不昧流(ふまいりゅう)は、松平不昧に始まり、松江藩で伝わった武家茶道の一派。不昧とは松江藩主の松平治郷の号。

松平不昧の茶道の系図を考慮すると石州流不昧派と称すべきであるが、不昧が雲州 (出雲国)候であることから雲州流と称されていた[1]。また、出雲藩においては、単に「御流儀」「御國流」とも称していた[1]。

現在の伝承組織では不昧流あるいは石州流不昧派と称している。

歴史

松平治郷は松江藩の7代藩主で、不昧と号した。藩主となる以前から江戸屋敷で茶道に励み、3代伊佐幸琢(半寸庵)から石州流怡渓派(後の石州流伊佐派)を学んでいたが、また一尾流の荒井一掌にも学んでいる。明和8年(1771年)石州流怡渓派の皆伝を受けた後に、様々な流派を参考にして独自の茶風に達し、享和2年(1802年)に茶事改正の達しを出している。これはあくまで個人のこととし、若い時分には「我が流儀立つるべからず」(『茶礎』)とも述べているが、しかしこの不昧の茶は家臣が不昧公御流儀として伝承してきた。

有沢弌通は松江藩家老で不昧の信頼が厚く、たびたび茶道に関する手紙をやりとりしている。その継嗣である有沢弌善には茶道を伝授した上に、本邸内には明々庵、後に別荘には菅田庵を指図している。以来、有沢家代々で不昧公御流儀を伝承し菅田庵を守り伝えてきた。有沢家では不昧流と称している。

一方、藤井長古(宗与)は松江藩茶堂として不昧公御流儀を藩士に広めた。2代目藤井長古(宗古)の弟子で茶堂を務めたものに、安喰善知と為石九方がある。安喰善知の門人には、松江藩の支藩である母里藩10代藩主松平直哉の子で子爵となった松平直敬があり、学習院や皇室で茶の湯の指導にあたるなどして関東地方に雲州流を広めた。この系譜は現在は石州流不昧派と称している。また為石九方の系譜は松江で一般に伝えられて、不昧流大円会と称している。

歴代

有沢家歴代
代名道号生没年月日備考
五有沢弌通宗佚1716年-1776年5月28日一歩庵
六有沢弌善宗意1742年-1810年明々庵、菅田庵、向月亭
七有沢弌悳宗山1779年-1851年止々亭
八有沢弌審宗閑1811年-1891年松涛庵
九有沢弌恒宗滴1856年-1927年菅田庵
十有沢弌允不詳
十一有沢弌也宗也不詳菅田庵
十二有沢弌保宗保不詳
石州流不昧派
代名道号生没年月日備考
初松平不昧宗納1751年2月14日-1818年4月24日
二藤井長古宗与1784年-1854年
三藤井長古宗古不詳
四安喰善知宗珉不詳
五松平直敬宗円1870年-1942年
六田中千子宗真不詳-1979年
七渡辺義一宗石不詳
八安原庸夫宗云不詳

参考文献

出典

  1. 1 2 松平家 編『松平不昧伝』慶文堂書店、1917年、60頁。2022年1月29日閲覧。

外部リンク

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