堀場秀孝

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堀場 秀孝
ほりば ひでたか
生年月日 (1955-06-26) 1955年6月26日(71歳)
出生地 長野県上田市
出身校 慶應義塾大学法学部法律学科
現職 長野県議会議員
所属政党 (民主党→)
(民進党→)
国民民主党
公式サイト 堀場ひでたか公式ホームページ
選挙区 上田市小県郡選挙区
当選回数 2回
在任期間 2011年 - 2019年
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堀場 秀孝
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 長野県上田市
生年月日 (1955-06-26) 1955年6月26日(71歳)
身長
体重
178 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1982年 ドラフト外
初出場 1983年4月24日
最終出場 1989年5月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

堀場 秀孝(ほりば ひでたか、1955年6月26日 - )は、日本の政治家。長野県議会議員(2期)。長野県上田市出身。元プロ野球選手(捕手)。

経歴

野球選手として

中学時代に県大会優勝。丸子実業高在学時は春1回、夏2回、甲子園に正捕手として出場した。高校の後輩に桃井進がいる[1]。

同校3年次の1974年に、作新学院高の江川卓、滝川高の中尾孝義らと受験合宿を行って、慶應義塾大学を受験したが、江川たちと一緒に不合格となった。江川が進路を変えて法政大学(法政短大→法学部二部に転部)に入学し(のちに一部へ転籍)、1年生の秋のシーズンから法政大学野球部のエースとして活躍するのを尻目に、中尾と共に浪人による再挑戦の途を選び、一浪後の1975年に慶應義塾大学法学部法律学科に入学した[2]。

同大学野球部では東京六大学野球リーグ戦に、1年次の1975年春のシーズンの開幕戦から4年次の1978年の秋のシーズン最終戦までの全ての試合に正捕手として出場し、4年次には主将を務めた。夏の日米大学野球選手権には2年次から4年次までの第5回・第6回・第7回大会(第7回大会は同期の4年藤田正樹投手と共に選出)に出場。東京六大学野球リーグ戦に通算101試合に出場し、396打数125安打、11本塁打、50打点、打率.316。ベストナイン1回。また、連続打数安打(トップタイ)・連続打席出塁の最多記録を樹立すると共に(2026年9月現在)、通算125安打は明大高田繁(1964年 - 1967年在籍)の通算最多127安打に次ぐ歴代2位を記録した(2015年に明大高山俊が通算131安打で更新し、堀場は歴代3位。2026年9月現在)[3][4]。

1979年、慶應義塾大学卒業後、プロ入りを拒否し、創部されたばかりの社会人野球・プリンスホテルへと進む。同期入社に石毛宏典、中尾孝義、金森栄治がいる。社会人では中尾や当時捕手であった金森の存在もあって、彼らのプロ入りまでは野手としての出場が多かった。2年目にチーム初となる都市対抗野球では主将で臨み、中尾がマスクを被ったため、2回戦に代打出場して二塁打を放ったがこの試合で敗退。

1982年オフに、ドラフト外で広島東洋カープに入団。入団発表記者会見で、広島の正捕手の座を掴みつつあった同学年の達川光男について「タツなんて目じゃない」と発言し、度肝を抜いた。

プロ入り1年目の1983年から控え捕手として一軍に定着するが、同年の先発出場は4試合にとどまり、主に代打での出場が多かった。1985年に登録名を堀場英孝に変更。

1986年オフに自由契約となり、前年までの指揮官であった古葉監督が就任した横浜大洋ホエールズに移籍。

1987年は、4月後半から正捕手として起用され34試合に先発マスクを被る。しかしシーズン中盤には失速し、若菜嘉晴にポジションを奪還された。同年の大晦日に放送された『ビートたけしのスポーツ大将』のスピンオフ特番『元祖ビートたけしのマラソン野球』に出場し、草野球の投手相手に三振している[5]。その後は代打としての出場が多く、1989年に再び自由契約となり、慶大の先輩藤田監督率いる読売ジャイアンツにテスト入団。

しかし、巨人では中尾の存在もあって一軍出場はなく1990年限りで現役を引退。現役時代晩年には、1987年限りで引退していた江川が取材に訪れた際「まだ(現役を)やってたのか?」とからかわれたという。

引退後は1991年[6]からベースボール・マガジン社に入社して広告の仕事に携わり、1997年からは大阪近鉄バファローズ編成部係長となるも、2000年11月に退団[1]。アマチュア野球指導者となった。

政治家として

2011年4月に実施された統一地方選挙長野県議会議員選挙に、上田市小県郡選挙区(定数4)から、元首相・羽田孜の後援会の推薦を受け[7]、無所属として立候補し当選[1]した。

当選後は、民主党・社会民主党系会派「改革・新風」に所属[8]。民主党に入党し、同党長野県総支部連合会県民運動局長[9]を務めた。

2015年4月、長野県議会議員選挙に民主党推薦無所属候補として立候補、無投票再選[10]。

その後民主党、民進党を経て、2018年、国民民主党結成に際し同党に参加。

2019年3月、長野県議会議員選挙に国民民主党公認・新政信州[11]推薦で立候補するも落選した[12]。

人物

子供は二女。うち長女は「堀場れい」名義で女優等芸能活動経験があった。

詳細情報

年度別打撃成績

年

度
球

団
試

合
打

席
打

数
得

点
安

打
二
塁
打
三
塁
打
本
塁
打
塁

打
打

点
盗

塁
盗
塁
死
犠

打
犠

飛
四

球
敬

遠
死

球
三

振
併
殺
打
打

率
出
塁
率
長
打
率
O
P
S
1983 広島 273531352011030000212121.161.257.323.580
1984 26343037002138100040091.233.324.433.757
1985 24322124000421001102050.190.438.190.628
1987 大洋 45122109142950343121000924283.266.344.394.739
1988 45494411340017100000401161.295.367.386.754
1989 6660100010000000010.167.167.167.333
通算:6年 17327824123591106883530012957716.245.342.365.707

年度別守備成績

年度試合数企図数許盗塁盗塁刺阻止率失策
198313220.0000
19846220.0001
19859541.2000
19874227225.1851
19883110.0001
通算 7337316.1623

記録

背番号

  • 22 (1983年 - 1986年)
  • 35 (1987年 - 1989年)
  • 39 (1990年)

登録名

  • 堀場 秀孝 (ほりば ひでたか、1983年 - 1984年)
  • 堀場 英孝 (ほりば ひでたか、1985年 - 1990年)

脚注

  1. 1 2 3 “長野県議・堀場秀孝さん、生まれ故郷信州に恩返しを”. ZAKZAK. 夕刊フジ. 2011年5月11日. 2011年9月20日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2013年3月21日閲覧.
  2. ↑ 中尾は再度不合格となり、専修大学へ進学し、同大学野球部で活躍した。
  3. ↑ 東京六大学野球リーグ戦 個人:打撃記録 東京六大学野球連盟、2026年9月27日閲覧。
  4. ↑ 記録>打撃記録 big6scorebook、2026年9月27日閲覧。
  5. ↑ この相手投手は、川藤幸三や当時堀場の同僚であった池之上格からも連続三振を奪い、最優秀選手に選ばれている。
  6. ↑ 堀場秀幸 - 信州・新風・みらい 長野県議会会派
  7. ↑ “県議選 新人堀場氏が立候補表明”. 信濃毎日新聞. 2011年1月28日. 2011年1月28日閲覧.
  8. ↑ 堀場 秀孝(ほりば ひでたか)|改革・新風 長野県議会会派
  9. ↑ 民主党長野県総支部連合会 役員・議員の紹介
  10. ↑ 統一地方選2015中部9県 長野県議選(定数58 立候補者86)2019年4月13日 中日新聞
  11. ↑ 長野県で政治団体「新政信州」発足へ 旧民進党勢力の再結集狙う2018年10月17日 産経新聞 立憲民主党長野県連と国民民主党長野県連の連携組織「信州連絡協議会」が任意団体から政治団体「新政信州」に移行したもので、旧民進党長野県連勢力を再結集しようという共闘組織。
  12. ↑ 統一地方選2019中部9県 長野県議選(定数57 立候補者79)2019年4月8日 中日新聞

関連項目

外部リンク