割烹(かっぽう)は、肉を割(さ)き、烹(に)るの意味で、日本料理の調理。またはその料理を提供する飲食店のことを指す。[1]

かつて割烹旅館、割烹料理店と言うと、法的認可を受け、警察の管理下にて酌婦や芸妓、今で言うコンパニオンを座敷に入れて良いとのお店に限られていた。

概要

(例)割烹講習会、割烹着
『畿内見物 大阪之巻』 金尾文淵堂 1912.7巻頭の絵図に「魚治」が描かれている。
これは、明治時代後期頃から大阪で流行した飲食スタイル[4]で、当時は、腰掛けの即席料理店[5]と呼ばれていた。それまでの宴席料理と違い、自分の好みに応じて、板前が目の前で即座に調理した出来立ての高級料理を気軽な椅子席で食べられることから、大正・昭和初期に大阪で大流行[6]となり、全国に広がっていった。
割烹料亭
カウンター席やテーブル席などが中心座敷中心
その場で客の注文に応じて作られるアラカルト中心あらかじめ設定されたコース中心
専門の接客係はいない専門の接客係(仲居等)がいる
芸妓を呼べない芸妓を呼べる

脚注

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  1. ↑ 広辞苑第5版
  2. ↑ 味の素KK 日本料理の歴史
  3. ↑ 天保年間に喜多川守貞が著した「守貞謾稿(もりさだまんこう)」の「料理茶屋」の項に、「料理茶屋。割烹店をいう。料理というのは万事を計り整えるのをいう。今俗にはただ食類を製するの名とする。」との記述がある。
  4. ↑ 「夜の京阪」(金港堂書籍出版、1903(明治36)年出版)のp251-252に「美味いので通って居るが、店の形式の異なったのは御堂筋の魚治(うをじ)で、一組二組の客の上がれる小座敷もあるが、表は腰を掛けて飲食する事になって居る、立派な料理屋でも出すまいと思うやうな代物を使って、寧ろ自慢で喰わせるのだ、只の腰掛けだと思って飛び込んだものはその料理の佳いのにも驚くだろうが、亦勘定の不廉(たかい)にも一驚を喫するであろう、」との記述がある「魚治」のほか、「みどり」「入船」などがいわゆる割烹店の走りとして有名になっていた。
  5. ↑ 「三府及近郊名所名物案内」(発行:日本名所案内社、発行年1918(大正7)年)p96「ことわざに、今日の着倒れ、大阪の食倒れとて、大阪の人は食道楽の人が多い、随分料理もなかなかおいしくておます、名ある料理店は、北区、中ノ島大阪ホテル、(中略)、即席料理は、灘万、南吉、緑、入船、東、槌田、魚治、日柄喜」とある。
  6. ↑ 郷土研究誌「上方」第24号【1932年(昭和7年)12月発行】掲載の「浪花舌行脚」(蘆田止水:著)に、「この頃大流行の即席料理腰掛料理の元祖は法善寺あたりに昔からあったわけだが、歌舞伎座裏の「喜久の家」ができてから断然流行を見せた」との記載がある。

関連項目

外部リンク

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