| もとかりやむら 元刈谷村 | |
|---|---|
| 廃止日 | 1906年5月1日 |
| 廃止理由 |
合併 刈谷町・逢妻村・小山村・元刈谷村 → 刈谷町 |
| 現在の自治体 | 刈谷市 |
| 廃止時点のデータ | |
| 国 |
|
| 地方 | 中部地方、東海地方 |
| 都道府県 | 愛知県 |
| 郡 | 碧海郡 |
| 市町村コード | なし(導入前に廃止) |
| 総人口 |
1,687人 (1891年) |
| 元刈谷村役場 | |
| 所在地 | 愛知県碧海郡元刈谷村 |
| ウィキプロジェクト | |
境川河口部の左岸に位置していた[1]。碧海台地の西端からは縄文時代晩期の本刈谷貝塚が発掘されており、本刈谷貝塚は「刈谷西部の縄文遺跡」として愛知県指定史跡となっている[1]。当初は衣浦湾(三河湾)に面した村だったが、延宝7年(1679年)以後に多くの新田が築かれると、境川沿岸の村となった[1]。
当初は亀村という名称であり、やがて刈谷村に改めたが、刈谷ではなく苅谷と表記されることも多かった[1]。天文2年(1533年)に水野忠政が北1kmの場所に刈谷城を築いたため、この地は本刈谷と称するようになった[1]。
江戸時代には刈谷藩領だった[1]。刈谷藩主には本多氏がおり、同一の漢字を用いることが憚られたことから、本刈谷から元刈谷に改めた[1]。『寛永高附』では本苅屋村、『元禄郷帳』では本苅谷村、『天保郷帳』では元苅谷村、『旧高郷帳』では元刈谷村と表記されている[1]。
1876年(明治9年)の戸数は390、人口は1,598[1]。1881年(明治14年)に明治用水西井筋が通水したことで耕地面積が拡大した[1]。1891年(明治24年)の戸数は361、人口は1,687[1]。
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