伊達村泰
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 天和2年(1682年)
死没 享保16年4月20日(1731年5月25日)
改名 宗明(初名)→村泰
別名 直養、臨江(字)、孫吉、主馬、弾正(通称)
墓所 大崎市の松窓寺
主君 伊達綱村、吉村
藩 陸奥仙台藩
氏族 涌谷伊達氏、岩出山伊達家
父母 伊達宗元、伊達宗敏娘
伊達敏親
兄弟 村元、村泰ら
妻 冷泉為綱娘・伊与
子 村緝、村敏
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伊達 村泰(だて むらやす)は、江戸時代前期から中期にかけての武士。岩出山伊達家4代当主。

略歴

天和2年(1682年)、伊達宗元の五男として誕生。元禄12年(1693年)、12歳で母方の叔父である岩出山伊達氏3代伊達敏親の養子となる。

宝永6年(1709年)養父敏親が隠居したため、家督を相続する。

享保16年(1731年)4月20日死去。享年50。[1]

人物

学問所有備館に学者の佐久間洞巖を招聘した。また正室を冷泉家から迎えた関係で、京に滞在中に竹細工を見かけ、職人を岩出山に呼び寄せて、藩士に竹細工の制作技術を学ばせた。[2]

系譜

先代
伊達敏親
岩出山伊達氏
4代:1709年 - 1731年
次代
伊達村緝

出典

  1. ↑ 伊達世臣家譜
  2. ↑ 岩出山町史

参考文献

 

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