三橋久美

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三橋 久美(みつはし ひさよし、1873年〈明治6年〉11月27日[1] - 1943年〈昭和18年〉4月5日[2])は、明治から大正時代の日本の判事(裁判官)、教育者。大審院判事・部長、東京控訴院判事・部長、東京地方裁判所判事・部長[3][4]、立教大学教授[5]。

人物・経歴

1873年(明治6年)11月、東京府人・三橋久實の長男として東京市小石川区で生まれる[3][4][1]。その後、家督を相続する[3]。

1901年(明治34年)7月、東京帝国大学法科大学英法科を卒業した後、翌年3月に司法官試補(東京区裁判所詰)となる[3][4]。

その後、東京地方裁判所判事、東京控訴院判事、東京地方裁判所部長、東京控訴院部長を歴任[3][4]。

1924年(大正13年)1月、大審院判事に任じられ、1933年(昭和8年)1月には大審院部長に就任[3][4]。

その間、大正後期から昭和初期にかけて、立教大学商学部(現・経済学部、経営学部)教授を兼任で務めて商法を講じた[6][5]。

1936年(昭和11年)11月に大審院を停年により退職[4]。

親族

  • しけ(妻、明治15年5月生)
  • 久夫(長男、明治39年10月生)
  • 淑夫(二男、明治43年10月生)
  • 文(長女、大正3年11月生)
  • いと(二女、大正9年7月生)
  • 治夫(三男、大正14年7月生)

脚注

  1. 1 2 『帝国法曹大観 改訂第3版』帝国法曹大観編纂会、1929年、p.44。
  2. ↑ 『官報』第4870号、1943年4月9日。
  3. 1 2 3 4 5 6 『人事興信録』データベース『三橋久美』 第8版.昭和3(1928)年7月,名古屋大学大学院法学研究科
  4. 1 2 3 4 5 6 木村 和成「大審院(民事)判決の基礎的研究・4 ―判決原本の分析と検討(昭和5年9月分)―」『立命館法学』第341巻、立命館大学法学会、2012年、637-694頁、ISSN 0483-1330。
  5. 1 2 国立国会図書館デジタルコレクション 『立教大学一覧』昭和8年3月版 39頁-44頁 昭和8年3月
  6. ↑ 『立教大学新聞 第29号』 1926年(大正15年)3月15日