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ローマ軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
古代ローマ軍
紀元前753年 – 西暦476年
制度史
陸軍
(兵種と役職、正規軍、アウクシリア、将軍の一覧)
海軍
(艦船、提督の一覧)
戦史
戦争
著名な戦闘
戦功
兵器史
軍事技術 (個人装備、攻城兵器、カストラ、凱旋門、街道)
軍政史
歩兵戦術
攻城戦
国境防衛
(城壁、ハドリアヌスの長城、アントニヌスの長城)

ローマ軍(ローマぐん)は、古代ローマ(王政ローマ・共和政ローマおよび帝政ローマ)における軍隊(陸軍および海軍)の総称。ラテン語では「ローマーニー・エクセルキトゥス(Romani exercitus)」あるいは「ノステル・エクセルキトゥス(noster excercitus、我らの軍隊)」などと呼んでいた。

ローマ陸軍

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概要

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ローマ陸軍は、時代によっても異なるが、ローマ市民権を持つ者からなるレギオー(legio、ローマ軍団)およびローマ市民権を持たない者からなるアウクシリア(auxilia、支援軍)に大別することができる。レギオー(軍団)は陸軍の編成単位でもあり、個々の軍団に支援軍が付随して戦闘を行なった。

編成単位としての1個のレギオーは10個のコホルス(cohors、歩兵大隊)に、1個のコホルスは3個のマニプルス(manipulus、歩兵中隊)に、1個のマニプルスは2個のケントゥリア(centuria、百人隊)によって構成されていた。すなわち1個のレギオー(軍団)は、60個のケントゥリア(百人隊)からなっていた。従って計算上は6,000名の軍団兵がいたことになるが、実際は定員割れを起こしていることも多かったという。

共和政時代のローマ陸軍は、本土イタリアではコンスル(執政官)とプラエトル(法務官)が、属州では属州総督(プロコンスルやプロプラエトル)がおもに全軍の指揮権(インペリウム)を握った。個々の軍団については、ガイウス・マリウスの軍制改革以降は、レガトゥス(副官)のうちからレガトゥス・レギオニス(軍団長)を任命して指揮させることが多かった。各軍団の運用については、さらに各6名のトリブヌス・ミリトゥム(兵士長)によって補佐された。

帝政時代になり、国境がある程度画定してくると、防衛が主な目的になった。ローマの国境はケルト人・ゲルマン人ならびにパルティアの侵攻頻度からライン川・ドナウ川・ユーフラテス川に主眼が置かれるようになり、これらに駐屯する軍団は精鋭として名を馳せた。また、彼らの駐屯地はそれぞれが「ミニ・ローマ」とも言うべき画一的な施設・設備を有していたため、特にライン・ドナウ沿いに位置する現在のヨーロッパ諸都市はローマ軍駐屯地を起源としているものが少なくない。

初期ローマ軍(紀元前550-紀元前300年)

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共和制中期のローマ軍(紀元前300年 - 紀元前107年)

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帝政ローマ期のローマ軍 (紀元前30年 - 284年)

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ローマ海軍

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ラテン語では海軍または艦隊のことをクラッシス(Classis)と呼んだ。

いつごろ設置されたかはっきりしないが、紀元前4世紀ごろにはローマ海軍に言及した文章が残されている。

古代の地中海世界では、フェニキア人が海上交易で地中海で勢力を広げており、ローマ人とはライバル関係、敵対関係にあった。

関連項目

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