| 三学院 | |
|---|---|
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本堂 | |
| 所在地 | 埼玉県蕨市北町3-2-4 |
| 位置 | 北緯35度49分44.1秒 東経139度40分40.7秒 / 北緯35.828917度 東経139.677972度座標: 北緯35度49分44.1秒 東経139度40分40.7秒 / 北緯35.828917度 東経139.677972度 |
| 山号 | 金亀山 |
| 宗派 | 真言宗智山派 |
| 本尊 | 十一面観音 |
| 創建年 | 不詳 |
| 正式名 | 金亀山極楽寺三學院 |
| 札所等 |
足立坂東三十三観音 第20番 北足立八十八箇所 第30番 |
| 法人番号 | 6030005003089 |

三学院は金亀山極楽寺(こんきさんごくらくじ)を号する。 創建年代は不明である。後の火災で記録を失ってしまったためである。ただ本尊の十一面観音像が平安時代後期のものであることから、その頃には既に存在していたものと推測される[2][3]。
また、寺伝によれば三学院は、平安時代の中期に当たる長徳4年(998年)に開山したとも言われている。 そして、鎌倉時代から戦国時代にかけては、三学坊と称する修験の寺であったとの説もある。 その後、寺は名を広め、江戸時代を通して、関東七箇寺に列せられ、多くの学僧が集まり、優れた僧侶を世に送り出している。 また、三学院には「三教指帰」が残されており、江戸時代に三学院が学問寺として活動していた一端を示している。
本尊は高さ176センチメートルの木造十一面観音菩薩立像であり、一木造りの金箔塗りで平安時代後期造立の慈寛大師の作と伝承されている。 その他、三学院には、子育地蔵、目疾地蔵、六地蔵、阿弥陀一尊画像板碑、地獄曼荼羅図などが保管されている。
天正19年(1591年)、関東地方の新領主となった徳川家康により朱印状が発給され寺領20石が与えられた。現在、三学院には、家康から第十四代の家茂に至るまで歴代の将軍から出された朱印状が十二通所蔵されている。江戸時代は「関東十一談林」の一つになっている[3] [4]。
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