佐久ホテル

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佐久ホテル
佐久ホテル中庭
佐久ホテル中庭
ホテル概要
運営 株式会社佐久ホテル[1]
所有者 篠澤明剛(当主・代表取締役)[1]
部屋数 28[2]室
駐車場 普通車60台・大型バス5[2]台
開業 1428年[1]
最寄駅 JR岩村田駅・佐久平駅[2]
最寄IC 上信越自動車道・佐久IC[2]
所在地 〒385-0022
長野県佐久市岩村田553[2]
位置 北緯36度16分25秒 東経138度28分48秒 / 北緯36.27361度 東経138.48000度 / 36.27361; 138.48000座標: 北緯36度16分25秒 東経138度28分48秒 / 北緯36.27361度 東経138.48000度 / 36.27361; 138.48000
公式サイト 公式サイト
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佐久ホテル(さくホテル)は、長野県佐久市岩村田にある宿泊施設(温泉宿、ホテル)。運営は株式会社佐久ホテル。創業は室町時代で、長野県一の老舗である。

歴史

佐久ホテルの創業は室町時代の正長元年(1428年)。望月城・望月河内守が現在の佐久ホテルのある場所において、宿泊や食事を提供したのが始まりだという。創業から600年間を数えようとしており、長野県で最も古い老舗として知られる。同ホテルは足利将軍家が贈ったという感謝状を所蔵しているという。戦国時代、天文年間には武将・武田信玄が訪れ、入浴したと伝わる[3]。江戸時代は陣屋元にあったため、割元・名主・公事宿(郷宿)の任を務めた[4]。

江戸時代末期、幕末の頃に蒸気船を旅客船として事業化を企画・出資するも、鉄道の普及により失敗。これによる損失は現在の価値に換算して60億円にも上るものであった。その戒めとして、不慣れな事業や相場、賭事には手を出さないよう、家訓を定めた[3]。歴史上の偉人・文人が訪れたという誇りも公にせず、取材にも応じないこととしたため、普通のビジネスホテルと見られがちであった[1]。

現代、第19代目当主(株式会社佐久ホテル代表取締役)は、一転して歴史や伝統を前面に押し出す経営へと方針を転換。伝統の鯉を使った料理の提供や、放棄されていた温泉の再興、インターネット・SNSを活用した情報発信を行っている[1][3]。

施設

旭湯温泉の浴場

食事

和食を提供する[2]。目玉は地元産の佐久鯉を味噌仕立てのタレで3時間ほど煮込んだ「鯉こく」。タレは江戸時代中期から継ぎ足しで使っているという[7]。自家製の「よもぎ焼酎」も用意している[2]。

交通アクセス

公共交通機関
JR佐久平駅よりタクシーで約2分間。またはJR小海線・岩村田駅より徒歩6分間。7人乗り・27人乗り・55人乗りの送迎車を用意[2]。
自家用自動車
上信越自動車道・佐久インターチェンジから自動車で2分間。普通車60台・大型バス5台駐車可能な無料駐車場を用意[2]。

脚注

注釈

  1. ↑ 佐久ホテルの牧水歌碑は1991年(平成3年)、ホテル代表者が建立。黒い御影石のパネル(高さ43cm、幅33cm)に「白玉の はにしみとおる 秋の夜の 酒は静かに 飲むべかりける 佐久ホテルにて 若山牧水」(ママ)と刻み、自然石(高さ59cm、幅45cm)に埋め込んである。この歌は1910年(明治43年)10月の「創作」<旅愁記 その一> 初出、1911年(明治44年)歌集『路上』に収録されたもの。牧水本人が佐久ホテルに宿泊したのは1922年(大正11年)10月の2泊と、1925年(大正14年)4月の2泊、合計4泊であり、当ホテルに宿泊した際に生まれた歌というわけではない。佐久地域には、これと同じ歌が刻まれた歌碑がほかに3か所存在する。旧小諸本陣(小諸市)、佐久酒造協会事務所(佐久市岩村田)、武重本家酒造(佐久市茂田井)である[6]。

出典

参考文献

  • 宮澤康造『佐久の文学碑』櫟、1995年。ISBN 4900408565。 

関連項目

外部リンク