三浦理

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三浦 理(みうら おさむ、1872年(明治5年)9月 - 1928年(昭和3年)3月24日)は、日本の出版事業者、実業家。日本の教育・出版史に大きな足跡を残した「有朋堂」の創業者であり、日本古典文学の大全集『有朋堂文庫』の刊行や数々のベストセラー受験参考書・辞書を手掛け、近代の文化・教育の振興に大きく貢献した[1][2]。

人物・略歴

静岡の掛川太田藩士・三浦正幹の次男として生まれる[1][2]。

1881年(明治14年)、9歳で浜松の商店の店員となったのち、1882年(明治15年)11歳の時に上京して三省堂の少年店員となった。1883年(明治16年)に一旦印刷業の秀英舎(大日本印刷の前身で創業者は佐久間貞一)の創業募集に応じたが、のちに裁判所に勤めていた父の親交のあった三省堂創業者・亀井忠一の勧めにより、再び三省堂に復職した[1][2]。

三省堂では店主の亀井忠一のもとで頭角を現し、各種辞典や教科書などの出版・販売事業に携わった[1]。18年間三省堂に勤めたのち退職して独立し、1901年(明治34年)、千代田区神田錦町に「有朋堂」を創業した[1][2][3]。

有朋堂創業後は、南日恒太郎編の『袖珍英和辞典』などの辞書類や、南日恒太郎著『英文解釈法』、塚本哲三著『国文解釈法』といった受験参考書を発行し、ベストセラー・ロングセラーを生み出した[1][2]。

また1912年(明治45年)からは、日本古典文学の大全集である『有朋堂文庫』(全122巻)の企画編集に着手し、一大事業を成功させた[1][2]。

「出版者は死して名と良書を残さねばならぬ」を信条とし、出版事業に邁進したが、1928年(昭和3年)3月24日、恩義のあった亀井忠一夫人万喜子の法要の際に脳溢血で倒れ、57歳(満55歳)で急逝した[1]。

家族・親族

  • 父:三浦正幹(静岡・掛川藩士)
  • 長男:三浦捷一(有朋堂第2代社長)
  • 次男:三浦正(有朋堂第3代社長、日興出版社長)
  • 五男:三浦五郎(有朋堂第4代社長)
  • 孫(五郎の長男):三浦理一郎(有朋堂第5代社長)

脚注

  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 『日本の出版界を築いた人びと』鈴木省三 著、柏書房、1985.11、P181-190
  2. 1 2 3 4 5 6 佐藤裕亮 (2020-12-21). “塚本哲三の前半生と有朋堂 : 教育史と出版史の間”. 教職課程センター紀要 (大東文化大学教職課程センター) 5: A13-A22.
  3. ↑ 『学習書協会30年のあゆみ』学習書協会 編、学習書協会、1977.10、p18