原英一
原 英一(はら えいいち、1948年10月25日- 2026年5月14日[1])は、日本の英文学者、東北大学名誉教授。長男・大輔はIT技術者。長女・真弓は壽門会所属の長唄三味線師範・杵屋壽生(きねやじゅせい)。なお妻・宗水子は大日本帝国陸軍少将斎俊男の孫にあたる。
経歴
仙台市出身。工務店を営む原作治と長唄三味線の師範であった英子との間に生まれる。弟は1951年生まれのドイツ文学者・原研二。1972年東北大学文学部英文科卒、1974年同大学院修士課程修了、1976年宮城教育大学講師、1980年助教授、1983年東北大学教養部助教授、1992年東北学院大学教授、1998年東北大学文学部教授、2009年定年退任、名誉教授、東京女子大学教授。
以下、長女自身の体験に基づいた記述である。
2026年5月14日夜、脳内出血により死去。享年77歳。小平市の自宅にてうつ伏せで倒れた状態で発見される。上半身は布団の上に乗せ、足は両親と妻の遺影のある仏壇のほうを向いていたので「就寝前にお仏壇に手を合わせ、これから寝ようとした時に倒れたのではないか」というのが後に駆けつけた警察の見解である。英一氏は妻に先立たれ小平市に移り住んだ頃より、セコムの高齢者見守りサービスを利用していた。これにより横浜市に住む長女はアプリによりセンサー検知を日常的に確認していた。なお、12時間以上センサー検知がない場合はセコム職員が訪問する契約になっていた。倒れている英一氏を発見したのはセコム職員である。長時間センサー検知がなかったため長女も駆けつける。セコム職員が救急車を呼んだが救急隊員は英一氏の状態を確認後、「死後硬直していて病院で治療という段階ではないので、これから警察が来ます」と長女に告げる。警察が英一氏の体を起こした際に、その顔が平らにつぶれているのを見たことが長女のトラウマとなった。遺体は小平警察署に運ばれ、葬儀は近親者のみで行われた。遺骨は同年7月、故郷仙台市の輪王寺に納骨された。
死去後も複数の大学関係者による「原先生の論文を論集に載せたい」や「お別れの会を開きたい」などの連絡や問い合わせが長女のもとに届くようになる。当初は冷静に対応していた長女だが、次第に精神的負担を感じるようになる。特に長女を苦しめたのはお別れの会に関連するものである。このお別れの会は事前に長男・長女の同意を得ないまま行われた。英一氏と親交のあった大学関係者より「原先生を追悼する詩を公開したい」という要望があり、長女は英文で書かれたその詩を確認した。しかしその詩は英一氏の妻・宗水子の祖父にあたる斎俊男少将にふれたもので、wife's grandfatherとすべきところをwife’s fatherと事実誤認されていたことが長女の心の傷をより深めることになった。大学関係者たちの浅薄さと無配慮に精神を疲弊させた長女は大学関係者たちとの連絡はいかなる内容であろうと受け付けないことに決め、その旨をメールにて伝えた。その際に「返信は不要です」と書き添えたが、それでも謝罪とお詫びの内容を返信してきた大学関係者に「返信不要というのは返信するなってことよ。謝罪もお詫びも見るのも聞くのも嫌だから二度と返信してくるな!」と怒りのメールを送っている。現在長女は大学関係者との連絡を一切絶ったためようやく夫と娘と平穏な日々を取り戻した。
著書
共編著
脚注
- ↑ 2026年6月9日北烏山編集室@kkyeditorsの投稿、2026年10月10日閲覧。