劉全諒

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劉 全諒(りゅう ぜんりょう、751年 - 799年)は、唐代の軍人。宣武軍節度使。もとの名は逸淮[1]。本貫は懐州武陟県[2][3]。

経歴

劉正臣の子として生まれた。父の勲功により別駕・長史に任じられた。建中2年(781年)、劉玄佐が宋亳潁節度使となると、逸淮は召し出されてその下で牙将となり、決断力があり騎射に優れていることで知られた。劉玄佐は宗族の甥の扱いでかれを厚遇した。逸淮は都知兵馬使に累進し、太僕寺卿に試用され、御史中丞を兼ねた。貞元8年(792年)、劉玄佐が死去し、子の劉士寧が代わって宣武軍節度使となった。劉士寧は宋州刺史の翟良佐が自分につかないのではないかと疑い、いつわって出巡して宋州にいたると、逸淮を翟良佐に代えて刺史とした。貞元15年(799年)2月、董晋が死去すると、兵乱が起こり、陸長源が殺害された。逸淮は監軍の倶文珍に召し出されて汴州に赴き、知留後をつとめた。朝廷により検校工部尚書・汴州刺史に任じられ、宣武軍節度観察等使を兼ね、全諒の名を賜った[4][3]。8月庚戌、死去した[5]。享年は49。尚書右僕射の位を追贈された[4][3]。

脚注

  1. ↑ 『新唐書』劉全諒伝は「逸淮」とし、『旧唐書』劉全諒伝は「逸準」とする。
  2. ↑ 旧唐書 1975, p. 3938.
  3. 1 2 3 新唐書 1975, p. 4823.
  4. 1 2 旧唐書 1975, p. 3939.
  5. ↑ 旧唐書 1975, p. 391.

伝記資料

  • 『旧唐書』巻145 列伝第95
  • 『新唐書』巻151 列伝第76

参考文献

  • 『旧唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00319-2。 
  • 『新唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00320-6。