冷泉為秀

ウィキペディアから、無料の百科事典
 
冷泉為秀
冷泉為秀肖像(土佐光芳画)
時代 鎌倉時代後期 - 南北朝時代
生誕 不詳
死没 応安5年6月11日(1372年7月12日)
改名 為秀→松峯(号)
戒名 秀宅
官位 従二位、権中納言
氏族 冷泉家
父母 父:冷泉為相
兄弟 為成、為秀、久明親王妃、女子三人
子 為邦、為尹
テンプレートを表示

冷泉 為秀(れいぜい ためひで)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿・歌人。官位は従二位・権中納言。冷泉家2代当主。

経歴

正二位権中納言・冷泉為相の子として誕生。公卿であったが鎌倉に在住する事が長かった。

歌人として優れていたようで梵灯庵や今川貞世、鎌倉公方の足利基氏に和歌を教授した。また、勅撰集・風雅和歌集の編纂では正親町公蔭らと寄人を務め、貞和6年(1350年)の年中行事歌合では判者を務めた。

応安5年(1372年)、薨去。家督は為尹が継いだ[1]。

系譜

脚注

  1. ↑ 為尹は為邦の子で為秀の養子になったとする説もある。