伊陟(いちょく、Yi Zhi、生没年不詳)は中国殷の政治家。伊尹の子[注 1]。賢人として知られ、殷王の太戊(中宗)に用いられてこれをよく補佐し、先代の雍己の時代に威信が衰えた殷を復興させた。

経歴

『史記』殷本紀によれば、殷王太戊の宰相を務めた。『竹書紀年』と『汲冢書』では、伊尹が太甲を廃して自らが即位し、後に太甲が復位した際に伊尹を殺してその子の伊陟らを用いたとされる[注 2][注 3]。

脚注

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注釈

  1. ↑ 『史記集解』殷本紀「孔安国曰『伊陟、伊尹之子。』」
  2. ↑ 『竹書紀年』「仲壬崩,伊尹放太甲于桐,乃自立也。伊尹即位,放太甲七年。太甲潜出自桐殺伊尹,乃立其子伊陟、伊奮,命復其父之田宅而中分之」
  3. ↑ 洪頣煊注『広弘明集』十一引『汲冢書』「伊尹自簒立,後太甲潜出,親殺伊尹而用其子。」

参考文献

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