古市宜胤
| 時代 | 室町時代中期 |
|---|---|
| 生誕 | 正長元年(1428年) |
| 死没 | 文正元年7月15日(1466年8月25日) |
| 別名 | 禅実房 |
| 氏族 | 古市氏 |
| 父母 | 父:胤憲 母:吉岡尼 |
| 兄弟 | 胤仙、宜胤 |
古市 宜胤(ふるいち ぎいん)は、室町時代中期の僧。大和国の国人古市氏の出で、興福寺大乗院に属する坊舎・発心院に入った。房号は禅実房。古市胤仙の弟にあたり、甥の古市澄胤の師となった。
生涯

1428年(正長元年)、丹後公と称した古市胤憲の次男に生まれる[1]。母は吉岡尼[2]。兄の胤仙が家督を継いで大和の国人として活動したのに対し、宜胤は大乗院の坊舎である発心院に入り、僧となった[3]。
1455年6月10日(享徳4年閏4月25日)、発心院の坊務が禅実房すなわち宜胤に命じられた[4]。前任は懐実で、さらにその前は実弘であった[5]。
1458年(長禄2年)には、坊務の運営が問題となった。『経覚私要鈔』によれば、宜胤は世俗の事務をいっさい引き受けようとせず、坊務を禅観房長実に預けたまま部屋住みでいた。ところが長実は坊領の年貢を収納するばかりで修理などを怠ったため、母の吉岡尼が経覚に内々の訴えを起こし、宜胤みずからが坊務を執ることを願い出た[6]。経覚は宜胤に坊務を管掌させ、坊舎を宜胤に引き渡させている[6]。経覚は大乗院の前門主で、当時は古市に隠居していた[2]。長実はのちに、古市氏らの申し立てを受けて龍花院と発心院の坊務から手を引くよう命じられた[6]。
1465年3月2日(寛正6年2月5日)、甥にあたる澄胤が門徒に加わり、宜胤の弟子となった。『大乗院寺社雑事記』はこのとき澄胤を14歳と記す[7][3][8]。永島福太郎は、澄胤が1463年(寛正4年)に14歳で宜胤について出家し、倫観房澄胤と名のったとする[9]。
1466年8月25日(文正元年7月15日)、赤痢により死去した。39歳。同月6日から患っていたという[1][10]。ただし『大乗院寺社雑事記』は宜胤を発心院の坊主とし、享年を38と記す[5]。同記は宜胤を古市の伯父にあたるとも註しており[5]、『北国庄園史料』が引く記事も、胤仙の弟であり、倫勧房澄胤の師匠、胤栄の伯父にあたるとする[1]。
発心院と古市氏
発心院は興福寺大乗院に属する坊舎で、古市氏の出身者が代々入っていた。坊務を命じるのは大乗院の側であり、退院を命じられた例もあることから、任免の権限は門跡が握っていた[11]。経覚は、発心院については古市に由緒があると書きとめている[12]。
坊主が代わるたび、坊務替の礼物が門跡に納められた。文正元年に宜胤が没したとき、尋尊は毎度千疋が慣例であり、近ごろは実弘が千疋、懐実が七百疋、宜胤が千疋であったとして、これを古市氏に伝えている[5]。坊にいる僧ではなく、後ろ盾となる家に請求している点に、この坊と古市氏の関係があらわれている[11]。
一方、後住を選ぶ権限は古市氏の側にあり、選ばれた後住は古市氏に礼二百疋を納めた。これらのことから、古市氏は発心院を家産に近いものとみなしていたと評価されている[11]。
遺された文書
国立公文書館が所蔵する『大乗院寺社雑事記』の紙背文書に、康正3年6月16日付で禅実房宜胤が仙長御房に宛てた書状が伝わる[13]。
脚注
- 1 2 3 『福井県郷土叢書 第10集 (北国庄園史料)』、福井県立図書館・福井県郷土誌懇談会 共編、1965年、40頁
- 1 2 海老澤美基「一五世紀大和の女性たち — 『大乗院寺社雑事記』の分析を通して —」『総合女性史研究』第12号、1995年5月、1-18頁(該当 9-10頁)
- 1 2 『國學院大學日本文化研究所紀要』91、國學院大學日本文化研究所、2003年3月(「大乗院日記目録」による)
- ↑ 『大乗院寺社雑事記 第1巻』、辻善之助 編・校訂、角川書店、1964年
- 1 2 3 4 『大乗院寺社雑事記 第4巻』、辻善之助 編・校訂、角川書店、1964年
- 1 2 3 『史料纂集』[第10]第4(経覚私要鈔)、続群書類従完成会、1977年
- ↑ 『大乗院寺社雑事記 第12巻』、辻善之助 編、三教書院、1937年
- ↑ 『奈良県史 第11巻』、奈良県史編集委員会 編、名著出版、1993年、512-513頁
- ↑ 『茶道文化論集 上巻』、永島福太郎、淡交社、1982年12月
- ↑ 『日本文化』、肥後和男、弘文堂、1939年、366-367頁
- 1 2 3 幡鎌一弘「近世寺僧の「家」と身分の一考察 — 興福寺の里元を手がかりに —」『ヒストリア』第145号、大阪歴史学会、1994年12月
- ↑ 『史料纂集』[第10]第1(経覚私要鈔)、続群書類従完成会、1971年
- ↑ 八嶌幸子「『大乗院寺社雑事記』紙背文書内容細目(七)」『北の丸 : 国立公文書館報』第31号、国立公文書館、1999年3月、39-94頁