今出川公興

ウィキペディアから、無料の百科事典
 
今出川公興
時代 室町時代後期 - 戦国時代
生誕 文安2年(1445年)[1]/文安3年(1446年)[2]
死没 永正11年2月4日(1514年2月28日[1][2]
改名 公尚(初名)→公興
別名 号:後法雲院
官位 従一位、左大臣
主君 後土御門天皇→後柏原天皇
氏族 今出川家
父母 父:今出川教季、母:高倉永豊の娘
兄弟 公興、伏見宮邦高親王妃
妻 勧修寺教秀の娘
子 季孝、興子
テンプレートを表示

今出川 公興(いまでがわ きんおき)は、室町時代後期から戦国時代にかけての公卿。左大臣の今出川教季の子。官位は従一位・左大臣。

経歴

初名は公尚(きんなお)。文明5年(1473年)に従三位・左近衛中将となり、公卿に列する。文明6年(1474年)に公興と改名する。文明7年(1475年)に権中納言に任ぜられ、文明8年(1476年)には正三位に進む。文明12年(1480年)に権大納言となる。延徳元年(1489年)には従二位に進み、右近衛大将・内大臣に任ぜられる。延徳2年(1490年)には正二位に進む。延徳3年(1491年)に辞したが、明応4年(1495年)には従一位に進む。明応5年(1496年)に右大臣となる。明応6年(1497年)には左大臣へ昇格し、永正2年(1505年)まで同職にあった[1]。

系譜

脚注

  1. 1 2 3 野島寿三郎『公卿人名大事典』日外アソシエーツ、1994年、p.80
  2. 1 2 “今出川公興とは”. コトバンク. 朝日新聞社. 2017年11月16日閲覧。