国医師(くにいし)は、律令制下に設けられた医師。国ごとに1名ずつ任命された。
律令制で諸国に1名ずつ置かれ、教師として、国司の監督の下で国学の医生(いしょう)の教授を担当した。任国では部内巡行や、四度使として、任国の行政にも参画したという。
選叙令によると、式部省の判定による現地採用を原則とし、場合によっては隣国からの採用もやむを得ないとしていたが、人材難のため、中央の典薬寮の医生などから任命されることが一般化した。詳述すると、
また、霊亀2年5月(716年)の制には、典薬寮の学生で、修養不足なものについては、国医師に任命してはならぬ、としている[6]。
待遇は天平宝字元年10月(757年)の太政官処分により、公廨稲は諸国の史生に準じて1分とされ[7]、ほかも同様であった。当国から選ばれる場合は徭役が,隣国から派遣される場合は課役のすべてが免除され、公廨稲のほかにも職分田6段・事力が支給されていた。
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