シャン州東部民族民主同盟軍

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民族民主同盟軍
မြန်မာအမျိုးသား ဒီမိုကရက်တစ် မဟာမိတ်တပ်မတော်
民族民主同盟軍旗
民族民主同盟軍旗
活動期間 1989年 (1989)–現在
活動目的 シャン民族主義
指導者 ウー・テインリン
本部 モンラー
活動地域 シャン州第4特区(英語版)
兵力 3,000-4,000
上位組織 平和団結委員会
前身 ビルマ共産党
関連勢力 ミャンマー民族民主同盟軍
カチン新民主軍
ワ州連合軍
敵対勢力

ミャンマーの旗 ミャンマー

ミャンマー連邦 (2011年まで)
ウェブサイト http://www.4tzx.com/
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民族民主同盟軍 (みんぞくみんしゅどうめいぐん、英語: National Democratic Alliance Army、略称NDAA)[注釈 1]およびモンラグループとして知られている。モンラグループ"の名前は、NDAAが本部を置くシャン州第4特区(英語版)に因んだものである[1]はミャンマー・シャン州の武装勢力である[2]。同軍は平和団結委員会(中国語: 和平团结委员会、中国語略称:和团会、英語: Peace and Solidarity Committee、英語略称:PSC)の軍事部門である。

歴史

NDAAのリーダーは、サイ・リン(英語版)、また中国名で林明賢(リン・ミンシェン)という人物である。サイリンは、1948年に海南島で生まれ[3]、文化大革命の際に雲南省に移住した。1967年に中国国民党軍に母親を殺害されたのを機に中国共産党に入党して紅衛兵となり、その後、戦闘経験を積むべくビルマ共産党(CPB)に合流した[4]。当時の親しい同志に張志明(ザン・ジンミン)と李子如(リ・ジル)がおり、後者はのちにワ州連合軍(UWSA)の幹部となった[4]。

モンラー地区は1960年代まで複数の軍閥の支配下にあったが、CPBの支配下に置かれてからは815軍区となった[5]。

1973年、リンはタンタンウィン(Than Than Win)という、ヤンゴン出身の美しい中国系ミャンマー人女性と結婚した。2人とも革命の情熱に満ち、ビルマの未来が赤く輝くと信じていたと伝えれれるが、彼女は1980年にマラリアで亡くなった。

1976年に毛沢東が亡くなり、鄧小平が最高権力者となってCPBへの援助を削減し、リンのような義勇兵にも帰国を促した。しかし、リン、ザン、リの3人は帰国せず、そのままCPBに残った。一説には諜報活動目的で居残ったとも言われる。そしてタンタンウィンが亡くなった後、リンは、CPBコーカン部隊のリーダーで、のちにミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)のリーダーとなった彭家声の娘と結婚した[4]。

1989年4月19日、リンは、815軍区をCPBから分離し、NDAAを設立した。同年6月30日、国家法秩序回復評議会(SLORC)と停戦協定を締結し、815軍管区の領土にあたるナンパン、シル、モンラーの3地域をシャン州特別区(4)に指定した。以降、SLORCから支配地域内の経済的自由を付与されたことにより、後述するようにNDAAはヘロイン、カジノなどの非合法ビジネスから収益で、大きな経済発展を遂げた[6][7][8]。

2011年9月7日、NDAAは政府と州レベルの和平合意を締結し、同年12月2日には連邦レベルの和平合意も締結した。しかし、政府はNDAAの領土を正式には認めておらず、ナンパン地域をとシル地域をシャン州ケントゥン県(英語版)モンヤン郡区、モンラー地域をケントゥン県として分類している。そのため、NDAAは、自身の領土がミャンマー連邦共和国憲法において自治区または地域として正式に認められるよう政府に要請している[8]。

2021年ミャンマークーデター後も、NDAAは国家行政評議会(SAC)との関係を維持し、公式にはクーデター非難しなかった。2021年3月、SACは高官級代表団をNDAAに派遣し、会談を行った。2022年2月12日にネピドーで開催された第75回連邦記念日式典にも、NDAAは代表団を派遣した[8]。

一方、NDAA は、国民統一政府 (NUG)、国民防衛隊 (PDF)などのクーデター後に出現したいかなる抵抗勢力とも正式な同盟関係を結んでいないが、さまざまな政治的関係は維持しているとされる[8]。

2024年8月7日、サイ・リンは中国の病院で肺がんで亡くなり、副議長を務めていた息子のテイン・リン(Htein Lin)が後任の議長に就任した[9][10]。

組織

統治

中央委員会[8]
役職 名前
議長 テイン・リン
副議長 サンペ(San Pae)
副議長 サム・ルー(Sam Lu)
書記 チッミン(Kyi Myint)

旅団

「ジェームズ・ボンド風の私設警察部隊[11]」とも評されるシャン族とアカ族からなる2,500人ほどの兵力を擁しているとされる[12][8]。

  • 旅団本部 - モンラー
  • 第986旅団 - モンラー地域
  • 第369旅団 - シル地域
  • 第911旅団 - ナンパン地域

停戦と和平プロセス

  • SLORC時代の停戦 – 1989年6月30日
  • 州レベルの和平合意 – 2011年9月7日
  • 連邦レベルの和平合意 – 2011年12月2日

同盟関係

元CPBのミャンマー民族民主同盟軍 (MNDAA)、ワ州連合軍 (UWSA)とは現在でも密接な関係がある。NDAAの支配地域は、ラオスとの国境をなすメコン川に通じ、ラオス経由で中国から兵器を供給されているUWSAにとっては戦略的に重要な地である。また、2009年、義理の父親の彭家声がMNDAA内の権力闘争に敗れコーカンを追われた際は、リンは彼を匿ったとも伝えられる[13]。

非力なMDAAの兵力を補うために、UWSAの部隊が、NDAAの支配地域のそこかしこに配備されている。2009年に政府が各少数民族武装勢力に国境警備隊(BGF)への編入を迫った時にも、UWSAはNDAAに「BGF提案に関して軍事政権と交渉したり妥協したりしないよう」と要請したと伝えられる。その時、NDAAは政府と停戦合意を再締結したが、それはUWSAが停戦合意を結び直した翌日だった[11]。ただ、2016年、NDAAが全国停戦合意に署名するという噂が流れた時、UWSAはNDAAの支配地域の一部を占領するという事態が生じた[13]。

資金源

ココン

ヘロイン

NDAA結成後、リンは幼馴染のザンとともに、モンコー近郊にヘロイン精製所を建設した。そして、UWSAやMNDAAがヘロインの密輸出先をタイや中国としたのに対して、リンはラオスに着目した[14]。

当時ラオスにはベトナムの反政府武装勢力が活動していたが、中国・ラオスの国境にはベトナム政府軍が駐留しており、彼らが雲南省の軍事訓練キャンプに行くには、ミャンマー領内を経由して迂回する必要があった。リンはこの状況を利用し、彼らがミャンマー領内を移動する間の護衛と案内を引き受ける代わりに、彼らがキャンプからラオスに戻る際にヘロインを運搬させる計画を立てた。しかし、件の反政府勢力はまったく統制が取れておらず、途中で警察に逮捕されて、この計画は失敗した。その後、中国による同勢力への支援も打ち切られた。

次いでリンは、ラオス軍の一部を買収して同様の計画を実行し、ラオス経由でカンボジアのリゾート地ココンにまでヘロインを輸送するようになった。その結果、ココンは東南アジアのヘロイン一大集積地となったとされる[14]。

しかし、中国からの圧力、国際ヘロイン市場の競争激化により、NDAAはにケシ栽培およびアヘン生産の取締りへと方針を転換した。1992年から1996年にかけては、国連薬物犯罪事務所(UNODC)主導の代替開発プロジェクトを実施し[15]、1997年には「アヘンのない地域」を宣言し、モンラーに麻薬撲滅博物館を建設した[16]。

もっとも、識者はこうした動きに懐疑的で、ケシ栽培は行われていない可能性はあるものの、メタンフェタミンの製造を行っている疑惑が指摘されている。実際、リンの弟であるサイ・トゥーン(Sai Toon)がヤーバーの製造と密売に関わっている疑惑が持が浮上したことがある[12]。

カジノ

リンはヘロイン密売で得た収益を元手に、モンラーに高級ホテル、カジノ、カラオケ、バー、ナイトクラブなどの娯楽施設相次いで建設した。これらの施設では公然と売春が行われており、一時期はロシア人やウクライナ人の売春婦のグループも存在していたとされる[17]。

2000年代初頭には、推定3000人の中国人観光客が、中緬国境を越えてバスでモンラーを訪れてくるようになった。しかし、バカラなどの賭博によって数十億元規模の人民元が国外で消費されている状況に対し、中国当局は強い懸念を示した。度重なる警告にもかかわらず状況が改善されなかったため、2005年1月、中国の治安部隊は国境を越えてモンコーのカジノを強制捜査し、中国人ギャンブラーを一斉に拘束した。複数の賭博施設が破壊され、国境は事実上封鎖されることとなり、かつて賑わいを見せていたモンラーは急速に衰退し、いわゆるゴーストタウンと化した[17]。

その後、国境は再開され、2006年4月下旬、リンは中緬国境から16キロメートル離れたモンマ(Mong Ma)に新しいカジノを7軒建設した。これを皮切りに次から次に同地でカジノ開発を始め、最終的には50軒以上に達したとされる。さらにリンは、ナムルエ川とメコン川の合流点にあるソップ・ルエ(Sop Lwe)という町にもギャンブルタウンの建設し、いずれの施設もオンライン・カジノに対応できるようにした[17]。

ギャンブラーたちは検問所を避けて、不法に国境を越えてこれらの町に流入。この頃には、中緬国境の中国側の役人が買収されていたとの見方もあり、本格的な取り締まりは行われなかった[12]。リンはかつて中国・ラオス国境付近、ラオス北西部に存在したボーテン・ゴールデン・シティにも投資しており[18]、モンマ近くのカジノで中国人とラオス人の若者がディーラーとしての訓練を受けていたという[19]。

その他のビジネス

シュエ・リン・スター・カンパニー(Shwe Lin Star Company)という複合企業は、リンの所有と言われている[20]。

また、ナンパン地域には、500トンまでの貨物船が入港できるソップ・ルエ(Sop Lwe)港があり、タイのチエンラーイ県から中国のシーサンパンナ州の港湾へ向かう貨物船が港を経由する際、通過料と貨物取扱料を徴収している[8]。

また、NDAAはゴムや鉱物の生産事業も行っているとされ、2025年8月現在、NDAA領土内に中国企業が経営するレアアース鉱山が19箇所確認されている。しかし、これらの鉱山では、化学溶液を注入して鉱物を抽出する「原位置リーチング法」という危険な採掘方法が採られており、森林破壊、土壌の不毛化、河川汚染などの環境破壊と、周辺住民の健康被害をもたらしていると指摘されている[21]。

脚注

注釈

  1. ↑ 正式名称は、シャン州東部民族民主同盟軍(National Democratic Alliance Army – Eastern Shan State、略称: NDAA-ESS)、東シャン州軍とも言う。

出典

  1. ↑ “Another wrong turn in Mong La”. 2014年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月5日閲覧。
  2. ↑ “NDAA and UWSA deny involvement in Mekong incident”. 2014年2月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月5日閲覧。
  3. ↑ 中緬国境の中国側の町・潘西(Panghsai)で生まれ、シャン族と中国人の混血という説もある。
  4. 1 2 3 Bertil Lintner 2009, 第4章P6.
  5. ↑ South 2008, p. 140.
  6. ↑ Skidmore, Monique; Wilson, Trevor (2007). Myanmar: the state, community and the environment. ANU E Press. p. 69.
  7. ↑ Strangio, Sebastian. “Myanmar wildlife trafficking” (英語). Al Jazeera. 2024年12月14日閲覧。
  8. 1 2 3 4 5 6 7 Admin, I. S. P. (2025年8月20日). “National Democratic Alliance Army (NDAA) | ISP-Myanmar” (英語). 2026年1月2日閲覧。
  9. ↑ “Mongla Army Founder Dies of Lung Cancer”. The Irrawaddy. 2024年12月14日閲覧。
  10. ↑ “Myanmar Rebel Leader Sai Leun Dies in China, Aged 76” (英語). thediplomat.com. 2024年12月14日閲覧。
  11. 1 2 “Burma’s Sin City Retains It’s ‘Special’ Features”. The Irrawaddy. 2024年12月14日閲覧。
  12. 1 2 3 Strangio, Sebastian (2024年12月12日). “Dirty Old Town” (英語). Foreign Policy. 2024年12月14日閲覧。
  13. 1 2 Bertil Lintner 2021, p. 140.
  14. 1 2 Bertil Lintner 2009, 第4章P6-P7.
  15. ↑ TNI 2021, p. 56.
  16. ↑ “Making Opium (and the Past) Go Away”. The Irrawaddy. 2024年12月14日閲覧。
  17. 1 2 3 Bertil Lintner 2009, 第4章P7.
  18. ↑ “ラオス国境の消えた街「ゴールデンシティ」の謎(courrier編集部) @gendai_biz”. 現代ビジネス (2011年7月24日). 2024年12月14日閲覧。
  19. ↑ Bertil Lintner 2009, 第6章P1.
  20. ↑ Bertil Lintner 2009, 第6章P6.
  21. ↑ “Chinese Rare Earth Mines Proliferate in Eastern Shan State, Rights Group Warns” (英語). The Irrawaddy. 2025年9月1日閲覧。

参考文献

  • Bertil Lintner『The rise and fall of the Communist Party of Burma (CPB)』Southeast Asia Program, Cornell Univ、Ithaca, NY、1990年。ISBN 9780877271239。 
  • Bertil Lintner (1999). Burma in Revolt: Opium and Insurgency since 1948. Silkworm Books. ISBN 978-9747100785 
  • Merchants of Madness: The Methamphetamine Explosion in the Golden Triangle, Silkworm Books, (2009), ISBN 978-9749511596 
  • The United Wa State Army and Burma's Peace Process. アメリカ平和研究所. https://www.usip.org/publications/2019/04/united-wa-state-army-and-burmas-peace-process 
  • Bertil Lintner (2021), The Wa of Myanmar and China's Quest for Global Dominance, Silkworm Books, ISBN 978-6162151705 
  • Smith, Martin (1999). Burma: Insurgency and the Politics of Ethnicity. Dhaka: University Press. ISBN 9781856496605 
  • Ko-Lin Chin (2009). The Golden Triangle: Inside Southeast Asia's Drug Trade. Cornell Univ Pr. ISBN 978-0801475214 
  • Poppy Farmers Under Pressure. Transnational Institute. (2021). https://www.tni.org/en/publication/poppy-farmers-under-pressure 
  • Ong, Andrew (2023). Stalemate: Autonomy and Insurgency on the China-Myanmar Border. Ithaca, NY: Cornell University Press. ISBN 9781501769139 
  • 鄧賢 著、増田政広 訳『ゴールデン・トライアングル秘史 ~アヘン王国50年の興亡』NHK出版、2005年。ISBN 978-4140810217。 

外部リンク