前谷 惟光(まえたに これみつ、1917年(大正6年)12月8日[1][2] - 1974年(昭和49年)10月23日)は日本の漫画家。東京出身。父は「子供の科学」を主宰した原田三夫[2]。東京高等工芸学校(現千葉大学工学部)中退[2]。

来歴

日本画家の尾竹国観に師事。1939年召集、中国、ビルマ戦線を転戦、九死に一生を得る。復員ののち東宝に勤務するが、東宝争議に伴い退社。その後科学雑誌の挿絵画家を経て、1951年『火星の八ちゃん』(「少年少女読売」)、『トッピ博士』(寿書房)で児童漫画デビュー。1955年から「ロボット三等兵」シリーズを発表して人気を得た。「すごいのが出たね」「いやなことをいうね」[3]などのセリフやその絵柄などの模写で、秋本治など、オマージュやパロディの対象にする漫画家は多い。それ以降も落語や童話の漫画化作品を多数発表した。1974年、没。

主な作品

脚注

  1. ↑ 20世紀日本人名事典『前谷 惟光』 - コトバンク
  2. 1 2 3 デジタル版 日本人名大辞典+Plus『前谷惟光』 - コトバンク
  3. ↑ 四方田犬彦は「いやなこというね」(『日本の漫画への感謝』潮出版社、2013年pp.42-52)という前谷惟光の批評を書いている。
  4. ↑ 1941年の開戦直後に「大東亜戦争」の呼称が閣議決定された
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