僧綱補任
| 僧綱補任(興福寺本) | |
|---|---|
| 言語 | 漢文 |
| 執筆時期 | 平安時代 |
| 起源 | 興福寺 |
| 初刷 | 『大日本仏教全書』巻123(1916年5月15日) |
| ジャンル | 歴史 |
| 文章全長 | 6巻(計紙数304枚、長さ145.133メートル)[1] |
| 主題 | 僧綱の補任記録 |
| 登場時代 | 推古天皇32年(624年), 天武天皇2年(673年), 文武天皇2年(698年) - 康治元年(1142年) |
『僧綱補任』(そうごうぶにん)とは僧綱の補任記録を年次によりまとめた書物。加えて、承和元年(834年)と同4年以降(837年)には已講の講師の記録も載せる[2][3]。
諸本
- 興福寺本
- 6巻の巻物であり[4]、紙背文書に平清盛の書が含まれる。推古天皇32年(624年)、天武天皇2年(673年)、文武天皇2年(698年)から康治元年(1142年)までの各年の記録が残っている[5]。1910年8月29日重要文化財[6]。『大日本仏教全書』巻123所収。
- 真福寺本(『七大寺年表』)
- →詳細は「七大寺年表」を参照
- 2巻であるが、上巻の巻首を欠いている。このため、『七大寺年表』だと誤認されていた[3]。奥書によれば「永万元年十月此書書写了。恵珍之。一校了。不審更多」とあるが、平田俊春は、「真福寺本」(『七大寺年表』)は『僧綱補任抄出』の抄出元である「東大寺東南院経蔵本十二巻忠珍僧都撰」であり、恵珍が「真福寺本」(『七大寺年表』)の編者であると指摘している[7]。内容は天武天皇11年(682年)から延暦21年(802年)までで、「興福寺本」に『扶桑略記』などから増補されている[3]。1951年6月9日重要文化財[8]。『大日本仏教全書』巻111、『続群書類従』巻792所収。
- 僧綱補任抄出
- 2巻。「東大寺東南院経蔵本十二巻忠珍僧都撰」を深賢が抄出したもの。内容は推古天皇32年(624年)から永万元年(1165年)までであり、本書が万永元年までであることから、永万元年十月書写の「真福寺本」(『七大寺年表』)の編者は恵珍であると指摘されている[9]。東大寺所蔵。『群書類従』巻54、『大日本仏教全書』巻111所収。
出典
参考文献
- 平林盛得・小池一行編『五十音引僧綱補任 僧歴綜覧 増訂版 推古卅二年-元暦二年<624年-1185年>』, 笠間書院, 2008, 平林による解説
関連項目
外部リンク
- 『大日本仏教全書』巻111, 巻123, 国立国会図書館デジタルコレクション
- 五十音引僧綱補任僧歴綜覧 Index List, 国文学研究資料館学術情報リポジトリ