伴忠行

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伴忠行
時代 平安時代前期
生誕 不明
死没 延喜4年3月2日(904年3月21日)
官位 従五位下・安芸守
主君 光孝天皇→宇多天皇→醍醐天皇
氏族 大伴氏
父母 父:伴春雄
兄弟 保平、忠行、保在
子 右職
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伴 忠行(とも の ただゆき)は、平安時代前期の貴族。播磨守・伴春雄の子。官位は従五位下・安芸守。

経歴

元慶8年(884年)大丞在職中に正六位下から二階昇進して従五位下に叙爵。散位を経て、仁和2年(886年)刑部少輔に任ぜられる。

醍醐朝に入り、昌泰2年(899年)安芸守に任ぜられている。延喜4年(904年)3月2日平安京にて群盗に襲われ射殺された[1]。3月4日に陣にて盗賊の捜索が議され、7日に犯人は捕縛された[2]。延喜年間は、都にて放火や殺人が頻発していた時期であったという。

官歴

注記のないものは『日本三代実録』による。

系譜

  • 父:伴春雄[3]
  • 妻:不詳
  • 生母不明の子女
    • 男子:伴右職[3]

脚注

  1. ↑ 『日本紀略』延喜4年3月2日条
  2. ↑ 『扶桑略記』延喜4年3月2日・4日・7日条
  3. 1 2 3 「鶴岡社職系図」『続群書類従』巻第182

参考文献