活動

ムジャーヒディーンが政府に降伏してから13年後の1972年7月15日、サニ・ジャファルという元ムジャーヒディーンの指導者の1人が、かつての仲間を集めてロヒンギャ解放党(RLP)という名で再結成した[1]。彼らはブティダウン(英語版)近郊のジャングルに拠点を築き、酪農場、ヤギ飼育、養鶏場などを営んで資金源とした。アラカン共産党(英語版)(CPA)やアラカン民族解放軍(ANLA)とも共闘した[2]。

RLPは、「ロヒンギャ」の名を冠した初めての武装組織と言われるロヒンギャ独立戦線(RIF、のちにロヒンギャ愛国戦線《RPF》と改名)と交流があり、RIFの若手メンバーはRLPに参加して戦闘経験を積んだ。1971年に第三次印パ戦争が勃発し、ミャンマー・バングラデシュ国境地帯の闇市場で容易に兵器を入手できたという事情もあり、当初200人ほどだった兵力は一時期2,500人にまで拡大[1]、リーダーのB.A.ジャファル以下多くのRIFのメンバーも正式にRLPに合流した[3]。

しかし1973年、RLPは、ミャンマー軍(以下、国軍)の大規模な攻撃を受け、ラカイン内の拠点をすべて失った。この後、サニ・ジャファルをリーダーとして、RIFと一緒に新たな武装組織を結成する動きもあったが、RIFの後援者たちが、サニ・ジャファルはリーダーとして不適任と判断して、この話は立ち消えになった[4]。

1974年、サニ・ジャファルが政府に降伏してRLPは消滅。残党はRPFに加わった[4]。

脚注

注釈

    出典

    1. 1 2 Pho Kan Kaung (1992-05). “The Danger of Rohingya”. Myet Khin Thit Magazine (No. 25): 87–103.
    2. ↑ Smith 2019, p. 39.
    3. ↑ Jilani 1999, pp. 128-129.
    4. 1 2 Jilani 1999, pp. 128-130.

    参考文献

    • Bertil Lintner (1999). Burma in Revolt: Opium and Insurgency since 1948. Silkworm Books. ISBN 978-9747100785 
    • A.F.K. Jilani (1999). The Rohingyas of Arakan: Their Quest for Justice. 自費出版. https://archive.org/details/the-rohingyas-of-arakan-and-their-quest-for-justice 
    • Smith, Martin (1999). Burma: Insurgency and the Politics of Ethnicity. Dhaka: University Press. ISBN 9781856496605 
    • Smith, Martin (2019). Arakan (Rakhine State): A Land in Conflict on Myanmar’s Western Frontier. Transnational Institute. ISBN 978-90-70563-69-1. https://www.tni.org/en/publication/arakan-rakhine-state-a-land-in-conflict-on-myanmars-western-frontier 

    関連項目