先んずれば人を制す

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先んずれば人を制す(さきんずればひとをせいす)は、『史記』においての概念。

概要

何事をするにも、先に行うことが大切であるということである[1]。物事を人より先に行うということで、有利な立場に立てて人を制せられるということである[2]。先手を取ることで相手を圧倒でき、このことから物事の成功へと繋がるということである[3]。これは『史記』の項羽本紀においての事柄である。そこでは秦の二世の皇帝であった紀元前209年7月に陳勝らが大沢で蜂起を起こすということがあった。その年の9月に秦の郡守であった殷通が項梁に言ったことが、長江の西では皆が反乱を起こしており、これは天が秦を滅ぼそうとしているということであり、先んずれば人を制すであるため吾は先手を取るために挙兵をして、項梁と桓楚を将軍に任命しようということであった[4]。この時に桓楚は逃亡して沼沢に隠れており、その甥の項羽のみが居場所を知っているという状態であった。そうすれば項梁は項羽に事の次第を言い聞かせて、項羽を待たせていた。そうすれば項梁が再び来て、殷通の前に座り、項羽をお召しになり桓楚を呼び寄せるように命令をするように言った。殷通はこれに対して分かったと言い、それから項梁は項羽を呼び入れて、それから暫くしてから項梁は項羽にやれと言えば、項羽は殷通の首を斬り落とした。それから項梁は殷通の印綬を自ら身につけた。これには殷通の配下は驚いて騒動になったが、項羽は多くを殺したために、皆は恐れて降伏をして誰も逆らおうとはしなかった[5]。これは先んずれば人を制すと言った人物が、それを言われた人物に騙し打ちにされて軍隊を乗っ取られたということであった[6]。

脚注