吉田確太

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吉田 確太(よしだ かくた、1902年3月7日 - 1976年3月1日)は、日本の経営者。岡山県倉敷市出身[1]。

経歴

第六高等学校を経て、1926年に東京帝国大学工学部電気科を卒業[1]。富士紡績、富士電力の勤務を経て、1942年に関東配電(のちの東京電力)に転じ、1951年に取締役に就任し、1953年9月に常務、1961年6月に副社長を経て、1964年8月から1966年8月までに電源開発総裁を務めた[1]。

1961年に藍綬褒章を受章し、1973年4月に勲二等旭日重光章を受章[1]。

1976年3月1日、死去[2]。73歳没。

脚注

  1. 1 2 3 4 人事興信所 1975, よ59頁.
  2. ↑ 1976年 3月2日 読売新聞 朝刊 p23

参考文献

  • 人事興信所 編『人事興信録 第28版 下』人事興信所、1975年。 
先代
藤井崇治
電源開発総裁
第5代:1964年 - 1966年
次代
藤波収