財団法人同潤会
設立 大正13年5月23日[1]
法的地位 財団法人
目的 大正12年9月の震災に関し必要なる施設を為すを以て目的とす[1]
本部 東京市麹町区元衛町一番地[1]
取締役 池田宏[1]
寄付基金
金一千万円[1]
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同潤会(どうじゅんかい、同潤會)は、内務省によって1924年(大正13年)に設立された財団法人である[1]。その前年に発生した関東大震災の義捐金をもとに設立され、東京と横浜において住宅供給を行った。集合住宅「同潤会アパート」の建設で知られている。

概要

1923年(大正12年)の関東大震災により、東京・横浜の市街地は大きな被害を受けた。下町では木造住宅が密集しており、街区の整備も遅れていたことから被害を大きくした。既に震災前から、不燃造の集合住宅の必要性が認識され、東京市・横浜市では鉄筋ブロック造の集合住宅を造り始めていたが、計画的な供給が課題になった。

内務省は国内外から寄せられた義捐金の中から1,000万円の支出を決定し、震災の翌年1924年(大正13年)5月、財団法人同潤会が設立[1][2]され、建築家らが評議員や理事に就任した。まず東京・横浜に木造バラックの仮設住宅を建設し、次いで1925年(大正14年)8月から同潤会最初の鉄筋コンクリート造の集合住宅である中之郷アパートの建設を始めた。中之郷アパートの設計は、東大建築学科の内田祥三研究室で行われ、1926年(大正15年)8月に竣工した。以後は同潤会の設計部が中心になって東京・横浜に次々と同潤会アパートを建設した。

同潤会が目指したものは主に都市中間層向けの良質な住宅供給(アパートメント)で、それに付帯してスラム対策の住宅建設(不良住宅改良事業)も行った。

鉄筋コンクリート造の住宅はコストがかさみ、家賃収入のみで投資額をまかなうことは困難であったため、アパートの建設は1934年(昭和9年)竣工の江戸川アパートメントで終了した。同潤会では以前(1928年頃)から手掛けていた分譲住宅(木造で多くは平屋建て)の供給に専念することになった。

1941年(昭和16年)に住宅営団が発足し、同潤会は業務を移管して解散した。

第二次世界大戦後、建設省の所轄のもとに設立された日本住宅公団(現:都市再生機構)と機能等が類似するが、組織・財政・人的構成等の直接の系譜関係はなく、所轄官庁も違うため、いわゆる「前身」ではない[3]。

組織

事業内容

同潤会が手掛けた住宅としては、いわゆる「同潤会アパート」と通称されるものが有名になったが、これは一般の都市生活者向けに同潤会が建設した一事業であり、これ以外にもさまざまな目的別の住宅建設事業を手掛けた[4]。

事業種別戸数備考
仮住宅2160関東大震災罹災者のための仮設住宅。東京7か所にバラック建住宅を建設(一部店舗)。数年内に退去。
普通住宅3493木造長屋建(平屋・2階建)の賃貸住宅で、一部は店舗。東京・神奈川に12か所。
アパートメントハウス2501鉄筋コンクリート造の集合住宅で、いわゆる同潤会アパート。東京・神奈川に15か所。
共同住宅712不良住宅改良事業(スラム化していた地域の環境改善)。猿江裏町にコンクリート造共同住宅、南太田町・日暮里に木造共同住宅を建設。一部店舗等。
(勤人向)分譲住宅5241928年以降、勤め人を対象に木造平屋の一戸建(一部2階建)を分譲。建坪は35坪以内。赤羽、洗足、江古田など、20か所に建設。
職工向分譲住宅11051935年以降、工場労働者を対象に建設、内容は勤人向分譲住宅と同様で、建坪は平均15坪。千住緑町など、15か所に建設。この他に同潤会解散時に建設中の分が6か所、697戸あった。
軍人遺家族アパートメント911938年、戸山が原(淀橋区西大久保4丁目)に木造2階建集合住宅3棟を建設[5]。
住宅建設経営住宅 1939年以降、官庁・企業の委託により住宅・共同宿舎(官舎・社宅・寮)の設計、建設、管理を行ったもの。

『同潤会十八年史』より作成[6]。

木造住宅・住宅地の建設

同潤会の事業として鉄筋コンクリート造集合住宅の建設がよく知られているが、木造住宅も多く建設した。

震災復興のための仮設住宅に続き、1925年以降、賃貸普通住宅を建設した。次いで模範的な一戸建住宅を分譲することとし、1928年から1938年の10年間に、東京・神奈川の20か所で分譲地を開発し、計524戸の木造分譲住宅を供給した[7]。その後も木造分譲住宅の建設は続けられた。

同潤会が手がけた住宅地は以下の通り。

仮設住宅
普通住宅
分譲住宅
職工向分譲住宅
(以下は同潤会解散時に建設中の分)
受託事業

住宅地のその後

場所によっては、街区に当時の面影を残しているが、木造住宅のほとんどは老朽化により既に姿を消している。

脚注

  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 大蔵省印刷局『官報 1924年09月27日』(プレスリリース)1924年9月、附録。doi:10.11501/2955778。
  2. ↑ 『大正14年度事業報告』財団法人同潤会、1926年、1頁。
  3. ↑ 『日本住宅公団20年史』(1975年)でも同潤会、住宅営団には特に言及されていない。
  4. ↑ 『同潤会十八年史』(同潤会、1942) P11-150。
  5. ↑ 東京都同胞援護会
  6. ↑ 「事業種別・戸数」について、ブルディエ『同潤会アパート原景』P220は、仮住宅(2160戸)、普通住宅(3760戸)、アパートメントハウス(2508戸)、共同住宅 (807戸)、分譲住宅(507戸)、職工向分譲住宅(1122戸)、軍人遺家族アパートメント(91戸)、住宅建設経営住宅(1121戸)の計12076戸としているが、元データの『同潤会十八年史』と合わない。
  7. ↑ 大月敏雄『同潤会と不良住宅地区改良事業-東日本大震災を念頭に』(特集 For All--住居/居住を回復するために、「建築とまちづくり」 (399), 6-10, 2011年6月号)、内田青蔵ほか『9248 同潤会江古田分譲住宅の土地取得から分譲まで : 戦前期における東京近郊の住宅地化に関する研究 その4』(2010年7月)、松浦秀樹ら『同潤会普通住宅新山下地区における住戸の増築傾向』(学術講演梗概集 E-2、2010年7月)など
  8. ↑ 三田評論 2014年1月号 慶應義塾大学出版会
  9. ↑ 練馬まちづくりセンターのサイト【所長日記】同潤会江古田分譲住宅の佐々木邸を見学する―驚き!練馬にこんな歴史的住宅があるなんて―
  10. ↑ “同潤会江古田分譲住宅に見る 昭和初期の一戸建てと暮らし”. SUUMOジャーナル (2013年11月9日). 2021年4月25日閲覧。
  11. ↑ “昭和初期の「理想の居住地」同潤会荻窪分譲住宅、最後の1戸が取り壊しへ”. 東京新聞 (2022年2月12日). 2023年9月10日閲覧。

関連項目

外部リンク

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