二条為雄

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二条為雄
時代 鎌倉時代後期
生誕 建長7年(1255年)
死没 不詳[1]
改名 為雄 → 覚心(法名)
官位 参議、従二位、右衛門督
主君 後深草天皇 → 亀山天皇 → 後宇多天皇 → 伏見天皇 → 後伏見天皇 → 後二条天皇
氏族 藤原北家長家流御子左家
父母 父:二条為氏、母:不詳
兄弟 為世、為雄、為実、為言
妻 不詳
子 養子:為藤、俊言、為基
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二条 為雄(にじょう ためお)は、鎌倉時代後期の公卿。参議、従二位、右衛門督。歌道家である二条家(二条派)嫡流に生まれる。権大納言二条為氏の二男。当初、兄為世の二男為藤を猶子としていたが、為世の嫡男為道が早世したため、為藤は嫡家を継いだ。

経歴

以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

亀山法皇の葬儀に参列

嘉元3年(1305年)9月17日、亀山法皇の葬儀に為雄が参列している様子が『増鏡』に記述されている[5]。続群書類従『御子左系図』によると、為雄は甥の俊言を養子にしていたと記されており、俊言は後に従兄の京極為兼の養子になったとあるため、法皇崩御のため出家した際、俊言を為兼へ託したとされる。また俊言の弟為基も為雄の養子になった後、俊言と同じく為兼に養子として引き取られた[6]。

脚注

  1. ↑ 嘉元3年(1305年)9月17日、出家。
  2. ↑ この時、侍従を兼ねていたか。
  3. ↑ 12月22日に3名が参議に任ぜられていることから、為雄が参議を辞したのは12月22日前後と考えられる。
  4. ↑ 亀山法皇が9月15日に崩御したため。27日には法皇の素服を賜った。
  5. ↑ 『増鏡』第11「さしぐし」による。
  6. ↑ 井上宗雄 2006, p. 238-242.

参考文献