信光明寺

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信光明寺

観音堂
(2019年(令和元年)11月)
所在地 愛知県岡崎市岩津町東山47
位置 北緯35度00分10.61秒 東経137度10分30.34秒 / 北緯35.0029472度 東経137.1750944度 / 35.0029472; 137.1750944座標: 北緯35度00分10.61秒 東経137度10分30.34秒 / 北緯35.0029472度 東経137.1750944度 / 35.0029472; 137.1750944
山号 彌勒山
院号 崇嶽院
宗派 浄土宗鎮西派
本尊 阿弥陀如来
創建年 1451年(宝徳3年)
開山 釈誉存冏
正式名 彌勒山崇嶽院信光明寺
文化財 観音堂(重要文化財)
法人番号 3180305000154 ウィキデータを編集
信光明寺の位置(愛知県内)
信光明寺
信光明寺
信光明寺 (愛知県)
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信光明寺(しんこうみょうじ)は、愛知県岡崎市岩津町東山[1]にある浄土宗の寺院。山号は弥勒山。本尊は阿弥陀如来。

概要

1451年(宝徳3年)、岩津城主の松平信光が、父親の松平泰親の菩提を弔うため[2]、増上寺開山聖聡の弟子で、下総国飯沼弘経寺(茨城県常総市)から三河に布教に来ていた千葉氏出身の釋誉存冏(そんげい)を開山として創建した。

1478年(文明10年)、法堂(現・観音堂、重要文化財)を建立。観音堂は初めは比叡山から迎えた釈迦像が安置されていたが、現在は観音像が祀られている。翌文明11年2月13日、後土御門天皇の勅願所とされた。

1481年(文明13年)松平信光の孫存牛(のちに浄土宗総本山知恩院25世)が当寺開山存冏のもとで出家し、1511年(永正8年)には信光明寺3世となった。

1570年(元亀元年)から1572年(元亀3年)にかけて、武田信玄の三河国侵入の際、戦闘で法堂の外は焼失したが、のち徳川家康の命で再建された。1602年(慶長7年)、朱印地120.82石を寄進された。

近世は徳川家光先祖菩提所として幕府によって修復が施され、1663年(寛文3年)には常紫衣綸旨を受けた。

1954年(昭和29年)に老朽化がはなはだしかった観音堂上屋根の復元工事が着手され、1955年(昭和30年)4月12日に竣工式が行われた。総工費は111万円(国費85万円、県費11万円、地元負担15万円)[3]。

境内には酒井広親石宝塔や松平親氏・松平泰親・松平信光3代の墓がある。また、岩津保育園(1951年創立)という私立保育園が隣接している[4]。

ギャラリー

文化財

以下の物件が文化財に指定されている[5]。

重要文化財

指定名称種別指定年月日所在地
信光明寺観音堂(附棟札)建造物1904年(明治37年)2月18日信光明寺

市指定文化財

指定名称種別指定年月日所在地
酒井広親石宝塔建造物1967年(昭和42年)9月14日信光明寺
絹本著色山越阿弥陀如来像絵画1960年(昭和35年)6月10日岡崎市美術博物館
絹本著色雲中来迎阿弥陀如来像絵画1960年(昭和35年)6月10日岡崎市美術博物館
絹本著色釈迦如来像(附軸金具)絵画1960年(昭和35年)6月10日岡崎市美術博物館
絹本著色超誉上人像絵画2007年(平成19年)12月18日岡崎市美術博物館
雲版工芸品1960年(昭和35年)6月10日岡崎市美術博物館
双盤工芸品1960年(昭和35年)6月10日岡崎市美術博物館
孔雀文磬工芸品2006年(平成18年)12月21日信光明寺
紙本墨書後柏原天皇綸旨書跡1960年(昭和35年)6月10日岡崎市美術博物館
紙本墨書後土御門天皇綸旨書跡1960年(昭和35年)6月10日岡崎市美術博物館

交通手段

  • 名鉄バス:奥殿陣屋行き、「岩津天神口」バス停下車、東へ約300メートル。

脚注

  1. ↑ 額田郡岩津町
  2. ↑ “『岡崎市歴史的風致維持向上計画』第1章 岡崎市の歴史的風致形成の背景”. 岡崎市ホームページ. p. 191 (2023年7月14日). 2024年1月17日閲覧。
  3. ↑ 『東海新聞』1955年4月10日、3面、「観音堂見事に復元 十二日・岩津信光明寺で竣工式」。
  4. ↑ 社会福祉法人明正会 岩津保育園の紹介
  5. ↑ “岡崎市指定文化財目録”. 岡崎市ホームページ (2023年7月12日). 2024年1月17日閲覧。

参考文献

  • 『新編 岡崎市史 総集編 20』新編岡崎市史編さん委員会、1993年3月15日、200-201頁。 
  • 『岡崎 史跡と文化財めぐり』岡崎市役所、2003年1月1日、217-219頁。 

関連項目

附近:

外部リンク