塚本哲三
塚本 哲三(つかもと てつぞう、1881年(明治14年)12月3日[1] - 1953年(昭和28年))は、日本の国語・漢文教育者、編纂者[2][3]。
人物・略歴
1881年(明治14年)12月3日、静岡県小笠郡堀之内町(現・菊川市)にあった堀ノ内駅(現・菊川駅)から一里半離れた村落の農家・岩沢源六の次男として生まれる(堀ノ内駅の開設は1889年4月、堀之内町の町制施行は1928年1月)。幼少期に村の寺の住職であった塚本哲英の養子となり、塚本姓を名乗った[2][3]。
旧制浜松中学校(現・静岡県立浜松北高等学校)で学んだ後、麻布の南山小学校等での教員を経て、浜松中学時代の恩師である伊藤太郎の紹介で埼玉県立熊谷中学校に赴任。26歳の時に中等教員国語漢文科検定試験(文検)に合格した。その後、山口県立岩国中学校(旧制)での勤務を経て、伊藤太郎の紹介により旧制立教中学校の教諭へ転任し、立教大学講師なども歴任した[2][3]。
旧制立教中学校への転任後は、伊藤の紹介で出版社・有朋堂(創業者:三浦理)と関わりを持ち、英語学者・勝俣銓吉郎の辞書編纂(『英和双解熟語大辞典』など)を手伝った[2]。
立教赴任後は上記以外にも多くの教員・研究者と親交を結んだ。中でも国文学者・漢学者の本荘季彦や古賀友太、国語教育者の藤森良蔵らと深く交流し、特に藤森良蔵とは固く結ばれたという。1910年(明治43年)に『幾何学考へ方と解き方』を刊行して受験界に影響を与えた藤森との出会いは、塚本のその後の人生に大きな転機をもたらした。1915年(大正4年)からは藤森が主幹を務める考へ方研究社の学習雑誌『考へ方』で編集主任を務め、『漢文の学び方考へ方解き方』(1919年)や『国文の学び方考へ方解き方』(1920年)を著すなど、両者は深い関係を築いた[2]。
また、藤井乙男編『諺語大辞典』(1910年刊)において「分類索引」の構案を手がけ、国語・漢文のみならず幅広い学習出版分野に携わった[2]。
『有朋堂文庫』の編集者や『国文解釈法』(1916年)などの受験参考書・学習書・問題釈義の編者として知られ、大正から昭和期にかけての学習出版界に大きな足跡を残した[2][4]。特に有朋堂文庫の漢文叢書は、塚本哲三の編集により、日本の古典文学や漢籍などを多数刊行した著名な叢書であり、古書や復刻版などが現在でも研究や市場で扱われている[5]。
主な著作・編書
- 『国語問題釈義』『漢文問題釈義』(有朋堂、1910年)
- 『精説国漢文要義』(有朋堂、1913年)
- 『国文解釈法』(有朋堂、1916年)
- 『漢文の学び方考へ方解き方』(考へ方研究社、1919年)
- 『国文の学び方考へ方解き方』(考へ方研究社、1920年)
- 『諺語大辞典』(藤井乙男編、有朋堂、1910年)